バスケしか知ら無ェで大きくなっちまったものだから
僕は、もう45歳になった。
思い出す事も沢山ある。それで小学校の友達や今の職場の仲間が混合して、収集力を失って、ミュージシャンとかも出てくるし、アイドルとかも。
それでその人達は僕を実に守ってくれてるようであったが、僕は、それを慈善を受けているよーな気分になった。
それでその上そいつ等は僕みたいに酷い人生状態になったりしないで100倍も巧みに現実世界を生きて行くに違い無い。
麻原彰晃の霊言。「だから、まぁ現実、生きるの辛い、と言う人、世の中に沢山いるのよ。そーゆーモノを忘れさせてくれるモノにちょっと手を出したからって何が悪いのよ」
まぁそれはそれとして人間は弱いんだ。昨今の芸能人のバッシングの転げ落ちるように廃人になってしまう現象。
僕はタバコを吸いながら、ショーシャンクの空にのレッドやブルックの事を思う。刑務所を仮釈放されるとアパートの一室とスーパーマーケットの仕事を与えられるのだが、ブルックスは馬鹿みてーに首を吊って自殺し、レッドは毎日が恐ろしいとか言ってスーパーマーケットの仕事もアパートの一室も放り出して親友の仕事を手伝うとか勝手な事を言って(その行動自体、法律違反なんだぜ)、僕も刑務所のような精神科を経験して退院して国からアパートの一室と作業所の仕事を与えられた、だから思うんだけど部屋も仕事もアメリカならアメリカから自国から与えられたんなら毎日が恐ろしくても何で直ぐ継続もせずに辞めてしまうのか、ってぼんやり僕は思った。
僕なんて精神科を退院すると僕の場合は前途洋々だったんだがなぁ。仕事を真面目にやらない人っているよな。レッドはこう言ってた。「必死に死ぬか、必死に生きるか」親友の仕事の手伝いを理由にバスに乗って辺境まで行かなくてもよろしい。
レッドもブルックスもショーシャンク刑務所の生活では楽しんでいたのかもしれない。友達も僕とは違って、いたんだと思う。僕の精神科の生活は酷すぎた。
喋れない。人間的資質がそのまま現れて生活的反映されるのが刑務所であり精神科だったから、、、、、、
慈悲と情の立て分け。以上書いてきたのは慈悲的に僕が経験してきた事だけど、じゃあ情的側面は何なのか?って言ったら天理教分派の信者さんって事になると思う。
則(のりと読む)とか三浦とか上田とかがいた。この人たちは信者さん。東京の教会に在籍してた。その時、僕は高校生で、彼らも僕と大体年齢が一緒位で、教会であったり、愛知県の本部で顔を合わせたりしてた。
彼らとは、教団内での彼らしか知らない。確かにそうなんだが一回僕が学校から下校する時に電車に乗ってシートに座っていると斜め前方のシートに制服のブレザーを着て眼鏡をかけた則がいた。(嗚呼、娑婆での則だ!)友達らしい、やはり眼鏡をかけた大人しい生徒が則の横に座っている。コミュニケーション無しだ。お互い沈黙している。
僕は、その時の則が宗教内での則と違っていると気付いた。
それはそれはさ、カテゴライズすれは唯のオタクだって気付いたんだよね。
人ってさ、カテゴライズから自由になって超越者だってなると(全て失う、、、、、、)オタクはオタクなんだよ!
