第10話 九人の常連客が集い、告げられるカウントダウン
路地裏屋台『向』の十日目。異世界に召喚されてからちょうど十日目の朝、拓海は屋台の前に立っていた。フライヤーの油は澄み、ラーメンのスープは最高の出汁が取れている。十番目の客を迎える準備は、物理的にも、そして拓海の心の中でも整っていた。
(今日が、区切りだ)
いつものように正午から屋台を開くと、路地裏はかつてない賑わいを見せた。
まず最初に現れたのは、獣人の戦士ザンバだった。彼は昨日よりもさらに力強い足取りで現れ、迷いなく唐揚げ定食を注文する。
「この唐揚げは、俺の誇りを取り戻す薬だ」
続いて、深紫色のローブを纏った魔術師ファウストが、穏やかな表情で姿を見せた。彼はプリンではなく、ついにラーメンを注文し、その深遠な旨みに感嘆の声を漏らした。
「この熱とコク……魔力の探求と同じく、終わりなき深淵だ」
三番目は、盗賊の娘シーナだ。いつものように唐揚げをつまみながら、拓海に世間の裏情報を流す。
「あんたの噂は、もう路地裏だけじゃない。衛兵どころか、貴族の娘まで来てる。いい加減、この屋台は目立ちすぎだ」
シーナの言葉通り、続いてフリルとレースのドレスを纏った貴族の令嬢エリシアが、護衛を連れて現れた。彼女はパンケーキと、ポテトサラダを注文し、公衆の面前であることを忘れ、自らマヨネーズをパンケーキにかけて至福の表情を浮かべた。
「この背徳こそが、真の優雅だわ!」
そして、常連客たちが次々と屋台を取り囲んだ。
エルフの騎士シルフィードは、真剣な面持ちでカレーライスを平らげる。吟遊詩人ライラは、味噌汁をすすりながら、遠い故郷の歌を静かに奏でる。商人バルカスは、生姜焼き定食を豪快に食べ、今日も異世界の経済状況について熱弁をふるう。
ドワーフの鍛冶師グスタフは、一番奥の席で寡黙に生姜焼き定食を完食し、拓海に無言で深く頷いた。
そして、最後に、真っ赤な髪のドラゴン娘ファフナが、屋根の上から飛び降りてきた。
「料理人!今日こそ全メニューだ!特に牛丼の大盛りを八杯!」
ファフナが屋台を飢餓の渦に巻き込もうとするが、拓海は静かに手を上げた。
「すいません、ファフナ。今日は、特別な日なんです」
拓海は常連客全員を見回した。エルフ、獣人、人間、ドワーフ、ドラゴン。彼らは皆、拓海の料理を通じて、故郷の味、癒やし、勇気、そして人生の喜びを見出してくれた。
路地裏は満席になり、静寂に包まれた。誰もが拓海の次の言葉を待っている。
拓海は、フライパンの前に立ち、深く息を吸い込んだ。
「皆さんに、一つ、話しておかなければならないことがあります」
彼は語り始めた。自分が異世界から召喚されたこと。そして、十番目の客が来た時、この屋台は消滅し、自分は元の世界に帰還するという、召喚の時に告げられた「ルール」を。
路海に集まった常連客たちは、一瞬、全員が凍り付いた。
最初に声を荒げたのはファフナだった。
「なんだと!屋台が消える!?じゃあ、私の飯はどうなるんだ!私はまだ、この世界の食材を使った、お前の料理を全て食べてないぞ!」
エリシア令嬢も、貴族の威厳を忘れ、立ち上がった。
「馬鹿なことを言わないで!わたくしからマヨネーズパンケーキを取り上げるつもり!?この屋台がなければ、わたくしの優雅な食生活は崩壊するわ!」
シルフィードは、静かだが強い怒りを込めた声で言った。
「その『ルール』とやら、どこから来たものだ。我々の文献では、異界の民の帰還は、この世界を巻き込むほど強力な魔力を必要とする。十番目の客とやらが、一体何をするというのだ」
ザンバが、大剣の柄に手をかけた。
「俺は、ここで力を取り戻した。もし、その十番目の客が、お前の帰還の障害になるのなら、俺が切り伏せてやる」
拓海は、彼らの反応に心を打たれながらも、首を横に振った。
「大丈夫です。十番目の客が、俺を連れ帰るための『きっかけ』なんです。俺は、皆さんの料理を作り続けることで、帰る覚悟を決めました。俺の故郷で諦めた『料理人としての誇り』を、この異世界で、皆さんが返してくれたからです」
彼は、グスタフの生姜焼き定食を思い出しながら、静かに言った。
「俺は、十番目の客が誰であれ、逃げずに、最高の料理で迎え撃ちます。そして、この屋台での仕事を終えます」
ライラが、静かに弦楽器を弾き始めた。その音色は、寂しさと決意が入り混じった、美しいメロディだった。
「料理人よ。あなたの選んだ道ならば、私は歌う。たとえこの屋台が消え去ろうとも、この路地裏で生まれた『絆』は、私の歌と共に、この世界に残るだろう」
常連客たちは、それぞれのやり方で拓海の決断を受け入れようとしていた。しかし、彼らの顔には、大切なものを失うことへの、明確な寂しさが浮かんでいた。
その時、路地裏全体に、強烈な魔力の波動が走った。
それは、これまでのどんな客がもたらした魔力よりも強く、拓海の心臓を直接掴むような、重々しい圧力を伴っていた。
路地裏の奥、日の光が差し込む入口が、ゆっくりと、しかし確実に影に覆われていく。
屋台の片隅で、頭の中で、誰もが予想しなかった大きな音が鳴り響いた。
カチリ、カチリ、カチリ。
『第十番目の客:?。カウントダウン、完了』




