第4話 追われる盗賊の娘。秘密を共有するオムライス
路地裏屋台『向』の四日目。今日は風が強く、屋台のテントがバタバタと音を立てていた。
昨日の魔術師ファウストからもらった新鮮さを保つ魔術のおかげで、食材の管理は格段に楽になった。常連客が増えるたびに、この異世界での生活が便利になっていく。
(残り七人……帰還へのカウントは着実に進んでるけど、なんかもう、こっちでの生活が板についてきたな)
拓海は、オムライスの具材である鶏肉を炒めていた。今日のメインは、誰にとっても馴染み深い、あの家庭の味だ。
そのとき、路地裏の奥から、けたたましい足音と怒鳴り声が近づいてきた。
「見つけたぞ! 盗賊の残党め!」
「くそっ、しつこい!」
突然、一人の少女が、拓海の屋台の奥へと飛び込んできた。
少女は全身を暗い色の布で覆い、フードを目深に被っている。かろうじて見えた目元は、怯えと焦燥に満ちていた。手には小さな短剣を握っている。
「お願い! 隠して!」
拓海が状況を理解する前に、路地裏の入口に、町の衛兵らしき男たちが現れた。
「おい、そこの屋台の主人! 今、女がここに逃げ込んだのを見たはずだ! どこへ行った!」
衛兵たちは剣を抜き、殺気立っている。少女は拓海の背後に身を潜め、小さく震えていた。
「ああ、お客さんなら今しがた帰りましたよ」
拓海は平然と答えた。「昨日から毎日来てくれるエルフの騎士さんですが、今日はラーメンではなく、プリンをご所望でしたね」
「エルフだと? ちっ、貴族の相手は面倒だ。見逃すわけにはいかん、もう一度探せ!」
衛兵たちは不審に思いながらも、屋台の奥までは入らず、路地裏の別の方向へと走り去っていった。
衛兵たちの足音が遠ざかると、少女はフーッと息を吐き、崩れ落ちるように座り込んだ。
「あ、ありがとう……助かった」
「怪我はないですか? あまり衛兵に追われるような真似はしない方がいいですよ」
「うるさいな。これは私の事情だ」
少女は短剣をしまい、フードを少し持ち上げた。顔にはすす汚れがついているが、瞳はまだ幼さが残る、はっきりとした色をしていた。
「……腹が減った。何か食わせてくれ。追われている間、何も口にしていない」
「ちょうどよかった。今日は、俺の故郷の優しい料理がありますよ。オムライスといいます」
拓海はそう言って、ケチャップライスを丁寧に炒め、薄く焼いた卵で包み込む。皿に盛り付け、最後にケチャップでシンプルに、しかし愛情を込めて飾り付けた。
少女は警戒心を捨てず、箸ではなくスプーンでオムライスを一口食べた。
その瞬間、短剣を握っていた少女の指先から、力が抜けた。
「何、これ……?」
卵の優しくふわりとした食感。ケチャップライスの甘酸っぱさと、炒めた肉の旨み。それは、殺伐とした盗賊団の生活や、追われる日々の緊張とは、あまりにかけ離れた味だった。
「温かい……。誰にも邪魔されない、私だけの秘密の場所の味だ……」
少女は静かに、しかし夢中になってオムライスを食べ始めた。衛兵に追われていたことなど、すっかり忘れてしまったようだ。
拓海は皿を空にした少女に、温かいお茶を出した。
「あなたは、盗賊なんですか?」
「……私は、盗賊団の娘。外の世界は怖い。でも、こんなに優しい味があるなら、また来てもいい?」
少女は上目遣いに、不安そうに拓海を見上げた。
拓海は優しく頷いた。
「もちろんです。ここは、あなたの秘密の場所にしてくれて構いませんよ。ただし、衛兵には見つからないように」
「ありがとう、料理人。私の名前は、シーナだ」
シーナは代金をそっと置き、再びフードを深く被ると、路地裏の暗がりに消えていった。
拓海はフライパンを洗う手を止め、空になったオムライスの皿を見つめた。
(盗賊の娘が、秘密の場所にしてくれた、か……)
誰にも知られず、ただ黙々と料理を作り、誰かの人生に一瞬でも温かい安らぎを与える。元の世界での孤独な料理人生とは比べ物にならない、確かな『充足感』が、拓海の胸に広がる。
このとき、拓海は初めて、「十番目の客が来て、元の世界に帰還するのは、少し寂しいかもしれない」という感情を抱いた。
屋台の片隅で、頭の中でカチリと音がした。
『第四番目の客:シーナ(盗賊の娘)。カウントダウン、残り六人』
十番目の客が扉を叩くまで、路地裏の屋台は、誰かの秘密と温かさを守り続ける。




