第18話 過去との再会。元の世界で「作りたかった料理」の再現
路地裏屋台『向』の十八日目。拓海は、キノコの天ぷら事件を通じて、自分の料理が異世界にもたらす「変革の力」を再認識した。十番目の客を迎える前に、彼は過去との決着をつける必要があると感じていた。神官クロノスが指摘した「料理人としての夢を諦めた未練」だ。その未練を断ち切らなければ、十番目の客を迎える資格はない。
今日の午後、拓海の屋台に、一人の女性客が現れた。彼女は、日本人ではないが、どこか懐かしい雰囲気を持っていた。背筋が伸び、身なりは質素だが清潔だ。彼女の瞳には、拓海の元の世界で見た、夢を追う人特有の、諦めきれない光が宿っているように見えた。
彼女は屋台のメニューを一瞥し、静かに注文した。
「故郷の料理ではない、ただ温かいご飯をお願いします。……私は旅人です。故郷を離れ、新しい世界で暮らしているが、時々、理由もなく心が冷える」
拓海は、彼女の言葉に、元の世界で料理人としての夢を諦め、惰性で働いていた頃の自分を重ねた。夢を追うことに疲弊し、心が空っぽになっていた過去だ。
「わかりました。故郷の料理ではありませんが、俺が『元の世界で、いつか大切な人に作りたかった料理』を提供します」
拓海にとってナポリタンは、特別な料理だった。それは、かつて拓海が故郷で開くはずだった自分の店で、最初に提供するつもりだった、シンプルで温かいメニューだ。しかし、両親の反対や、成功への恐怖から、結局、誰にも作ってあげられなかった料理。彼の夢の敗北の象徴でもあった。
拓海は、異世界で手に入れた太い麺を茹で始める。麺が茹で上がる間に、具材を準備する。ピーマン、玉ねぎ、そして異世界の香りの良いソーセージ。これらを細切りにする。
熱したフライパンにバターを溶かし、具材を丁寧に炒める。拓海は火力を調整し、具材のシャキシャキ感を残すよう、細心の注意を払った。そこへ茹で上がった麺を投入し、主役のケチャップソースを加える。
ケチャップは、異世界の真っ赤なトマトを煮詰めて作った特製のソースを使った。単なる酸味ではなく、トマト本来の甘味と深みを持つソースだ。拓海はフライパンを力強く振り、ソースを麺と具材に絡ませる。路地裏に広がる、懐かしく、甘酸っぱいナポリタンの香り。それは、拓海自身の過去の未練の匂いだった。
拓海は、皿にナポリタンを丁寧に盛り付け、粉チーズをたっぷりと振りかけた。その見た目は、日本の喫茶店で出てくる、愛情のこもった一皿そのものだった。
女性はナポリタンを一口食べ、目から涙を流した。
「ああ……これは、私が諦めた、『温かい家庭』の味だ……」
女性は、元の世界で恋人との夢を諦め、この世界に来たという。彼女の未練は、「料理で、大切な人を笑顔にする」という、拓海と似たものだった。
「私は、夢を諦めてしまった。努力が足りなかったから、と自分を責めていた。この温かい料理は、その過去の自分を、初めて許してくれたような気がする。失敗しても、この温かさが、また立ち上がる勇気をくれる」
拓海は、ナポリタンを通して、過去の自分と対峙した。
「料理は、逃げじゃない。諦めた夢でもない。誰かを笑顔にできる、最高の仕事だ。俺は、この異世界でそれを学びました。ここで、皆さんと出会うまで、俺はずっと過去の未練から逃げていた。でも、もう違います。俺はもう、過去の自分を責めません」
拓海は、自分がこの異世界で常連客たちと築いた絆が、元の世界での未練を完全に断ち切ってくれたことを確信した。
女性はナポリタンを完食した後、静かに拓海に感謝を伝えた。
「ありがとう、料理人。私は、自分の夢を諦めたことを後悔しないように、この世界で生きていきます。あなたも、必ず、故郷で自分の店を開いてください。この、温かいナポリタンを、たくさんの人に振る舞うために」
女性はそう言い残し、路地裏を去っていった。拓海は、空になったナポリタンの皿を見て、心の中で深く頷いた。
(十番目の客が、俺の『過去の情熱』の象徴だとしても、もう怖くない。俺の情熱は、この路地裏で、常連客たちのおかげで完全に復活した)
拓海は、料理人としての誇りを取り戻し、十番目の客を迎える覚悟を固めた。




