第7話 過去の旅を語る吟遊詩人と、異世界を旅する味噌汁
路地裏屋台『向』の七日目。今日も常連客たちが次々と訪れ、拓海は忙しく立ち働いていた。
正午を過ぎ、一人の男が弦楽器を抱えて来店した。風に吹かれて現れたその男は、軽やかな身のこなしと、遠い世界を見てきたような瞳を持つ吟遊詩人ライラだった。
「旅の途中の者だが、珍しい噂を聞いた。異界の料理人が作る、魂の料理、と。どうか、私に故郷の歌を奏でるような一皿を」
「故郷の歌、ですか。……それなら、これですね」
拓海は、ライラの旅の疲れを癒やすと同時に、故郷の味を思い出してもらうため、味噌汁をメインに据えた定食を出した。
拓海は、異世界で手に入れた海藻類と根菜を使い、丁寧に煮出した出汁に、日本から持ち込んだ味噌を溶く。その手順は非常にシンプルだが、屋台全体に、どこか懐かしい、温かい香りを広げた。
ライラは味噌汁を一口飲んだ。彼の端正な顔が、くしゃりと崩れた。
「ああ……これは……静かなる故郷の湖畔を思い出す。派手さはないが、深く、優しく、そして、なぜか涙腺が緩む味だ」
彼は目を閉じ、静かに味噌汁をすすった。味噌の塩気と、出汁の旨味が、彼の心を穏やかにする。
「料理人よ。あなたは、元の世界に戻ることを望んでいるのか?私の知る異界の民は、皆、故郷に強い執着を持っていた。あなたも、この絆を断ち切ってまで、帰還という『ルール』を優先するのか?」
拓海は、ライラとの対話で、帰還への葛藤を深める。
「……十番目の客が、俺が故郷で諦めた何かと関わっているとしたら……それが、俺が元の世界で解決できなかった、何かと向き合うことなのかもしれません」
シリアスな対話が続く中、ライラは突然、旅の荷物から小さな布袋を取り出した。
「拓海。感謝の印に、これを献上しよう。これは遠い北の地で手に入れた**『七色茸』**の乾燥粉末だ。伝説では、どんな料理も七つの至高の風味に変化させると言われている!」
ライラはそう言って、誇らしげに粉末を味噌汁の残りに少量振りかけた。
「ああっ、ライラさん、それは——」
拓海が止める間もなく、味噌汁の表面が虹色に光り始めた。そして路地裏に、今までの味噌の香りとは全く違う、魚介類とフルーツが混ざったような、耐え難い生臭さと甘さが混在した異様な匂いが充満する。
ライラは得意げに、その味噌汁を一口飲んだ。
「う、うぐっ……!な、なんだこの味は!七つの至高の風味だと!?これは七つの地獄の風味が同時に口の中で暴れている!肉と魚と、何かわからない果実が、同時に襲いかかってくる!」
ライラは咳き込み、慌てて水をごくごく飲み干す。常連客たちもその異臭に顔を顰めた。
盗賊の娘シーナが鼻をつまんで尋ねる。「ライラさん、それ、腐ってるんじゃないの?」
ライラは顔面蒼白になった。「まさか!鮮度は問題ない!ただ、このキノコは、**『そのまま食べると甘美だが、熱を加えると地獄の複合臭になる』**と、商人が警告していたのを今思い出した!」
拓海は頭を抱えた。
「ライラさん、味噌汁は熱い汁物です!つまり、熱を加える料理です!味噌汁にキノコを入れるのは、俺の故郷では常識ですが、キノコによっては熱を加えてはいけないものもあるんですよ!」
ライラは完全に打ちひしがれた。「なんと!料理の常識とは、かくも複雑なものなのか!私の旅の常識が通用しない!」
拓海は苦笑いしながら、ライラのために新しい味噌汁を作り直した。純粋な日本の味噌汁を一口飲んだライラは、心底安堵したように息を吐いた。
「やはり、真の故郷の味とは、余計な飾りをつけない、『そのままの真実の味』なのだな……」
ライラはそう悟り、改めて拓海に感謝の言葉を述べた。
「道は一つではない。旅とは、進むことだけではない。しかし、決断をしなければ、物語は終わらない。私の歌に、あなたの決断を加えさせてくれ」
ライラは味噌汁代を払い、ギターを奏でながら立ち去っていった。拓海は、ライラが残したキノコ粉末の袋を、屋台の隅にそっと片付けた。
屋台の片隅で、頭の中でカチリと音がした。
『第七番目の客:ライラ(吟遊詩人)。カウントダウン、残り三人』




