第5話 五人目の客は、金勘定にうるさい人間の商人
路地裏屋台『向』の五日目。天気は快晴だったが、拓海の気分は少し曇りがちだった。
(残り六人か。半分まで来ちゃったな)
昨日、盗賊の娘シーナとの交流を通じて、拓海は初めて異世界に愛着を感じた。それが、帰還へのカウントダウンを意識する重しになっている。
そんな拓海の目の前に、今日の客が現れた。
背広に似た上等な服を身に纏い、手には分厚い帳面を抱えた、中年の中肉中背の男。人間の商人だった。その目つきは鋭く、見るからに金勘定にうるさそうだ。
「おや、噂の異界の屋台はここかね」
商人は屋台を上から下まで値踏みするように見つめ、鼻を鳴らした。
「いらっしゃいませ。どうぞ」
「ふむ。この路地裏で営業とは、立地戦略がなっていない。集客を考えるなら、大通りから二本目の角が最適だ。なぜこんな、薄汚い場所でやっているのかね?」
商人は椅子に座るなり、批評を始めた。
「あと、あの看板! 『ラーメン』? 『唐揚げ』? 異世界では通用しないネーミングだ。もっと顧客の想像力を刺激する、『炎の鶏肉と奇跡の汁物』とか、そういう魅力的な名前をつけたまえ」
拓海はイライラを抑えながら、今日のメニューを提示した。
「今日の定食は『カレーライス』です。ルーの香りが特徴的な、俺の故郷の国民食です」
「カレーライス? またわけのわからない名前を……。値段は? この場所で、この設備で、この価格設定では、利益率が低い。原価計算を見直した方がいい」
商人は帳面を開き、持論を展開し始めた。彼は街で中規模の雑貨商を営むギルドの幹部らしい。
拓海は、この異世界に来て初めて、本格的な「顧客からのクレーム」に直面した。
(うるさいなぁ……。客はただ美味いものを食ってりゃいいんだよ)
拓海は無言で、鍋から熱々のカレーを白飯の上に流し込んだ。異世界米に合うように、スパイスを調合し、長時間煮込んだ自慢のルーだ。
商人は文句を言い続けながらも、目の前の皿を一瞥した。黄色と茶色が混じり合った、見慣れない食べ物だ。
「ふむ。見た目はまあ……」
商人はスプーンでカレーライスを一口食べた。
その瞬間、商人の目の前の帳面が、ガタン、と音を立てて床に落ちた。
「な、なんだ、これは……! 複雑だ! 一口ごとに味が変化する! 最初は甘く、次に辛さが追いかけてきて、最後に肉と野菜の旨味が残る……。まるで、『商談のテクニック』のようだ!」
商人は目を見開き、一瞬にして商売の論理を忘れて夢中になって食べ始めた。
「このカレーは、顧客の心を掴むための完璧な戦略を持っている! 辛さで注意を引き、旨みで満足させる! そして、また次の一口を誘う……!」
商人はカレーを一心不乱にかき込んだ。食べ終える頃には、その顔は汗だくになり、すっかり満足げな笑顔を浮かべていた。
「料理人よ! 最高のビジネス教材だ! 私はこれで、新たな商売の活力を得た!」
商人は床に落ちた帳面を拾うと、今度は屋台の褒め言葉を書き始めた。
「この路地裏という立地も、実は『秘密の隠れ家』という付加価値を生んでいる! 私の見る目がなかった! 私はこのカレーで、全てを見直せる!」
彼はそう言って、拓海に深々と頭を下げた。
「私の名はバルカス。これからは、私のビジネスの活力を得るための、秘密の場所とさせてもらう!」
バルカスは代金に加えて、珍しい異世界の香辛料を置いて去っていった。その足取りは、店の利益率の心配など、微塵も感じさせないほど軽快だった。
拓海はバルカスの残したスパイスを手に、笑みを浮かべた。
「うるさかったけど、まあ、いい客だったな」
これで、目標の半分だ。カウントが五人目を指したことで、拓海は改めて自分の心に問いかけた。本当に、元の世界に戻るべきなのだろうか。この異世界には、まだ見ぬ食材や、料理で救える人々がたくさんいる。
屋台の片隅で、頭の中でカチリと音がした。
『第五番目の客:バルカス(商人)。カウントダウン、残り五人』
折り返し地点を通過した屋台は、残りの五人と、運命の十番目の客を待つ。




