第6話 傲慢な令嬢と、庶民のパンケーキが崩す高貴なプライド
路地裏屋台『向』の六日目。常連客のカウントは残り四人。拓海はラーメンのスープを仕込みながら、今日の客を待っていた。
その願いに反し、午後の路地裏に現れたのは、ひときわ騒がしい一団だった。豪華なフリルとレースのドレスを纏い、護衛の騎士を二人引き連れた、一人の貴族の令嬢だ。年の頃は十代後半。鼻が高く、その顔にははっきりと「庶民の食べ物など興味がない」という傲慢さが浮かんでいる。
「こちらです、お嬢様。噂の『異界の屋台』です」
護衛がそう案内すると、令嬢は露骨に顔を顰めた。
「まあ、こんな汚らしい場所で……。本当に衛兵たちが騒いでいる料理を出すの? まったく、下賤な者たちの趣味は理解できないわ」
「いらっしゃいませ。どうぞお座りください」拓海は動じることなく、椅子を勧めた。
令嬢は椅子に座るのも躊躇したが、護衛に促され、ドレスを汚さないようにそっと腰を下ろした。
「失礼ね。わたくしはエリシア・フォン・アルトレイア。この街の貴族だわ。噂を聞きつけたから仕方なく来たけれど、時間の無駄にならないことを祈るわ。わたくし、甘いものは好まないのよ」
「ご心配なく。今日のデザートは『パンケーキ』です。甘くてフワフワした、俺の故郷の優雅なお菓子です」
拓海は、パンケーキに加えて、小さな小鉢を添えた。中には、異世界のジャガイモと卵を使って作ったポテトサラダが入っている。
「こちらも、俺の故郷の軽食です。パンケーキは甘いですが、こちらのサラダは、貴族社会にはない『酸味とコク』が特徴のソースで和えています」
拓海は、異世界で手に入れた小麦粉、卵、牛乳を使い、丁寧にパンケーキを焼き上げた。上にバターを乗せ、メープルシロップをたっぷりとかけ、生クリームを添える。
ふっくらと焼き上がったパンケーキを見た令嬢は、少しだけ目を輝かせた。
「ふむ……。見た目だけは良いわね」
令嬢は銀製のフォークでパンケーキを切り、一口食べた。
その瞬間、令嬢は瞳を大きく見開き、その口元をドレスの袖で隠そうとしたが間に合わなかった。
「な、なななっ……何これ! 柔らかい! 甘い! 私が知っている硬くて味気ない菓子とはまるで違うわ!まるで、雲を食べているようよ!」
令嬢は感動しつつも、すぐに隣のポテトサラダにフォークを伸ばした。一口食べた瞬間、彼女は再び衝撃を受けた。
「このソースは……! この酸味と滑らかさ! 私の知るどのドレッシングとも違う!これが、異界の……マヨネーズとやらね!」
彼女はポテトサラダを一気に平らげた。しかし、その時、彼女の目に、残りのパンケーキと、マヨネーズがべったりついたフォークが映った。
エリシアは突然、ニヤリと笑った。それは、貴族としての威厳をかなぐり捨てた、純粋な好奇心と食欲の笑みだった。
「ふふふ……庶民の味覚は、組み合わせが大胆だわ。ならば、わたくしも挑戦してみましょう!」
エリシアは、マヨネーズが残ったフォークをそのままパンケーキに突き刺し、大きく切り取った。そして、それを口に運ぶ。
その刹那、令嬢はカッと目を見開き、顔面が紅潮し、そして満面の笑みを浮かべた。
「な、なななっ……! この酸味と甘味の、背徳的なハーモニー! 甘さをコクで引き締め、さらに甘さを求める……! これぞ、真の贅沢よ! マヨネーズ!」
令嬢は完全にマヨネーズパンケーキの虜になってしまった。彼女はパンケーキにかけるだけでなく、指につけて舐めようとする始末だ。護衛の騎士が慌てて制止に入る。
「お嬢様、お止めください! 貴族としての威厳が!」
「うるさいわ! このマヨネーズは私のよ! 拓海、これを譲りなさい! いくらでも出すわ!」
拓海は苦笑いした。彼の予想を遥かに超えた、規格外の食の好奇心だった。
「マヨネーズは販売していません。食べたいなら、また明日来てください。マヨネーズの味は、また次回のお楽しみにしましょう」
令嬢エリシアは渋々ながらも納得し、護衛の騎士たちを引き連れて路地裏を後にした。その帰り道、彼女はしきりに「マヨネーズを自家製で作らせるわ!」と叫んでいたという。彼女の傲慢な態度は崩壊し、純粋な食欲に支配されていた。
拓海は、令嬢が残した椅子の周りを片付けながら、笑いを堪えた。貴族のプライドすら、日本の庶民の味には敵わないらしい。
屋台の片隅で、頭の中でカチリと音がした。
『第六番目の客:エリシア(貴族令嬢)。カウントダウン、残り四人』
美食を知ってしまった貴族令嬢の常連客が加わり、屋台の周囲はさらに騒がしくなりそうだ。




