3話 【賽は投げられた】
――学園寮、朝、フラグの自室。
「――っっ今っ!!絶対1人誰かやった!!!!!」
布団を吹き飛ばす勢いで、飛び起きて、頭を抱える。
心臓の鼓動が早い。夢の残滓が、まだ目の奥に張りついている。
……誰だった?――いや、それすら曖昧だ。顔も名前も、思い出せない。
イメージが曖昧だったのは救いか否か。
この夢が、あと何日続くのだろう?全然分からない……
ひとまず落ち着いて、支度を整えよう。
時計を見る。いつもより少しだけ早い朝。
自室を出て洗面所へ向かう。
蛇口を捻り、水が流れ、顔を洗う。
頬に触れた水が、妙に心地よかった。
……まるで、何かが終わった後のように。
能力を思い起こす。
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名前:志望 風羅具 読み:しぼう ふらぐ
陣営:邪神ヴァルマリス
能力「邪神の加護」
あなたは、邪神の加護を得る。
あなたは、身に宿る邪神の瘴気により周囲に恐怖と拒絶をもたらす。
あなたは、毎晩あなたに対して好感度の一番低い【参加者】を消す。
あなたがゲームから排除された時、あなたは記憶だけを連れて、世界は、1日目に巻き戻る。
残りの邪神ヴァルマリス陣営:1人(無能力者:0人)
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文章は何も変わっていない。前と同じだ。
『あなたは、毎晩あなたに対して好感度の一番低い【参加者】を消す。』
――僕は恐らく誰かを消した。
物語は、始まってしまった。
※ ※ ※
時間が経ったように思う。
思考が上手く定まらないまま、これからの方針を考える。
どうする。何を信じるべきだろうか?
まだ夢の中に僕はいるのだろうか?
諦める?このままずっと潜伏し続けて世界が終わるのを待つ?
一旦、シミュレーションをしてみる。
《この能力もルールも嘘で、僕が信じていない世界。》
そうであれば、これは【ちょっと違う日常】を送るだけのお話。何も起きない。
――次。
《この能力が本物で、ただ僕がそれを嘘だと、能力が無いと思い込んだ世界。》
能力なんてなかった、と信じ込んで生きる世界をイメージしてみる。
《何も気にせず日常を過ごす》
↓
《生徒消失事件は起きる》
↓
《この事件には犯人がいる!怪しい奴を探せ!》
↓
《怪しい瘴気を出してる奴がいる!吊るせぇ!》
――はっ!これは駄目な流れだ!逃げ道が無い!
なら最後のルート。
《能力は本物。僕がそれを信じて行動する世界。》
僕は鏡を見る。
映るのは、締まりのない顔と眠たげな目。
だがその奥に、わずかに宿る――諦めぬ意思。
これが夢なら、いつか終わる。
現実なら――ここで止まったら、全員が消えていくだけだ。
(これはもう、実験だ。夢か現実か、やってみればいい)
『あなたがゲームから排除された時、世界は1日目に巻き戻る。』
これは呪い。
同時に、【圧倒的不利を逆転させる可能性】でもある。
何度失敗しても、また立てる。
負けたって、全員が死んだって、やり直せる。
(本当に巻き戻るのか?なんて試す必要なんてない)
(ここで巻き戻しても、つまんない物語が1つ終わるだけ)
(それなら、“意味のあること”をする)
眼の奥に宿る意思は消えていない。
(終わらないゲームなら、いっそぶっ壊してやる)
(ループ? じゃあ試行回数、稼ぎ放題じゃん?)
