第27話 閉店準備。料理人としての未練と、残された課題
路地裏屋台『向』の二十七日目。拓海が十番目の客を迎える覚悟を最終的に固めた翌日、路地裏は別れを予感させるような静けさに包まれていた。拓海は、屋台のすべての機能を点検し、故郷へ持ち帰るべきものと、この異世界に残すべきものを分類していた。
(この屋台のチート機能は、俺が帰還すればすべて消える。異界の食材の知識だけは、なんとかレシピとして残しておかないと。彼らがこの世界の食文化を進化させるための種だ)
拓海は、レシピ帳を広げ、異世界の食材を日本の調味料で再現する方法を書き込んでいった。シルフィードに伝授するハンバーグの肉の配合、ザンバのための唐揚げの衣の黄金比、バルカス向けの香辛料の最適な仕入れルート。一つ一つが、常連客たちへの、彼なりの「最後の贈り物」だった。
午前中、最初に屋台を訪れたのは、貴族令嬢エリシアだった。彼女はいつになく真剣な表情で、護衛騎士を遠ざけている。
「拓海。本当に帰るのね」
「ええ。その準備です」
「そう……」エリシアは小さな声で言った。「わたくしの社交界の革命は、始まったばかりよ。マヨネーズを広め、庶民の知恵を貴族の食卓に取り入れているわ。でも、貴方がいなくなったら、この味の基準が失われるわ」
エリシアは、寂しさを隠すように、ポテトサラダ用のマヨネーズの作り方を熱心に拓海に尋ねた。拓海は、卵の分離から乳化のコツまで、細部にわたって伝授した。
「マヨネーズの真髄は、手間を惜しまないことですよ。貴族の威厳なんて関係ない。その手間こそが、貴族社会を変える力になります」
エリシアはレシピ帳を握りしめ、「この味を、わたくしがこの世界で守り抜くわ」と、決意を新たにした。彼女は、別れを惜しむ代わりに、拓海の意志を継ぐことを選んだのだ。
昼頃、次に訪れたのは、盗賊の娘シーナだった。彼女は、フードを目深に被り、屋台の隅に座り込んだ。
「ねえ、拓海。この屋台がなくなったら、私、どこに行けばいいの?ここが、誰にも追われない、私だけの秘密の場所だったのに」
シーナの声は、不安に震えていた。彼女にとって、この路地裏の屋台は、孤独な生活の中での唯一の安息の地だった。
「シーナ。君はもう大丈夫だ。君はもう、以前のように誰かに隠れる必要はない。君はもう、この路地裏の平和を影で守る『情報屋』として生きていける。君の聴力と機敏さは、そのための最高の武器だ」
拓海は、シーナのために、温かいオムライスを作って出した。シーナはオムライスを一口食べるたびに、涙を流した。
「でも、この温かさは……」
「この味は、君の心の中にも残ります。そして、君が、この路地裏で困っている誰かに、そっとパンを差し出してあげられるようになれば、その温かさは君が受け継いだことになる」
シーナは、オムライスを完食した後、静かに立ち上がった。「わかったわ。あんたが作った温かい場所を、私がここで守る」彼女は、自分の愛用の短剣を拓海の屋台の隅に置き、決意の証とした。
午後の静寂が訪れ、拓海が残りの道具の片付けを進めていたその時、ドラゴン娘ファフナが、いつものように屋根の上からドスッと音を立てて飛び降りてきた。
「料理人!今日は何があるんだ!最後の晩餐なのか!?」
拓海は、ファフナのあまりにも呑気な態度に、張り詰めていた心が少し緩むのを感じた。
「最後の晩餐は明日ですよ。今日はもう、ほとんど食材が残っていません。閉店準備中です」
ファフナは、路地裏の感傷的な雰囲気を、一瞬でぶち壊した。彼女は空っぽの冷蔵庫を覗き込み、悲鳴を上げた。
「なんだと!肉がない!米がない!私のエネルギー源が枯渇している!嘘だと言ってくれ!」
ファフナは、拓海の足元に縋り付いた。「料理人!私を置き去りにしないでくれ!あんたがいないと、私はまた、美味しくない魔物を食べて、魔力制御を失敗しちゃう!」
拓海は、ファフナの悲痛な叫びに、笑いをこらえられなかった。ファフナは、別れの切なさを理解しつつも、それを純粋な「食の危機」として表現しているのだ。
「大丈夫ですよ、ファフナ。俺がいない間も、君が自分で最高の食材を見つけられるように、最後の特別授業をしてあげます」
拓海は、残り物の野菜の切れ端と、わずかに残った調味料を使い、『最強の卵かけご飯』の作り方を伝授した。
「料理の基本は、シンプルな素材を最大限に活かすことだ。卵とご飯。これだけでも、最高の料理になる」
ファフナは、真剣な表情で、卵かけご飯を平らげた。「う、美味い!こんなにシンプルなのに、なぜだ!この卵の輝きは、私の未来のエネルギーだ!」
彼女は、拓海からもらったレシピ帳を握りしめた。その帳面には、唐揚げの黄金比から、マヨネーズの作り方まで、拓海の料理のすべてが詰まっていた。
「わかった、拓海。私は、あんたの料理をこの異世界で守り、広める。そして、あんたが帰ってきた時に、最高の食材を用意しておく!」
ファフナは、別れの感傷に浸ることを拒み、未来の食糧確保という、ドラゴンとしての使命を全うすることを選んだ。
拓海は、常連客たち一人ひとりが、自分の料理人としての誇りを継いでくれることを確信し、安心して故郷へ帰る準備を整えた。




