4話 【観察者は笑う】
――全速力だ。ふざけたくらいのスピードで走ってる。朝の冷えた空気を切りながら、疾走する。
寮から登校途中のそれほど長くない道。それなりに生徒は通る。
その中で全力疾走は明らかに目立つ。というかそれ以前の問題である。
(女の子を背負い投げして、目立たないなんてことがあるか!)
しかし、何処へ走ったとしても、後ろへ戻るわけには行かない。
そうだ。人の多い方へ。人の中に紛れよう。正門へ向かおう。
※ ※ ※
――正門前。いつもより少し早い朝、登校途中の生徒達で静かに賑わい始めている。
肩で息をしながら、周囲の視線が刺さるように感じる。
(――いや、これも加護のせいか?)
そもそも何もしなくても目立つのである。この加護がオーラを振りまく限り。
恐らく、2日目の時点で、潜伏は無意味なのかもしれない。
たとえ失敗でも、行動が出来た自分を褒めたい。
これは【クリアフラグ】を立てる為の立派な【行動】なのである。
正門の脇に咲いた花が、淡い風に揺れていた。
まだ肌寒い、けれど確かに春だ。
だが、その優しげな空気の中に、異質な加護が、僕がいる。
――そう考えていると、ふと、こちらに近づく影が、1人。
【新たなフラグ】がやってきた。
「はぁっ……はぁっ……あんたが……フラグ君……ね?……はぁっ……全力で走ってくなんて卑怯でしょ……!こっちは……!私が……探して……追い掛けて……はぁっ……うぇっ」
落ち着け。何か出るぞ。
※ ※ ※
息を整える。お互いに落ち着いたのを見計らって、彼女が問う。
赤髪、強気な目、仁王立ち。
そして、自信ありげに腰に手を当てて、もう片方の手でフラグに指を指す。圧倒的ツンデレ感。
「私は、織屋 灯火!陣営は光神エィルシラム!あなた能力者ね!勝負しなさい!」
フラグは、一瞬、呆気にとられた後。
「それを言いたくて、全力で走る俺を追っかけて来たんだな?」
そう返すと、彼女は、ふふーんと胸を張る。
「えぇ!見つけてあげたんだから、むしろ感謝しなさい!」
「そうか……」
と一呼吸おいて。
「――お前、何で全部バラしとんねん!」
ぺちーん。
優しいツッコミ、と言えるビンタ。
小さな音が、朝の正門前に響く。
※ ※ ※
「えぇっ……何で?……ちょっと!あんた一体何をしたの!?」
「君は不用心が過ぎる!名前、能力者、陣営、全部をバラした」
「ここに敵がいたら、狙われるのは俺達、だ」
「……う、うるさいっ!私、わ、悪くないもん!」
灯火は頬を押さえて少し顔をそむけた。
強がっているのはわかる。ほんのすこし、声が震えていたから。
「落ち着いて。俺は敵じゃないから」
(そう。ぼくがじゃしんです)
とうっかり言いそうになるが、そこはこらえる。
風が吹き、彼女の赤髪が、わずかに揺れる。
「敵じゃない……そうなの?」
――喜怒哀楽が激しい子だな。今の一瞬で、全部出たぞ。
同時に、悪い子では無いな。
もしかしたら、この子なら仲間に引き込めるかもしれない。
「……へぇ。灯火、何だかすごく面白い事になってるじゃない」
静かな声が、割り込むように響いた。
※ ※ ※
制服のリボンを少し崩してつけた、黒髪、眼鏡の少女がこちらに歩いてくる。その歩みはゆっくりだが、周囲の空気が変わる。
「燐!ちょっと聞いて!こいつがぁ!」
「うんうん、見てたよー。痛かったねぇ」
燐は灯火の頭をぽんぽんと撫でる。
さっきまで仁王立ちしていた灯火が、犬みたいに撫でられている。
「痛くない!痛くないんだけど!でもぉ!!」
灯火の顔が真っ赤だ。何に照れているのか、本人も分かってなさそうだ。
訳の分からない空気が出来上がっていく中、如月燐はフラグに目を向けた。
「灯火、このフラグ君って子、きっと本心で灯火の事心配してるよ。そこは間違いない」
灯火に向かって言い聞かせるように。
燐の笑顔は柔らかい。
「私はね、観察が好きなんだ。みんながどんな風に関わって、何を選ぶのか」
その声は落ち着いた優しい声、だった。
彼女は灯火から離れ、フラグの方へ一歩を進める。
「……フラグ君、君は本当に面白い」
声の質が変わる。より冷たく、探るような声。
「君の言葉、少し興味がある」
その眼は心を見透かすような眼だった。観察者の眼がその意思を問う。
「君は、灯火に何をしたんだ?」
その問い、その声に、透明な刃を含んで。
「君の、陣営を――聞きたいな?」
――問いは、凍てつくように鋭く、静かに胸元をなぞる。
空気が一瞬で変わった。
(――こいつも、能力者!)