教団内では眼鏡をかけてはいるがオタクから抜け出る事が出来るが一旦娑婆に戻ると、とんでもねー疫病みてーにオタクなんだよね。
則って奴は電車で見かけた則は、相当知的な奴に違い無い。僕だって同じ事になるかもしれないぞ。
あれから天理教分派から僕は距離をとって何故って甘いし、教団の心の徹底課題がどうしても千回読む事が出来ない。精神科に入れば入っただけ、そこでは一ミリも天理教分派の教祖も全て通用しない。
俺はさ、、、、、、色んなモノを見てきて、最近は女を見るときもあるけど、何でこの女性は胸が豊満なのかなァ?とかさ、思うけど、
夜、風呂に入って、ベッドにしばらく横になって、思ったァ。俺はホントに昔から、女とヤる事しか興味が基本的に無いんだ!って気付き、それで僕はカッコ良さが人より発達している、、、、、、裸になるとミラーに写すと女が喜ぶようなカッコ良い体している。要するに最低の奴なんだよね!!それで瀬病になってれば世話無いけど第一凄ェ親不孝だしね。まぁまぁ神様にシメられて、神様にお前いい加減にしろよって言われて。
で親不孝、大悪人だったからさー。俺はね。座禅でもして少しは人らしくしよーって考えた思いついたのが今現在から、ちょうど9年5ヶ月前でさ。
それでまァ、まだだけど10年座禅して変わった変われたかって言ったら女とやる事しか関心が無ェ存在だった僕が、座禅して、唯の変な人になったと言うコトだった、、、、、、
それは善人になったのかは分からない。
結果論で言えば、女とやるだけのセックスマシーンはカッコ良くはあるが、変な人と同じ位の自己中心的な無価値でしか無いって言う、僕ら人間世界。
それにしても最近は本当に自分は変な人になった。自分の昔の全ては本当に意味の無い、涙が流れるような情けないアイディンティティだったんだナーって思うしサ。
それは何も僕だけに限らないゾ。世の中の芸能人の90年代のアイドルが今では何も魅力が無くガラクタのような価値しか無い現実世界、、、、、、一世を風靡していた当時でさえ実は本質的には意味の無いダンス、歌唱、全て、、、、、、
変な人にはなって、変な人に変わる事だけでも凄い努力が必要だった。最近は自分と自分の周りの社会的現象がホント男だらけになった。女がいなくて殴られるんじゃないかって言う男だけがいる僕はその僕が果たして善人と言えるかどうかそれは分からない。
女を全て捨てる事が、多分悟るって事なんだろうな。金持ちだったお釈迦様が金を全て捨てて悟ったようにサ。要するにモテモテか金持ちしか悟れないと言う事なのだ!
男も女も分かんないって事なんだよね。幾ら悟ったって言ったって僕も人間である訳だから。
それでも今でも僕がカッコ良いとか言って僕に恋しちゃう哀れな女の子もいて。確かに僕は普通よりはカッコ良い所はある。あるけどサ。僕はもう変わってしまった。他の男の子と幸せになって下さいとしか僕には言えない。
ずっと俺の事ばかり考えて好きなだけ研究して下さい。それで人生がおかしくなっちゃったって言われても困るが。僕も僕のいる世界で幸せになるからアナタもアナタのいる世界で幸せになって下さいとしか云えないヤ、、、、、、
作業所今の作業所は、9年になるなァ。夢で面接官みたいな人が、「アナタがいると何処の作業所も潰れてしまうよ」って言われたから、、、、、、
座禅なんかするから作業所が潰れてしまう。その心が。端的に変な人になってしまうからなァ。なーんか俺に向いた仕事でも無ェーかなァ。文章書いたり、とかヨガの会みたいな仕事とか。作業所は仕事一回目と二回目合わせて15年働いてきたけどさ。
大江光も作曲家だけど、作業所に週五日働いていた。テレビで見たけど弟に付き添ってもらって作業所に通い、お礼の為に弟に月二千円渡してた。僕は作業所みたいな所の給料の額、知ってるから二千円も渡したら給料残らないじゃん!って思ったけど、彼にはCDの印税があるし大江健三郎の息子だから金には困らない。二千円なんて。彼は現在61歳で、作業所も通って無いし、作曲もしていない。ひたすら音楽を聴いてる。彼の音楽性を、坂本龍一は下らないって否定していたけど。
僕の兄とは僕は音信不通だが、何してるんだろう?って思うけど、多分大江光と同じで、ひたすら音楽を聴いているんだろナ。おそらくアナログ盤でターンテーブルでさァ、、、、、、
兄貴が、音楽に傾倒してる兄貴が、父親に暴力暴言したりしたら多分父親、兄貴刺したりしてたかもしれない。殺していたかもしれない。そうゆう家族の誰か親が子供を殺すみたいな社会問題、全部次男の俺にきたから。俺が家で暴れて父親が母親に「警察呼んで!」って言いながら俺を押さえつけていた父親の表情を俺は忘れる事が出来ない。あれは子供を殺したがっている殺意による憎しみの表情だったから、、、、、、
それで俺は家族とは遠く関係の無い座禅の世界を持つようになって。死んでもおかしく無い過去もあったけれど、作業所で仕事しながら座禅をするのが俺のやるべき事。
父親は天理教やるようになったが多分あの人は何一つ実行出来ないだろー。兄貴も俺も駄目だから父親は弟にだけ期待しているようだ。
それは仮面夫婦って言う幾らか昔の本に書いてあった。家の家族と全く同じじゃん。そして実際それは現実に起きている事なんだよ。三男だけに期待して長男と次男は家族的に機能していない、やはり家族の状態、、、、、、天理教父親一人信仰しても手遅れだ。
僕個人で言えば、身の処し方は自殺するか精神病院に入るかだ。自殺しないで良かったねって一概に到底言えない精神科での軍隊生活!