深く息を吸い、覚悟は決めた。
(だったら、“次”はやってみるか。)
――もう迷う必要はない。
「全てを救えるなんて思ってない。でも、意味のある終わり方くらい、俺が決めてやる!」
拳を強く握る。
何の保証もない。それでいい。
信じた道を突き進む。それしか方法がないのなら――
フラグは、全力で、突き進む。
※ ※ ※
仕度を済ませ、外に出る。
ドアを開けると、ひんやりとした朝の空気が肌を撫でた。
青く澄んだ空――なのに、どこか落ち着かない。
今日は、何かが変わる。そんな気がした。
(この世界のルールを探るなら……誰かと関わってみるしかないか)
寮から、正門へと向かう道を歩く。
(最初に声をかける相手が“彼女”なのは……単に、目についたから)
今日も、彼女はベンチに座っている。膝の上にカバン、表情は困惑気味でうつ向いている。
栗色のヴェールのような髪が風に揺れ、彼女は静かに、誰かを待つ。
「たしかきみは――七瀬 ほのか、だったよな?」
そう声をかけると、彼女ははっと顔を上げる。
まるで、自分の存在をちゃんと覚えてくれていたことに驚いたように。
「えっ……フラグくん? ……うん、そう、ほのか……覚えててくれたんだ」
少し照れたように笑い、視線を逸らす。
彼女の頬はわずかに紅潮していた。
「話しかけてくれてありがとう。……昨日から、ちょっと色々あったから……」
彼女の視線は少しだけ揺れている。
彼女自身も気づいている。【何かが周囲でおかしい】と。
(――この子、能力アリ?)
昨日から、ちょっと色々あったから――と彼女はそう言った。
彼女の言葉をヒントに、動いてみるとする。
「昨日のこと……何か見た?なんかこう、“特別な感覚”とか、あったりする?」
朝の木漏れ日が射すベンチで、彼女は顔を上げた。
その目が、ゆっくりと見開かれていく。
「ある。じゃあフラグくんも?」
「夢を見たんだよ。ルールとか、能力とか」
「そっか、やっぱり同じだったんだ」
彼女は安堵したかのように息を吐く。
(――こいつ、能力者!)
だが、表には出さない。
ここからが本当の勝負だ。彼女を味方に引き込む。
「フラグくん、昨日からちょっと怖かったから ……」
(そうですね。ぼくがじゃしんです)
あぶない。喉の奥に力を込めて、表情に出さないように。
「このゲーム……敵の陣営が全員いなくなれば終わる」
「同じ陣営同士で争う訳には行かない。だから味方を探してるんだ」
ほのかは、膝の上のカバンの紐を、ぎゅっと握りしめる。
「……私、自分が何の役に立てるかわからないけど……もし、フラグくんが“味方”だっていうなら……少しだけ、手伝ってもいい」
小さく、でも確かに――彼女は信頼の糸を手渡してきた。
(試されてる。……こっちも応える必要があるかな)
「ありがとう。俺は君を信じる。でも条件がある――」
「俺の能力を教える。代わりに、君の能力を教えてくれ」
彼女は、少しだけ迷ってから、コクリと頷いた。
(これが駄目なら、彼女を敵に回すしか無い)
一呼吸おいて、静かに話し始める。
「俺の能力は感情の増幅だ。俺の事を怖いと思ったら、その気持ちを周りにばら撒いてしまう」
もちろんこれは嘘である。
自分でもとんでもない事を言ったと思う。
だが、良いカモフラージュになるはず。
「そっか、それで……私の能力と似てるね。フラグ君の助けになるかも」
(――似てる、か。同じ能力にならなくて良かった!)
この【ゲーム】の【ルール】に存在する項目の一つ。
――“すべての能力者は異なる力を持つ”。
もし誰かと同じ能力を言ってしまったら、それは小さな違和感を生む。
彼女が、カバンの紐から手を離すと、今度はフラグの手を、そっと握る。
「私の能力は――共感能力。《心綴》コネクト・コード。相手との心と心を繋いで、想いを綴る」
「フラグ君の怖い気持ちを私が受け止めて、優しい気持ちに変えてあげる」
彼女の手がほんのり光ったかのように映る。
それと同時に、優しい気持ち、信じる気持ちが流れ込むような、くすぐったい感覚を得る。
――なるほど、これが共感能力。
ん?まって?共感?
「怖くない怖く……あれ……嘘」
握られた手に、力がこもる。
指先が少しずつ熱を帯びて、拒否も逃避も許さぬ温度になっていく。
(共感という事は、お互いに気持ちが流れ込む事)
(これ、僕の思考を読まれてるって事なのでは?)
脳内警報がフルボリュームで鳴り響く。
手を離して?ねぇ離して?まって?ねぇおねがい。
「嘘と焦りと……邪神?これフラグ君」
そこからの僕の転身は早かった。
「――背負い投げェェェェェェ!」
彼女が、空を舞って、そして。
「フラグくぅぅぅん!?ぷぇっ」
地面に落ちる。
その声を背に、僕は全速力で逃げ出した。




