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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

視線の決闘

作者: martsun

 ある土曜の休日、私は家から三十分ほど歩いたところにある、海辺の街を散歩していた。


 私が信号待ちの横断歩道の前に立つと、如何にも貧しい身なりの女が、子どもを乗せた自転車を漕いできて、車道を挟んだ向かいに止まった。私は、ある予感を感じて、女がこちらを睨む前から、既に険しく冷たい、暴力的な威圧感を含ませた目つきを彼女にひたと向けていた。果たして、彼女は、如何にも異物を眺めるような嫌な目つきを私に向けてきたが、思いがけずも真っ向から睨み返してくる私の視線ともろにぶつかり、少し戸惑ったようだった。しかし、当初の目的を思い出したのか、使い慣れた様子の軽蔑のオーラを、私に向けてきた。そして、短い視線のつばぜり合いの後、すぐに向こうから矛を収めた。


 もちろん、私たちに互いの面識はない。私とその女の間に共通していることがあるとすれば、日々の鬱屈が暗い影となってその身を覆っていることぐらいか。


 通りすがりの貧乏人同士が八つ当たりしあうとは、何とも救いのない光景だ。だが私の場合、なぜか望みもしないのに、そんな場面の登場人物として、しばしば無理やり舞台にひっぱりあげられてしまうのだ。その結果、私は自分の心を守るために、有りもしない憎しみを掻き立てて相手を威圧せざるを得ないのだが、そうして睨んでいるうちに、胸の内に灯した偽物の炎が、なぜか本物の熱を放ちだし、私の眼付きの刃に真に迫った敵意を焼き付けていくのだった。

 

 例えば、コインランドリーの前に止めた車の運転席から身を乗り出し、餓えた狼のような目を向けてくる輩風の男。ドラッグストアのレジ待ちの列からこちらを凝視してくる、日に焼けたドブネズミの様な風体の中年。


 こういう、通り魔のような視線の使い手を、有無を言わせぬ殺気で退かせた時、私はどんな心もちでいるのか。本音を言うと、ざまあみろ、てめえみたいなクズの気晴らしで傷つけられてたまるか、という恨み混じりの勝利の宣言である。それは、絶対に負けるつもりはない、という揺るがぬ決意と共に、清々しさの欠片もない毒蛇の姿で、私の腹の中にとぐろを巻いている。


 話を交差点の場面に戻そう。

 彼女の夫らしき男がやはり自転車を漕いで、今彼女がとまっている場所からほど遠からぬところに止まったのだが、やはり彼もまた、卑しい目つきで私に排外的な視線を投げてきた。私といえば、ハナからそれを予期し、侮蔑と威圧を五分五分で混ぜ合わせた冷ややかな目つきで、先回りして彼を見下すようにねめつけていた。案の定、そのちんけなクズもすぐに目をそらした。


 別に、貧しいのは私も同じだ。相手を見下すつもりなどない。金のない私のような独り身の男が、休日にやれることといったら、ただ当てもなく街をぶらつくぐらいが関の山だ。それか、ギャンブルで金を擦り、風俗で金を浪費し、ゲーセンに小金を喰わせるという選択肢もあるが、どれも実行してしまうと財政的に芳しくない影響がある。

 あるいは、釣りにでも行って見ず知らずの罪もない魚を餌でおびき寄せ、釣り針を口にぶっ刺して宙吊りにする、という心和むひと時に興じるか。いや、それも趣味じゃない。なぜてめえの気晴らしのために、何の関係もない魚に死ぬほどの苦しみを味合わせなければならないのか。

 

 散歩は、誰も傷つかないし、財布も軽くならない。ただし、誰かが絡んできたときは別だ。とは言え、ガン飛ばされたから殴りました、と訳を説明しても、警官は正当防衛と認めない。この星では、ただ誰かを嫌な目つきで眺めることは何の罪にもならない。まあ、多分どの星でもそうだろうが。それに対してできることといえば、あらかじめそうした振る舞いを起こしそうな人物の接近を、被害蒙症すれすれの鋭さにまで磨き上げた鋭敏な感覚で察知し、専守防衛の心構えで、抜き身の刃のような眼差しを相手の喉元にあらかじめ突きつけておくこと位だ。


 やれやれ、たかが散歩に、なぜこうも気を張らねばならないのか。俺は唯、心が病んでいるだけなのかもしれない。


 空には雨雲が幾重にも重なり、雨がぱらついていた。信号が青に変わると、私は彼らに目もくれずさっさと横断歩道を渡り、少し歩いた先にある、海沿いのコンビニでビニール傘を買った。その値段の高さに小声でぶつくさと文句を言いつつも、行きがけにコンビニがあったおかげで、雨にぬれずに済んだのはよかった、と思った。


 しばらくは曇りが続くようだ。天候不順が長引けば、人の心も曇りがちになる。気晴らしの散歩に出る時でも、自衛の心構えが必要だろう。


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