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マニュアルキラー 第3部 ~ 不適切な運用に関する修正履歴 ~  作者: 早野 茂


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13/14

第13話「愛別の地獄」

日曜日の朝。

岸本律子の法律事務所は、書類の山と悲鳴のようなキーボードの打鍵音に包まれていた。

彼女は一睡もしていなかった。

目の下には濃い隈ができ、完璧だった化粧は崩れている。


「……なんでよ!なんで受理されないの!」


彼女は裁判所の夜間受付や、あらゆるコネクションを使って「人身保護請求」や「保全処分」を申し立てていた。

だが、返ってくるのは冷ややかな反応ばかり。

『相手方の代理人から、既に詳細な反論書と証拠が提出されています』

『審理には時間がかかります』


律子は髪をかきむしった。

早い。

早すぎる。

こちらの動きを完全に予測し、申請する1秒前に「先回り」して封じ込めている。

まるで自分の思考を読んでいるかのように。


PCの画面が明滅し、再びあの「代理人アルファ」からのメールが届いた。

添付されていたのは、『監護者として不適格であることの証明書』。

そこには、律子がひた隠しにしていた家庭の記録が羅列されていた。


『年間300日以上のベビーシッター利用』

『息子・翔太君の誕生日に、仕事で3時間遅刻した事実』

『翔太君が書いた絵日記に、母親の姿がほとんど描かれていない分析結果』


律子は愕然とした。

「……仕事よ。あの子のために稼いでいたのよ!それをネグレクトだなんて……」

だが、その論理は通じないことを、彼女自身が一番よく知っていた。

なぜなら、それは彼女自身が数多の父親から親権を奪う際に使ってきた「些細な事実を針小棒大に解釈して、相手を悪魔化する」テクニックそのものだったからだ。


ブーメランが、再び彼女の喉元を抉る。

彼女はデスクに突っ伏し、嗚咽を漏らした。

これが、あの日、あの時、自分が切り捨てた父親たちが味わっていた地獄なのか。

どこにいるかもわからない。

声も聞けない。

法は助けてくれない。

愛別離苦あいべつりく

愛する者と引き裂かれる、生きたままの地獄。



同時刻、真壁凛は都内のビジネスホテルを見上げていた。

警察の捜査網ではなく、彼女自身の勘と、かすかな痕跡を辿ってようやく突き止めた場所だ。

田所拓海と息子は、ここにいる。


スマホを取り出す。

「校正者」への通話ボタンを押すが、応答はない。

「……徹底してるわね」

織部は今回、一切の「違法ハッキング」を表に出していない。

田所の潜伏先も、正規のクレジットカードで宿泊予約され、法的に問題のない「親子の宿泊」として処理されている。

だから真壁は踏み込めない。

誘拐ではない以上、令状は取れない。

無理に押し入れば、逆にこちらが「職権濫用」で訴えられる。


だがこのままでは終わらない。

岸本律子は崩壊寸前だ。

逆に田所も、今は織部の指示で強気を装っているが、いつまでも「鬼」の役を演じ続けられるほど強い人間ではないだろう。

どちらかが限界を迎えれば、待っているのは悲劇だ。

心中か、刺し違えるか。


「……マニュアルで勝っても、幸せにはなれないのよ、校正者」


真壁は独りごちて、ホテルの自動ドアをくぐった。

刑事としてではない。

銃も手錠もいらない。

必要なのは、二人の親の間に入り、絡まり合った「正義」の糸を解く、人間としての言葉だ。


フロントに向かうと、スタッフが恭しく頭を下げてきた。

「お待ちしておりました、真壁様ですね。田所様より伺っております。……お部屋は805号室でございます」


真壁は目を丸くしたが、すぐに事情を察して苦笑した。

校正者め、ここまでお膳立て済みか。

ハッキングでセキュリティを突破するのではなく、宿泊客である田所に指示して、正規の手続きで「面会人」として登録させたのだ。

これならホテル側も拒まない。

あくまでルールの内側の行為だ。


「エレベーターまでご案内いたします」

スタッフがカードキーをかざし、宿泊客専用のエレベーターホールへのセキュリティゲートを開ける。

その背中を見ながら、真壁のスマホに通知が届いた。

送信者は『Unknown』。

内容は、短く一言だけ。

『Go』


――わかってるわよ。

部屋に向かうタイミングを見計らったようなメッセージ。

織部もまた、この膠着状態チェックメイトの先にある「解決」を、真壁に委ねようとしているのだ。

法的な勝ち負けの先にある、もっと大切な着地点を。


805号室の前。

真壁は深く息を吸い込み、インターホンを押した。

長い沈黙の後、ドアチェーンがかかったまま、扉がわずかに開いた。

隙間から覗いたのは、田所拓海の疲弊した、しかし決意を秘めた瞳だった。


「……警察ですか」

「いいえ」

真壁は警察手帳を出さなかった。

「ただのお節介な仲介人です。……翔太君と、あなたのために来ました」


田所の目が揺れる。

部屋の奥から、子供の無邪気な笑い声とテレビアニメの音が漏れ聞こえてきた。

それは岸本律子が3年間独占し、田所から奪い続けていた「日常」の音だった。


「田所さん。少しだけ、話をさせて。……このまま勝ち逃げしても、あなたは一生、後ろを振り向いて生きることになる」

真壁の言葉に、田所はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりとチェーンを外した。

ガチャリ、という金属音が、重苦しい静寂を破った。


(第13話完)

第3部「追跡者の校正」をお読みいただきありがとうございます。

本作に至るまでの「修正フィックス」の記録を、以下のアーカイブよりご確認いただけます。

■ 第1部:『マニュアルキラー』

https://ncode.syosetu.com/n4289lo/

設備屋として潜伏する織部悟。彼は、社会の誤植(悪意)を赤ペン一本でデバッグする「伝説のエディター」だった。すべての始まりとなる第1シリーズ。

■ 第2部:『マニュアルキラー Ⅱ —校正なき改竄—』

https://ncode.syosetu.com/n4641ls/

論理パズルを愛する男・三谷と、システムを免罪符にする「ルール」との死闘。織部が「仕様」を悪用する巨悪をいかにして葬ったかを描く、緊迫の第2シリーズ。

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