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異世界で屋台を開いたら、10番目の客が俺を故郷へ連れ帰るらしい  作者: ひろボ


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第1話 最初の客は高潔なエルフ。「命の水」と勘違いされた醤油ラーメン

 路地裏のコンクリートは埃まみれで、昼だというのに薄暗い。


 俺、向田拓海は、その埃まみれの片隅に、真新しい屋台をポツンと構えていた。


「いや、どう見ても営業許可が下りる場所じゃないだろ、ここ……」


 異世界に転移してから三日。


 気がつけば見知らぬ路地裏にいて、なぜかこの屋台一式が手元にあった。屋台は現代日本の軽トラックを改造したようなデザインで、ガスコンロも冷蔵庫も、なんなら電気まで使える優れものだ。


 しかし、周りの建物は全て石造り。空には二つの月が浮かび、行き交う人影は耳の尖ったエルフや、獣の耳を持つ獣人ばかりだ。間違いなく、ここは俺のいた日本ではない。


 転移直後、頭の中に響いた声が状況を説明してくれた。


 *「料理人ヨ。貴殿ニ、異世界ノ住民ノ『食』ニ対スル認識ヲ変革スル使命ヲ与エル」*


 *「この屋台は『ターミナル』。任務完了の条件は【店の評判が最大に達し、十番目の客が来店すること】。それが貴殿を元の世界へ帰還させる鍵となる」*


 つまり、俺は異世界で料理を振る舞い、その最終ゴールである「十番目の客」を見つけたら、問答無用で元の世界へ帰るらしい。


(元の世界に帰って、何があるってわけでもないけどな……)


 拓海は苦笑いしながら、屋台の前に手書きの看板を立てた。『路地裏屋台 向』。メニューはとりあえずラーメンと唐揚げ、そしてプリンだ。


「さあ、誰が最初の客になるのやら」


 その瞬間、ガツン、と屋台の横を何かが通り過ぎた。


 振り返ると、そこに立っていたのは、銀色の甲冑を纏った一人の男。いや、男ではない。スラリとした長身に、絹糸のような金色の髪。そして、長く尖った耳を持つ、エルフの騎士だった。


 騎士は辺りを鋭い目つきで見回し、路地裏の暗闇に紛れようとしている。明らかに何かを追っているか、誰かに追われている様子だ。


 騎士は拓海の屋台を視界に入れた瞬間、ピタリと動きを止めた。その翡翠色の瞳には警戒の色が浮かんでいる。


「……何の真似だ? このような場所で、見たこともない道具を広げて」


「いや、単なる屋台ですよ。見ての通り、料理屋です」


 拓海がヘラヘラと笑いかけると、騎士は甲冑の隙間から、フッと鼻で笑った。


「料理? この埃っぽい場所で? 衛兵なら通報するぞ。ここは帝国軍の立ち入り禁止区域に近い。すぐに片付けろ」


「立ち入り禁止……。それは困りましたね」


 拓海が困った顔をしていると、騎士はハッと何かを思い出したように、屋台の端に置かれた小さな瓶に目を留めた。


 それは、日本の食卓には欠かせない、あの醤油の瓶だった。


 騎士は一歩踏み出し、その瓶を指差した。声にはわずかな動揺が混じっている。


「その黒い液体……異界から来たお前が持っているという、『命の水』か?」


「え? 命の水? いや、ただの醤油ですけど」


「とぼけるな!」騎士は声を荒げた。


「この地でこれほど異質な、鉄の魔道具を広げる人間など、ありえない。貴様は、我ら上層部が秘匿してきた古代の文献に記された、『異界の民』だろう! その文献には、彼らは自らの命を繋ぐ特別な液体を持っていると記載されている!」


