1話 「ルールブレイカー女」
これから新しい学校生活が始まる。
待ちに待った、高校生活。
制服に袖を通し、昇降口の先に広がる未来へと一歩踏み出す――はずだった。
なにせ高校とは、大人への第一歩。青春の本番戦。
誰しもが大きな期待を胸に、その入学式に臨む。
この世紀の大天才、佐々木 佐竹も例外ではない。
4月8日 火曜日。
7時半。目覚ましが鳴り響く。
華麗なノールックでアラームを止めた、まではよかった。
次の瞬間。
「へっくしっゅ」
全身がズシリと重い。頭痛、悪寒、熱っぽさ。
──終わった。
”終わり良ければ総て良し” なんていう魔法の言葉があるが、それはただのまやかしに過ぎない。始まりでこければ、終わりの方で暗雲が立ち込めるのは容易に想像がつく。
入学式のあとクラスメイトたちがSNSを交換し、笑顔で「よろしくね」なんてやっている頃、病院で無慈悲にもインフルエンザと告げられた佐々木 佐竹の高校生活は、彼の大人への一歩目は、かくして、階段を踏み外した──。
1週間後…
「もうインフルエンザは大丈夫なの? お兄ちゃん」
「ああ、悪夢は過ぎた。ここからは、進撃のお兄ちゃんだ」
「何言ってんだか。お母さん行ってきまーす!」
──とは言ったものの、高校が始まって最初の1週間を丸々休んだのはかなり痛い。もうすでに人間関係が構築されていてもおかしくはない期間だ。俺みたいな人見知りがその穴を埋めるには、かなりの努力と勇気が必要になる。さて、どうしたものか。
などとぼやいていたら、もう教室の前まで来てしまった。
仕方がない。覚悟を決め──。
「あ、すいません」
ガラガラガラ…
女子が一人、ドアの前に立っていた俺をのけて教室の扉を開き、中へ入っていった。
男が覚悟を決めているとき、それは絶対に侵されてはいけない神聖な時間である。ヒーローがポーズを決めて変身するときのように、そこには決して他者が介在してはならないと、恐竜の時代から決まっているのだ。
そんな宇宙の原理原則が、一人の少女によりあっけなく破られたところで、俺の高校生活は幕を開けた。
決めかけていた覚悟を再び決めなおすため、教室のドアから離れて少し息を整える。どうも転校生になったような気分だ。自分が教室に入ったら、何が起きるだろうか──。答えは分かり切っているはずなのに、こういうときは思考が理性で制御できない。
変な期待と不安を抱えながらも、覚悟を決めなおし、教室に足を踏み入れた。
教室は、話し声で満たされていた。
やはりどうやら、すでに関係性が出来上がりつつあるらしい。俺が教室に入ってきても誰も気付くことはなく、友達と話したり、読書をしたり、みんな各々の時間を夢中に過ごしている。やはり現実はこういうものか...。
ずっと立ってるわけにもいかないので、自分の席を探す。
まだ最初だから名前順だよな。おそらく右前から始まって…「さ」、「さ」、はーっと…。あれか、荷物もなにも置いてない誰もいない席。
自分のだと思われる席の方へ歩いていく。後ろには女子が座っており、数人が彼女を囲む形で話をしている。
すでに人気者もいるのか…。
カバンを机の横にかけ、静かに座る。とりあえず筆記用具とノートを出しておこう。
…そ、そわそわする…。誰かが俺に気づいて盛大に注目浴びるのは御免だが、誰にも気づかれず存在を一切触れられないのもそれはそれで悲しい。
・・・
少し時間が経ったが、一向に声をかけられない…。これでは白紙のノートをずっとにらんでいる変な奴になってしまう。一見、まるで悩める天才画家のようだが、俺は天才ではあっても画家ではない。だ、誰かしらは声をかけてくれると思ったが…見立てが甘かったか。
「あれ?」
後ろの席から待ちわびていた声をかけられたような気がしたが、ちょうどチャイムが鳴りHRが始まってしまった。
「席につけー、HR始めるぞー。ああ、そうだ。今日から佐々木が復活する。復活といっても、今日が初登校だからみんな仲良くしてやってくれ。佐々木、簡単に自己紹介を」
そんなのは聞いていない。事前に打ち合わせをしておいてくれ。
「あ、はい。さ、佐々木 佐竹と言います。少し出遅れてしまいましゅたが、よ、よろしくお願いします」
ほら、か、噛んでしまったじゃないか…。
一同から静かな拍手が送られる。普通に今のは恥ずかしい。
「さ、が一個多いが、まあいいだろう」