灯火の正義ムーブとは、まったく質が違う。
この子は、笑顔のままナイフを突きつけて、迷いなく心臓を抉るタイプの子だと、直感が告げる。
そして、能力があるとしたら……何も予測できていない。
今はまだ、刺激するには早すぎる。喉元まで来ていた言葉を、飲み込んだ。
(もし……攻撃型の能力だったとしたら――)
間違ったことを言えば、“氷の刃”が飛んできて、首が飛ぶ。
――最悪の未来予測図を頭の中で振り払う。
「さっき、"俺は敵じゃないから"……そう言ったよね。はい復唱?」
この子は、笑顔で“刃”を研いでいる。
俺が口を開けば、その一閃がどこを切るか分からない。
今は、口を閉ざしたい。だが――
「黙ってたら、そりゃもっと怪しくなるよねぇ」
ここで沈黙すれば、後が無いのも確か。
先ほどの発言は嘘だったと認める事になる。
絞り出すように、言葉を選んで、嘘を吐く。
「――陣営は光神エィルシラム。同じだよ」
「……あー、そっかそっか!そうだよね!そうだと思ってた!」
彼女はけらけらと、さぞ楽しそうに笑う。
「いやいやそうだなぁ、次は何を聞こうかなぁ」
言葉の裏を全て見透かされている気がする。
この、眼鏡の少女に、長話はしてはならない。
そして、一言でも間違ったら、ここで、終わる予感がした。
「俺は、仲間を探してるんだ」
「ほぉ」
フラグは必死に正解を絞り出そうとする。
「何が出来るか分からないけど、意味がある終わり方をしたい」
「へぇー?なるほど?良く分かったよ。複雑なんだね。君」
この含み方――もう1つ予想がついた。
多分、思考を読む系の能力?
なら、不用意な発言は危険か?あえて嘘を言う?
(思考を読めるか確認するなら――エロい妄想とか……)
思考をフル回転させつつ黙っていると――
「ねぇ、灯火?どう思う?」
「えっ……私?……私は……燐を信じる」
「真っ直ぐだね、灯火は」
灯火を見た目線が、一瞬だけ優しく変わる。
そして、この場の選択が、燐に委ねられた。
――間隙が、無限の時の様に、延びる。
「……じゃあ、もういっか」
――そして、空間が凍結したような錯覚を覚える。
「フラグ君、同盟組もう!」
「えっ」
「えっ」
さっきまでの氷の表情は何処へ。
燐は小さく肩をすくめ、けらけらと、さぞ楽しそうに笑う。
フラグが折れてもう一本生えて、折りかけたフラグが再生したと思ったら折れかけて再生した。
「私はね、勝ち負けはどうでも良くて、一番面白いって思える相手に付きたい。フラグ君、きみは面白い。まぁ一番面白いのは灯火だけどね」
「フラグ君が持ってるその気持ちを忘れない限り、私は【同盟】でいるよ」
彼女はくるりと身を返し校舎の方へと歩き出す。
灯火は、まだ困惑したままの表情で、燐とフラグの顔を見比べて――
「ビンタ……忘れないからね!」
小さく、でも真剣な顔で一言。それだけ言って、とことこと燐の後を追うのであった。
【フラグ】は立った。だけど、全部、ぐらついてる。
(……これが、“最初のループ”か)
残されたフラグは、一人考える。
※ ※ ※




