第2話 絶望の獣人戦士を奮い立たせる、揚げたての勇気
路地裏屋台『向』の二日目。昨日、エルフの騎士シルフィードが転がり込んできたおかげで、拓海の心境は少しだけ変わった。
(秘匿された文献、か。俺の帰還には、この世界の何かデカいものが絡んでそうだ。まあ、知ったこっちゃないけど)
十番目の客がいつ現れるかはわからない。だが、屋台を開いている以上、料理は作らなければならない。それが唯一のルールだ。
拓海は、鶏肉をタレに漬け込みながら、今日のメニュー『唐揚げ定食』の準備をしていた。
そのとき、路地裏の入口に、大きな人影が立った。
背丈は拓海より頭一つ分高い。全身には粗末な毛皮の鎧を纏い、背中には使い込まれた大剣を背負っている。顔は精悍だが、口元には狼のような鋭い牙が覗き、頭にはピンと立った獣の耳があった。獣人の戦士だ。
獣人はゆっくりと屋台に近づいてきたが、その足取りは重く、ひどく疲弊しているように見えた。鎧には大きな切り傷があり、左腕は布で固く巻かれている。
「……こんな場所で、何を売っている?」
獣人の声は低く、威圧的だったが、瞳の奥には絶望のような暗い色が沈んでいる。
「いらっしゃいませ。料理屋です。今日は『唐揚げ定食』がありますよ」
獣人は「からあげ?」と聞き慣れない響きを繰り返す。
「ああ。異界の肉料理で、食べれば体が奮い立つ、勇気の源です」
獣人はふと、拓海の顔を見た。
「勇気、だと……? そのようなものは、とうの昔に失った」
彼はそう言って、屋台の椅子にドサリと座り込んだ。拓海は深くは聞かず、早速調理を始めた。
鶏肉に衣をつけ、油が熱くなったフライヤーに投入する。ジュワァァァ、という豪快な音と、香ばしい匂いが路地裏に広がる。
獣人の耳がピクピクと動き、その暗かった瞳に、わずかに光が灯った。
「なんだ、この匂いは……! 油の匂いではない。肉の、魂が弾けるような香りだ!」
「衣で閉じ込めて、肉汁を逃がさないように揚げるんですよ」
揚げ上がった唐揚げを皿に盛り付け、異世界米で作った白飯、味噌汁、そして千切りキャベツを添えて獣人の前に差し出した。
獣人は大剣を外し、両手を合わせて唐揚げを掴んだ。その分厚くゴツゴツした指先は、戦いの中で何度も傷つき、癒えてを繰り返した証拠だろう。
熱さを気にせず、獣人は唐揚げを一口で頬張った。
ザクッ、と衣が砕ける軽快な音。そして、口の中にジュワッと広がる、濃いタレとスパイスの味。
「ぐっ……! これは……」
獣人の目は見開かれた。その表情は、感動なのか、驚愕なのか判然としない。
「う、美味い……! なぜだ!? 故郷の母親が作ってくれた、あの……祭りの日にしか食べられなかった肉料理の味に、似ている……!」
彼は唐揚げを噛みしめながら、大粒の涙を流し始めた。
「この間、俺は任務に失敗し、仲間を危険に晒した。もう、故郷にも、仲間の元にも帰る顔がないと……」
「そいつは、この唐揚げが解決することじゃないでしょう」
拓海は冷静に言い放った。獣人はハッとして顔を上げる。
「ですが、なぜか、力が……湧いてくる。この肉は、俺に『まだ戦える』と囁いているようだ」
唐揚げ定食を完食した獣人は、すっかり顔色も良くなり、立ち上がった。
「……ありがとう。異界の料理人よ。俺の名はザンバ。あなたは、俺が失ったと思った誇りを、この肉と共に返してくれた」
ザンバはそう言って代金を支払い、路地裏を力強く歩いていく。その背中は、来た時とは比べ物にならないほど、堂々としていた。
拓海は満足して洗い物を始めた。ふと、屋台の隅に置きっぱなしの電子レンジにザンバが強い関心を持っていたことを思い出した。
(そういえば、あの人、ずっとレンジを見てたな)
そのとき、路地裏の奥から、ザンバの大きな叫び声が響いてきた。
「あれは召喚装置だ! あの料理人は、魔物を呼び出しては食っていたのか!?」
拓海は思わず額に手を当てた。どうやら、彼には電子レンジが「異界の危険な魔物を瞬時に呼び出す装置」に見えていたらしい。
(昨日から誤解ばっかりだな、この路地裏は……)
拓海は苦笑いしながら、また一つ、カウントが減ったことを意識した。
屋台の片隅で、頭の中でカチリと音がした。
『第二番目の客:ザンバ。カウントダウン、残り八人』
異世界での日々は、賑やかな誤解と、熱々の料理と共に続いていく。