くっ、なんだこの教師。追い打ちしてきやがった。1週間休んだ俺への当てつけか? 少しかわいいからって…。
そう思いながら先生をにらみつける。黒のハイヒールからのびる、細くて長いきれいな脚。黒いスカート越しからでもわかる腰のくびれ。それらが支える、二つの大きなメロン…。
ん、んまあ、許してやろうじゃないか。俺が男子高校生であったことを幸運に思うがいい。
「それと、明日から仮入部期間だ。うちは全員なにかしらの部活に所属してもらうことになるから、まだ決めてないやつは今日までに希望届を提出するように。HRは以上だ。次の授業に遅れないようにしろよ」
一同が次の授業の準備をしながら、教室のあちこちで話がはずんでいる。
それにしてもこの感じ、もうすでにグループとかできつつあるんじゃないか? 俺も早く友達が欲しいが、自分からは声かけづらいな。仕方がない、話しかけられるのを待つか…。受動人間、万歳。
すると、後ろから背中をつつかれた。同級生とのファーストコンタクトだ。第一号はどんな人だろうか。いや、第一号はさっきのルールブレイカー女か。あのルールブレイカー女め、今度じっくり『変身中は不可侵』の原則について小一時間ほど説いてやろう。というか、ルールブレイカーってなんかかっこいい名前だな。一般的にも使う言葉なのだろうか。
そんなわけのわからないことを考えながらも後ろを振り向いてみると──そこにはかの有名な、ルールブレイカー女がこちらを向いて座っていた。そして、ルールブレイカーという名前にしては意外にも、彼女はかわいかった。
「ねえねえ。インフルエンザだったんだって?」
『だ』が多いなとも思いつつ、深くうなずく。
「入学早々大変だったね。あ、私は佐々倉さき。よろしく」
「よ、よろしく。佐々木です」
女子と話すのは緊張する。ましてや、こんなかわいい子と相対しては本来の力が発揮できない。この俺がいまだ克服できていない唯一の欠点だ。
「おんなじ『佐々』だね。佐々木君は部活はどうするの?」
「あー、それは──」
「さきー、次の化学いこー」
「あ、待ってー」
「じゃ、またあとでね佐々木君」
「あ、うん…」
くそっ、せっかく仲良くなれそうだったのに…。──まあ、『佐々』同士のつながりはそう簡単には切れまい。なにより、『またあとでね』というお言葉もいただいた。俺にしてはよくできた方はないだろうか。
それにしても…かわいかった…。佐々倉さんか…要チェックや。
「佐々木君、次のクラス場所わかんないだろ。先生に言われたから一緒に行こう」
顔が整っており背が高い、見るからにカースト上位に君臨していそうな男子が声をかけてきた。
「お、ああ、ありがとう」
第二号は男か、まあいいだろう。
彼についていき、次のクラスへ向かう。この男はなにか、少しいけ好かない雰囲気をまとっているように感じる。決して劣等感を抱いているなどというわけではない。──決して違う。まあ、友達候補予備軍といったところだろうか。
「俺は天野。天野 亮太。亮太って呼んでくれ、よろしく」
ちっ、一度名字だけ言ってそのあとフルネームを名乗る感じ、漫画の主人公かっつーの。やはり馬が合いそうにないな。
「よろしく、天野。俺も佐々木でいいよ」
不思議と、仲良くなれなそうなやつとは素を出して気楽に話せる。
「うん。よろしく、佐竹 」
天野の笑顔が俺の顔面に突き刺さる。
名前で呼んでくれという要望に対してわざと苗字で呼び返してやったが、それを気にしないどころか俺のことを名前で呼んでくるか。くっ、やるなこいつ。俺のATフィールドを潜り抜けようとしてきやがる…。だがそう甘くはないぞ。
・・・
俺は一体何と戦っているのだろうか──。
「もうだれか友達は出来た?」
「出来るわけねーだろ。 俺の高校生活は始まってまだ30分も経ってないんだ」
「はは、そりゃそうか。じゃあ、僕が君の初めての友達だね」
俺がいつお前と友達になった。こいつの基準では、ワンラリー会話をしたらもう友達認定なのか。恐ろしい奴だ。
「.んー、いや、お前は第二号だ」
「え、でもまだ友達はいないって──」
「まー、まだ友達ってわけじゃないが…第一号は譲れん」
高校生活において、どんな形であれ『佐々倉さんが俺の初めて』という事実を残しておきたい。
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