手紙
しなれたひじきの間には、今日も1枚の手紙が挟まっていた。
開けてみると、拙い字で「ありがとう」とだけ。
最後だと悟った。
そこに書いてあった「ありがとう」は確かに五文字だったが、私にはそれがまるで五文字には見えなかったのだ。
次の日から、手紙は来なくなった。
その代わり、私の手術は成功した。ステージ4の手遅れとも言える膵臓癌だったはずだが、親知らずを抜くような心持ちで終わってしまった。
少年は、元気だろうか。
「ぼくもおなじだよ」と、彼はそう言っていた。幼い子供特有の無知ゆえの言葉だと思っていたが、後になって凄まじい違和感が私を襲ってきた。
彼は、とても子どもとは思えないほど病気に対する解像度が高かった。
回復の二文字とは程遠いしなれた見た目の病院食。いつ終わるか分からない献血。果てには、帰れるか分からないという不安まで、彼はそんな心の解像度まで高かったのだ。
彼は無事だろうか。いや、無事であって欲しい。
私のような病院食とまるで変わらない、しなれた初老より、未来ある子供が亡くなるなんて、あってはならない事だ。決して。
壁に邪魔されて見えなかった北極星は、私に語りかけるように輝いた。
足りないところは脳内補完でお願い致します