第6話「搭乗拒否」
成田国際空港、第一ターミナル。
出国審査を抜けた先にある航空会社のラウンジは、選ばれた人間だけが許される静寂に包まれていた。
「……ふう。ようやく落ち着いたな」
帝都建設常務・権田剛は、高級な革張りのソファに深々と身を沈め、シャンパングラスを傾けた。
「ヒヤヒヤさせやがって。あの女刑事、次は名誉毀損で訴えてやる」
「挑発に乗るな」
向かいの席で、顧問の唐沢が新聞を広げている。
「ここに入ればもう安全だ。ここは日本の警察権が及びにくい『制限エリア』だ。あとは機上の人となれば、ロンドンに着くまで誰も手出しはできない」
権田は窓の外を見た。
雨に濡れた駐機場に、巨大な翼が待機している。
NJ401便。
あと五十分で離陸だ。
高飛びは成功した。
あの生意気な若造の録音データだか何だか知らないが、俺が海外にいる間に唐沢の手腕で揉み消されるだろう。
「……ん?」
権田はスマホを取り出した。
先ほどからポケットの中で振動が止まらない。
画面を見ると部下や取引先からの着信通知で埋め尽くされている。
「なんだ、騒がしいな……」
一通の通知をタップした瞬間、権田の顔色が凍りついた。
『SNSで拡散中:帝都建設パワハラ音声まとめ』
『音声データNo.412:事故当日「資材搬入の邪魔だ!親綱を外せ。落ちなけりゃいいだけだろ!死んでも工期を守れ!」』
『現在、成田第一ターミナル、北ウイングのラウンジに潜伏中との情報あり!逃がすな!』
リンク先を開くと、そこには膨大なリストがあった。
再生ボタンを押すまでもない。
すべて、自分が坂本のスマホに怒鳴りつけた内容だ。
それが今、全世界に向けて垂れ流され、自分たちの居場所までもが特定されている。
「な、なんだこれは……!おい、唐沢さん!」
「騒ぐな、ラウンジだぞ」
唐沢が顔を上げた時、ラウンジ内の大型モニターの画面が切り替わった。
ニュース速報のテロップ。
『建設現場転落事故、新証拠が流出。元請け役員、海外逃亡を図り成田空港へ』
静寂だったラウンジがざわめき始める。
ビジネスマンたちがスマホを取り出し、あるいはモニターを指差して、ヒソヒソと話し始めた。
視線が、権田と唐沢に集まっていく。
「くそっ、見世物じゃねえぞ!」
権田が立ち上がろうとした時、ラウンジの入り口から制服姿の地上職員が二人、足早に近づいてきた。
後ろには警備員もいる。
「権田剛様、唐沢義一様ですね」
女性職員は業務用のタブレット端末を抱え、極めて事務的な口調で告げた。
「ただいま、お客様の搭乗手続きが無効となりました。恐れ入りますが、搭乗口へは向かわず、一度ロビーへお戻りいただけますか」
「無効?何を言っている。チェックインは済ませたぞ」
唐沢が不機嫌そうに言った。
「我々はビジネスクラスの客だ。システムエラーなら、そっちで処理したまえ」
「いえ、エラーではございません」
職員は表情を変えずに言った。
「先ほど、お客様の航空券決済に使用された法人カード会社より、『不正利用検知』の通知が届きました。何者かによる大量の不正アクセス試行が検知されたため、カードの機能が緊急停止されています」
「はあ!?」
権田が叫んだ。
「不正アクセスだと?俺は何もしていない!」
権田は血の気が引くのを感じた。
事実かどうかなんて関係ない。
AIは「異常値」しか見ないのだ。
誰かが外部からノイズを流し込めば、システムは問答無用で俺を切り捨てる。
そういう仕組みだ。
その結果、航空券の決済承認が取り消され、チケットはただの紙切れになる。
「だ、だったら別のカードで払う!現金でもいい!」
権田が財布を取り出そうとする。
だが、職員は冷ややかに首を横に振った。
「残念ですが、それ以前の問題がございます。当社の『運送約款』第73条に基づき、お客様の搭乗そのものをお断りさせていただきます」
「約款だと?」
「はい。『他のお客様に不快感を与え、または迷惑を及ぼすおそれのある場合』、および『機内の安全と秩序を乱すおそれのある場合』です」
職員は、ガラス越しに見える出発ロビーを指差した。
「現在、空港には報道陣が殺到しており、お客様を同乗させることは、他の乗客の皆様の安全と定時運行に支障をきたすと判断いたしました」
