第3話 孤独な老魔術師と、冷たいプリンの温かい記憶
路地裏屋台『向』の三日目。今日のメニューは、ラーメンと唐揚げに加え、デザートの『プリン』を看板に掲げていた。
拓海は昨日、獣人の戦士ザンバが残した大声のおかげで、路地裏を歩く人々の視線がわずかに変わったのを感じていた。警戒心の中に、奇妙な興味が混じっている。
「召喚装置……まあ、見たことない人にはそう見えるかもな」
そうこうしているうちに、今日の客が現れた。
深紫色のローブを纏った、年老いた男だ。顔には深い皺が刻まれ、その杖の先端には、微かに魔力の光が揺らめいている。魔術師だった。
魔術師は屋台の前に立ち止まると、その杖で拓海を指し示した。
「異界の民よ。貴殿が路地裏で妙な魔道具を使い、怪しい肉を振る舞っていると聞いたが……」
「怪しくないですよ。ただの料理人です。いらっしゃいませ。よろしければ、ラーメンでも」
魔術師は杖を下げ、深くため息をついた。
「いや、違う。魔力探知で追ってきたのだ。この辺りに、非常に強力な『癒やし』の魔力が集積していると察知した」
魔術師の顔には疲労の色が濃く、その視線はどこか遠くを見つめている。
「癒やし、ですか。……じゃあ、今日のおすすめは『プリン』ですね。冷たくて甘い、俺の故郷のデザートです」
拓海はそう言って、冷蔵庫からガラスのカップに入ったプリンを取り出した。なめらかなカスタードの上には、琥珀色のカラメルソースがキラキラと光っている。
魔術師はプリンを怪訝そうに見つめた。異世界では、甘いものは高価な砂糖を使った菓子か、あるいはフルーツをそのまま食べるのが主流だ。こんなに滑らかで、冷たい食べ物は見たことがないらしい。
「この妙な形をしたものが、癒やしをもたらすというのか?」
「食べてみればわかりますよ」
魔術師は杖を地面に置き、スプーンを手に取った。ゆっくりと一口、口に運ぶ。
プリンのひんやりとした口当たり、舌の上でとろけるカスタードの優しさ、そしてカラメルのほろ苦い甘さが、魔術師の口いっぱいに広がった。
魔術師の動きが、ピタリと止まった。
静寂の中、彼は二口、三口とプリンを食べ進める。その皺だらけの目尻に、水滴がにじんだ。
「……ああ、これは……」
魔術師はスプーンを止め、カップを両手で包み込んだ。
「遠い、遠い昔の記憶だ。若かった頃、母が病で倒れる前に、隠れて作ってくれた……たった一度だけの甘い食べ物」
魔術師は長年、魔力探求の道のりで数々の失敗と孤独を経験してきた。特に、十年前の実験失敗以来、彼は心を閉ざし、人との交流を避けてきたという。
「私は魔力の探求に全てを捧げた。そのせいで家族を失い、友人からも孤立した。得たのは力と、この冷たい孤独だけだ」
彼はそう言って、プリンを一口食べるたびに、まるで過去の自分と対話しているかのように、涙を拭った。
拓海は静かに魔術師を見つめ、新しいスプーンを差し出した。
「孤独は、甘いものじゃ解決しませんよ。でも、孤独な時にこそ、誰かが作った温かい(あるいは冷たい)ものは効くんです」
プリンを完食した魔術師は、初めて穏やかな表情を見せた。
「異界の料理人。そなたの言葉と、この『プリン』は、私の凝り固まった魔力の流れを、まるで清流に変えたようだ」
魔術師は立ち上がり、深く一礼した。
「私は、ファウストと申す。この屋台と、そなたの料理を忘れないだろう」
彼は代金を支払い終えると、屋台の前の地面に、魔力で小さな魔法陣を描いた。
「これは、感謝の証だ。この屋台の食材が尽きそうになった時、少しだけ『新鮮さを保つ魔術』を発動させる。……また来る。今度は、そなたの言う『ラーメン』とやらを試そう」
魔術師はそう言い残し、路地裏の奥へと消えていった。彼の足取りは、来た時よりも少しだけ軽くなっていた。
拓海は魔術師が描いた魔法陣を覗き込む。目に見えない魔力が、冷蔵庫の周りをほんのりと漂っているのを感じた。
(妙な恩恵を得ちゃったな……。でも、孤独な魔術師ファウストの心は、これで癒やされたんだろうか)
屋台の片隅で、頭の中でカチリと音がした。
『第三番目の客:ファウスト。カウントダウン、残り七人』
十番目の客へと続くカウントダウンは、異世界の住人の人生に小さな奇跡を起こしながら、着実に進んでいく。




