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マニュアルキラー 第3部 ~ 不適切な運用に関する修正履歴 ~  作者: 早野 茂


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第1話「落ちたはずの女」

アスファルトには染みひとつなかった。

血痕もなければ肉片もない。

飛び散った靴も壊れたスマートフォンも落ちていない。

そこにあるのは深夜の駅前ロータリーに引かれた白線と、乾いた冷たい路面だけだった。


「……警部。やはり、何も出ません」


鑑識課員が申し訳なさそうに報告してくる。

捜査一課強行犯係、真壁まかべりん警部は、スラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、頭上のペデストリアンデッキを見上げた。

高さは約七メートル。打ちどころが悪ければ即死、良くて重傷。

人間が五体満足で立ち去れる高さではない。


「目撃者は?」

真壁は低い声で問う。

その声には部下たちを緊張させる独特の圧があった。

「三名です。全員、証言は一致しています。『若い女性が、デッキの手すりを乗り越えて落ちた』と」

「落ちた瞬間は?」

「それが……」

若手の刑事が手帳をめくりながら困惑した顔をする。

「三名とも『落ちる動作は見えたが、着地した音は聞いていない』あるいは『目をそらした』と言っています。通行車両の音にかき消された可能性もありますが」


真壁は眉間の皺を深くした。

通報が入ったのは午前一時二十分。

終電を逃した酔客や深夜の帰宅者がまばらにいる時間帯だ。

事案は単純。

「女性の転落事故」。

あるいは「飛び降り自殺」。

だが現場には「結果」だけが欠落していた。


「被害者……いや、対象者の名前は?」

「所持品が残されていました。デッキの上に鞄がひとつ。中身の免許証から、市内在住の会社員、相川あいかわ美波みなみ、二十四歳と判明」「鞄を残して、本人は消えたわけか」


真壁はデッキへと続く階段を登った。

現場保存のテープをくぐり手すりの前へ立つ。

鑑識が採取した指紋の跡が白い粉で浮かび上がっている。

手すりの外側に靴の擦過痕さっかこん

彼女がここを乗り越え、重力に従って落下したのは物理的な事実だ。


「防犯カメラは」

「駅前交番の映像を押さえました。今、タブレットで送らせます」


真壁は端末を取り出し送られてきた動画ファイルを再生した。

粗い画質のモノクロ映像。画面の端、デッキの手すりに手をかける女性の姿が映る。おぼつかない足取り。

躊躇い(ためらい)があるようにも、誰かに追われているようにも見える。

彼女が体を乗り出し、バランスを崩す。

足が宙に浮く。

重力に引かれ画面の下フレームへと消えていく――その刹那。


『NoSignal』


画面がプツリと暗転した。

数秒の砂嵐ノイズの後、再び映像が戻る。

そこには誰もいない静まり返ったロータリーが映っているだけだった。


「……またか」真壁は舌打ちを噛み殺した。

ここ数ヶ月管内で似たような現象が起きている。

事件の核心部分だけが、まるで神隠しに遭ったように記録から欠落するのだ。

映像のエラー。

ログの破損。

あるいは、ありえないほどの偶然の重複。


「警部、本庁の管理官から連絡です」

部下が端末を差し出す。

真壁は嫌な予感を抱きながら通話ボタンを押した。


『真壁か。状況はどうだ』

「死体がありません。ですが目撃証言と物的証拠は、彼女が転落したことを示しています。何らかのトリック、あるいは第三者による死体持ち去りの可能性を考慮し――」

『事件性なしだ』

管理官の声は、事務的で冷淡だった。


『遺体がないなら、事件は成立しない。恐らくは狂言か、あるいは落ちたが奇跡的に無傷で、恥ずかしくなって立ち去ったんだろう』

「七メートル落下して、無傷で走って逃げる?管理官、それは物理的に」

『酔っ払いの火事場の馬鹿力だ。よくある話だろう。これ以上、リソースを割くな。撤収しろ』

「管理官!」

『これは命令だ。事故処理で報告書を上げろ』

通話が切れた。


真壁は端末を握りしめたまま眼下の虚空を睨みつけた。

事故で片付ける空気。

現場の違和感をデスク上の理屈で塗りつぶそうとする組織の力学。

真壁が最も嫌悪するものだ。


「……警部、どうしますか」

部下がおっかなびっくり尋ねてくる。

真壁は息を吐き出し冷たい夜風に熱を冷ました。


「撤収はしない。周辺の聞き込みを続行する」

「えっ、でも管理官命令が……」

「『行方不明者の捜索』という名目なら文句はないはずだ。相川美波は落ちた。だが死んでいない。なら、どこへ消えた?」


真壁は再びカメラ映像が途切れた地点を見つめた。

映像が途切れた数秒間。

その空白の時間に何かが起きた。

物理法則を無視するような、あるいはもっと巨大なシステムが介入したような、不気味な気配。


「この街の『処理』は、どこかおかしい」


真壁のつぶやきは誰の耳にも届くことなく夜に溶けた。

彼女はまだ知らない。

自分が追っているのが犯人ではなく「校正者」であるということを。

そしてその校正者が今まさに次の行を書き換えようとしていることを。


(第1話完)

第3部「追跡者の校正」をお読みいただきありがとうございます。

本作に至るまでの「修正フィックス」の記録を、以下のアーカイブよりご確認いただけます。

■ 第1部:『マニュアルキラー』

https://ncode.syosetu.com/n4289lo/

設備屋として潜伏する織部悟。彼は、社会の誤植(悪意)を赤ペン一本でデバッグする「伝説のエディター」だった。すべての始まりとなる第1シリーズ。

■ 第2部:『マニュアルキラー Ⅱ —校正なき改竄—』

https://ncode.syosetu.com/n4641ls/

論理パズルを愛する男・三谷と、システムを免罪符にする「ルール」との死闘。織部が「仕様」を悪用する巨悪をいかにして葬ったかを描く、緊迫の第2シリーズ。

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