完璧な論理だった。
カードロックによる「チケットの失効」。
そして約款による「保安上の搭乗拒否」。
二重のマニュアルが、彼らを空へ逃がすことを拒絶している。
「ふざけるな!俺は客だぞ!」
「お客様」
後ろに控えていた警備員が一歩前に出た。
「これ以上騒がれますと、空港法に基づき、退去命令を出さざるを得ません。……ご同行願えますか」
*
制限エリアから一般ロビーへと押し戻された二人は、その光景に絶句した。
出発ロビーが、カメラの放列で埋め尽くされている。
テレビ局、新聞記者、そしてスマホを構えた野次馬たち。
「出てきたぞ!権田だ!」
「説明してください!あの音声は本物ですか!」
「逃亡しようとしていたというのは事実ですか!」
無数のフラッシュが焚かれる。
逃げ場はない。
権田は顔を隠し、唐沢は苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをした。
その騒ぎを、吹き抜けの上階から冷ややかに見下ろしている人影があった。
真壁凛だ。
「……間に合ったな」
真壁は手すりに寄りかかり、眼下の狂騒を眺めた。
60分。
それはおそらく、奴が計算した「二つのシステムが作動するまでの時間」だったのだろう。
もし奴が外部から、カード会社のセキュリティAIを刺激するようなアクセスを意図的に行ったとしたら?
AIがカードを止めるまでの時間。
その間にネットを炎上させてマスコミを空港へ呼び寄せ、航空会社に「搭乗拒否」の口実を与えるまでの時間。
すべてが、空港という巨大なシステムの中で、ひとつの「処刑」として結実したのだ。
「おい、どうにかしろよ!」
下では権田が唐沢に掴みかかっている。
「あんた警察OBだろう!あいつらを追い払ってくれよ!」
唐沢は権田の手を振り払った。
「離せ。……私はただの顧問だ。現場の不祥事など知らん」
切り捨てた。
だが遅い。
ロビーの大型ビジョンには、すでに唐沢の名前も「疑惑の揉み消し役」としてテロップに出ている。
かつての栄光も、天下り先での地位も、この瞬間、デジタルタトゥーとして永遠に汚された。
真壁の背後から、空港警察署の刑事たちが駆け抜けていく。
混乱を収拾するため、そして――彼らに任意同行を求めるために。
「警部」
追いついてきた部下が、息を切らして言った。
「見事な読みでしたね。まさか搭乗拒否されるとは」
「……私が止めたんじゃない」
真壁はロビーで行き場を失っている二人を見つめた。
警察が地道に捜査していれば、数ヶ月、あるいは数年かかっていたかもしれない証拠集めと身柄の確保。
それを奴は、わずか半日でやってのけた。
ただシステムの仕様を突くことだけで。
「だが、ここからは我々の仕事だ」
真壁は手帳を開きしっかりとペンを走らせた。
『被疑者確保。これより、取調べを開始する』
権田たちの悲鳴にも似た怒号は、もうマスコミのシャッター音にかき消されて聞こえない。
奴は舞台を整えたに過ぎない。
法で彼らを裁くのは、これからの私達だ。
「……行くぞ」
真壁は階段を降りていく。
その足取りに迷いはなかった。
その時、真壁のスマホが短く一度だけ震えた。
画面には、システムログのような無機質な通知が一瞬だけ表示され、すぐに消えた。
『Correction_complete(校正完了)』
(第6話完)
第3部「追跡者の校正」をお読みいただきありがとうございます。
本作に至るまでの「修正」の記録を、以下のアーカイブよりご確認いただけます。
■ 第1部:『マニュアルキラー』
https://ncode.syosetu.com/n4289lo/
設備屋として潜伏する織部悟。彼は、社会の誤植(悪意)を赤ペン一本でデバッグする「伝説のエディター」だった。すべての始まりとなる第1シリーズ。
■ 第2部:『マニュアルキラー Ⅱ —校正なき改竄—』
https://ncode.syosetu.com/n4641ls/
論理パズルを愛する男・三谷と、システムを免罪符にする「ルール」との死闘。織部が「仕様」を悪用する巨悪をいかにして葬ったかを描く、緊迫の第2シリーズ。