「秘匿された文献……」


 拓海は思わず声を失った。どうやら、自分の転移は、異世界で一部の支配者層が知る『タブー』に関わっているらしい。


「命の水ならば、今、私に力を与えてくれよう。これさえあれば、追っ手の追跡も振り切れる!」


「ちょっと待ってください! それは……!」


 拓海の叫びも虚しく、高潔なるエルフの騎士は、まるで神聖な儀式を行うかのように、仰々しく醤油瓶の蓋を開け、ゴクリ、ゴクリ、と一口、二口と流し込んだ。


 その瞬間、騎士の顔面が、銀色の甲冑の下で、赤と紫と白のグラデーションに染まった。


「ふ、ぐっ……!? ぬぐっ、塩辛い! 塩が! 舌が! 喉が! 熱い! 文献は嘘を書いたか!?」


 騎士は甲冑を着たまま、その場でゴロゴロと転げまわり始めた。まるで、今まで築き上げてきた騎士の威厳と誇りを、まとめて路地裏の地面に叩きつけたかのようだ。


「だから言ったでしょう! それは料理の調味料です! 命の水じゃない!」


 拓海は慌てて屋台の裏からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、騎士の口元に突きつけた。騎士は水を見た瞬間、鬼気迫る形相でボトルを奪い取り、半ばヤケクソ気味に飲み干した。


 数分後、騎士はぜいぜいと息を切らしながら、壁に背をもたせかけていた。その顔は、醤油を飲む前よりも遙かに疲弊している。


「……異界の料理人よ。貴様は、私を謀ったな」


「謀ってませんよ! 勝手に命の水とか言ったのはそっちでしょう! ていうか、騎士団の人がなんでこんな路地裏にいるんですか」


 拓海が尋ねると、騎士は気まずそうに目を逸らした。


「任務……いや、追跡中に体力を消耗しただけだ。くそ、舌がまだ痺れている……」


 騎士はチラリと屋台を見た。拓海はため息をつき、騎士に椅子を勧めた。


「まあ、そういうことで。何か食べていきますか? 醤油をぶちまけられた腹いせに、せめて醤油の正しい使い方を教えてあげますよ」


 拓海はそう言って、屋台のコンロに火をつけた。


「今から作る料理は『ラーメン』といいます。熱い汁と麺を組み合わせた、俺の故郷のソウルフードです」


 拓海は慣れた手つきで寸胴から熱々の醤油ベースのスープを丼に注ぎ、茹で上がった細麺を投入する。その上には、丁寧に仕込んだチャーシューとメンマ、そして黄金色に輝く煮卵をトッピングした。最後に、ほんの少しの醤油が、香り高く風味を整える。


 立ち込めた湯気と香ばしい匂いが、路地裏の空気を一変させた。


 騎士は警戒心を忘れ、思わず椅子から身を乗り出した。


「な、なんだ、この香りは……? 食欲を、掻き立てられる……」


「どうぞ。ただし、熱いのでゆっくり食べてくださいね」


 拓海が丼を差し出すと、騎士はおそるおそる箸を手にした。


 騎士はまず、スープを一口。目を丸くして、再び一口。


「……! これが、醤油の……力……? 先ほどの塩辛さは鳴りを潜め、香りと、深みと、そして温かさが、体の隅々まで染み渡る……!」


 騎士はもう言葉も出ない様子で、今度は麺をすすった。


「美味い……! こんなにも、体と心を温めてくれる食べ物が、この世にあったとは! 任務の疲れも、命の水(笑)の拷問も、すべて吹き飛んだ!」


 騎士は感動に打ち震えながら、一気にラーメンを平らげた。食べ終えた騎士は、甲冑姿で深々と頭を下げた。


「異界の料理人よ。あなたの料理は真の奇跡だ。……私の名は、シルフィード。この屋台の味を、二度と忘れることはないだろう」


 シルフィードはそう言って、きっちりと代金を支払い、路地裏の暗闇へと消えていった。


 拓海は丼を洗いながら、独り言をつぶやいた。


「初めての客。そして、いきなり『秘匿された文献』か……。やっぱり、この屋台ターミナルは、厄介な代物らしいな」


 屋台の片隅で、頭の中でカチリと音がした。


『第一番目の客:シルフィード。カウントダウン、残り九人』


(あと九人か……。まあ、しばらくはここで、この屋台と共に暮らしてみるか)


 異世界での生活は、たった一皿のラーメンと共に、静かに始まったばかりだ。



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