命とは一体?天理教やってる高校生が娑婆で電車で友達とコミュニケーションゼロで分かりあったように学校から下校しているのが多分幾らかオタッキーだが生きる事なんだと思う。また重い障害を持った人のお世話のボランティアをするやはり天理教の大学生の娑婆での活動が生きる事なんだと思う。悲しい位天理教だけやっていても全く魅力の無い僕ら人間。娑婆で学校行ったり、娑婆でボランティアするからこそ在家にあって出家する意義が現れる。真面目なんだよね。あまり日本の過剰社会に染まらない。続かないって事は知ってるからな。
そんな事を書いてる俺は一体この先どうなるのか?俺は学生時代から何を学んできたのか?何を得たのか?幾ら努力しようが結果が出ない。皮膚病も治らず。友達もいない。仕事はアルバイトすら出来ない。作業所の仕事が自分の全てと思いたく無いばかりに趣味に力を置いて更に悪くなるメンバーもいる。考え過ぎちゃってパニックになってるメンバーもいる。二人とも僕の家での状態を表してる。座禅のし過ぎ、また考え過ぎ。家での疲労、家でのパニック。
自分と言う体や頭や心が、一つの共同体だとしたら、自分の中の1位は、なろう執筆だって再確認した。座禅は2位だって思った。幾ら座禅を努力しようが、天才の執筆には敵わないのだ。俺の執筆って心、低いもん。外人みたいでキューバ人みたいで。
実際毎日読まれてる。馬鹿な考えでは無く。そう考えて行くと、あれだけ10年もキチガイみたいに努力してきた座禅が、急に馬鹿馬鹿しくなってきた。
でも座禅をするのは確かに馬鹿馬鹿しい。でも、それを信じなかったら、この世の中で信じられるものは何一つ無いよって思い直した。とにかく全て2位狙いなのである。
だから自分の座禅もやはりその程度。とても小さいヨガサークルでしか無い。その主催者でしか無い。つまりこう言う事だ。座禅は変人で、執筆は外人!
ズッコケ三人組シリーズの話をする。俺がハカセに親近感があるって言ったら、アナタハカセタイプだよねって不思議な話をしていた。嗚呼!天才で変態なハカセ。40を過ぎた同窓会でマドンナのオバサンになっているユミコちゃんと結ばれた。女に徹底的に縁の無かったハカセの彼女。
村上龍と良く比べられるのは御大、大江健三郎だったんだなー。龍の「村上龍映画小説集」は大江の「新しい人よ目覚めよ」と比べても見劣りする事は無いだろう。龍の戦闘的な姿勢も、大江のそれと比べても劣る事は無いだろー。
そして文化人として龍の友達は、坂本龍一だけど、音楽上の坂本のライバルは、それはやっぱり大江光なんだなー。坂本は生前、大江光の音楽を否定していたらしい。下らない、と一蹴していた。
僕から言わせると坂本のYMOの初期も大江光の1stの森のバラードは拮抗していると思う。
オザケンの音楽と比べられるのはユーミンってオザケンが自分で言ってた。
で僕は宗教をウェポンにして生きているのだが、僕の宗教のライバルは天理教分派の教祖の会田ヒデだと思う。会田ヒデをインターネットで検索すると短く紹介はされているが写真とかは出ていない。僕は小説家になろうでインターネットに出ているが、多分僕の場合そんな宗教施設とか作れない訳だから、インターネットで何万人かに読んて貰うと言う手しか無かった、、、、、、
そこら辺が僕の普通の有名人の成り方と若干違う所なんだなァ。
それで、バスケのanother storyと言うか、論理的ジャブの話をしよう。
僕は中学の時にバスケ部にいたが、あれは確か僕が、二十歳位の時かなァ?進学もせずにアルバイトを探そうともしないでブラブラしていた頃、実家にいて近くの所を歩いていた。複合団地みたいな建物の駐車場で三人組の若い人達がいて、そのリーダー格の男と、その男の彼女みたいな女がいて、もう一人の男が僕の知っている人だった。田上先輩だ。中学のバスケ部の田上先輩だ。スリーポイントシュートの超上手い人だ。
中学の時、バスケ部で僕のプレイに難癖をつけるような接し方をする、今考えると僕の運動能力の高さに嫉妬しているようでもあった、嫉妬心の強い欠点も多い人だった。しかしバスケの技術実力はある人と言う事だと思う。
当時その人はレギュラーとかスターティングファイブとかじゃ無くBチームの人だった。補欠。
その先輩が何故こんな所にいる?僕は一瞬心を奪われた。格好は、カーキ色のチノパンに、白のボタンカジュアルシャツ、そのシャツの裾をズボンから出して、個性を消す若い人達のファッションで、そのリーダー格の男が笑いながら(リーダーだけあって陽気な心を持てる技術はある)田上先輩を見てて、その彼女が田上先輩を見ていた。田上先輩は陽気と言えるような笑い方とは到底言えず、ニヤニヤしているのが痛々しかった。
その時、僕を襲った感情は、嗚呼、あの中学の時の閃光のような先輩のジャンプシュートが何処にも無い!と言う事だった、、、、、、
バスケしか知らないで大きくなっちまったものだから。世間で生きて行くには幾らバスケ技術が高かろうが通用しないものなァ。その人の人間的心だけ見られる訳だから。その人のスリーポイントシュートを見られる訳じゃ無い訳だから。バスケ部のキャプテン格の先輩達の心なら娑婆では生きていけるかもしれないけど、腐る程いた補欠格の先輩達の心でどうやって娑婆で生きていけば良いのだろう?学校の部活でしか通用しない。
他人の世界で、他人が陽気な心?で大活躍しているから、僕の部活の先輩は、その陽気な心?を真似て、ニヤニヤ笑いをするしか無いじゃ無いか!
僕も世間と言うか宗教だったが先生とかに陽気になった方が人に好かれるよって言われた。はい。そうさして貰いますって言えば良いのだが、その先輩の例もあるけど、陽気になんてなれるかよ!出来てニヤニヤ笑い位しか出来ない。
バスケ経験者の娑婆での生き方を如実に描いたのが井上雄彦のリアルだと思う。主人公の野宮は言ってた。「仕事無ェ!女いねェ!」
僕も、バスケ経験者だよ!仕事無ェから、仕方無く作業所で仕事して、陽気な心なんて持ち合わせて無ェから座禅している、、、、、、もう作業所の仕事15年やって、座禅10年やって続けてる。座禅だけじゃ無いぞ。作業所の仕事も疲れた。
作業所の仕事15年座禅10年かァ。仕事も座禅も疲れた。家に帰りたい。体も毎日筋肉痛だし。その微々たる僕のキャリア。嗚呼、神様。これから何をして僕は生きて行くのか?クラスメイトのミヤケンが菊名のスーパーマーケットで働いていたのを思い出す。20年位前に。ネットで検索すると2025年の今でもスーパーマーケットは潰れずに続いていた。ミヤケンは今でも働いているのだろう。
俺も菊名の喫茶店でアルバイトしてみたかった。
嗚呼、また懲りずに作業所、通ってる。今日なんて最悪で、何も喋れないで、喋らなくても良い、人の話してるのを聞いていれば、それでいつも俺は作業所で辛い時、スマホで自分の顔ポートレイト撮るんだけど、夜、その写真を見たら、明らかに苦しんでいる、行き場の無い気持ちを抱えまくっている、あまりに自分が小さく見えたから俺は、こー思った。この写真の自分には、あの凄いカットイン(バスケのプレイ)が何処にも無い!
俺もやはり一緒だ。バスケ経験者が社会に出るって言う事、、、、、、
清原の気持ちが分かった。野球のストレスはプレイで果たせたけど、娑婆のストレスは麻薬に頼るしか無かった果たせ無かった。
スポーツの世界で頂点を極めた人格者の一人の男でさえ、唯生きると言うだけの事で悩んてしまう。そうであるなら僕らスポーツそれも部活のレベルの経験者然としてる弱すぎる僕らは社会でどう生きていけば良いのか?
僕も社会で頑張ってみたがどうにもならなかった。ボロボロになって実家に帰りたいって事だけ思っている。一秒一秒苦しくて。禅らしき事も手を出したが(僕としてはバスケの代わりに禅座禅をやってみたつもり)事態は禅をやればやる程悪くなって、、、、、、
yoshikiも大変だ。最近、昔映画に子役として出ていたブラッドレンフロ思い出して今どうしてるのかなァ?と思ってネットで検索したらドラッグの過剰摂取で亡くなっていた。
俺の心で生きてきたけど、そろそろ行き詰まってきた。タクシードライバーって映画があったがトラビスの趣味はボルノ映画館に行く事だった。
ボロボロになって廃人みたいになって親元に帰るしか無い!
今日から俺は、って漫画がある。不良の漫画なんだけど、一人のキャラが、カラッとしてて何て気持ちの良い奴らなんだって不良達を指して思うシーンがあったが、
俺も学校でバスケをやって、多分そのバスケが凄くて、そうすると一人の不良。不良のはしくれが出来上がる、、、、、、俺はね。そうすると俺は、そうなった俺は、幾分カラッとした奴になるんだろー。
学校には別にスポーツなんてしなくても不良、ヤンキーの生徒はいた。漫画も漫画なら、現実も現実。カラッとした人達だった。そう考えて行くと僕のバスケ不良はしくれの幾分かのカラッと性含めて人生の不思議さを感じる、、、、、、
不良が一番良いよー。学生は。(それでも人間は複雑で数学みたいに、そこにオタクタイプ、普通タイプってのが存在する訳だけど、そいつらは、カラッとしている訳では無くて、クヨクヨしたり悲観的心が存在してくる。こうやって書いてるだけで悲しくなる。)
大人になるとは不良から決別する事。不良を卒業する事を意味する。それでボクシングをしたり、ヤクザになったりする奴もいて。映画では漫才芸人のマネージャーと言う職業に就く一不良もいる訳だ。
まァ僕は、バスケをやって、その分実質的に不良だった訳だけど、何処に辿り着いたか?って言ったら大人になってどうな風になったか?って言ったら、唯障害者になって作業所で働いて作業所に就職して一方で座禅をするバスケの代わりに座禅をするって事をしていて。
中学校で一不良の俺は、それ位しか出来なかった。それで座禅をコンティニューしてヨガサークルみたいなの作って人にヨガを教えてあげる、それ位だけの善行しか出来なかった。だから、たまに善行する。それ位。
大した事無い。それが限界、限度なんじゃ無いかなァ、、、、、、善行の競争みたいになってる。グループホームに住んでいて僕とあと女性の一人のメンバーが割と善行を出来る人ってなっていて。そのレベル。僕はタバコも吸うし。
X JAPANのyoshikiも学生の頃、不良だったらしいけど。音楽を職業にして。その音楽で善行をするのをライフワークにしているんだってサ。チャリティライブをするらしい。
僕はグループホームの小さな社会、とか、そこに居る人間を見てきたけど、皆善行なんてしない。それでも暗に同時に善行の競争のようでもある。それはとても競争は激しい。ちょっと外に出れば自分より善行が上手い人なんて幾らでもいるようでもある。もっとヨガをやったり教えてあげたりした方が良いんだろうけど、これ以上は自分はしたく無いし。
そんな僕の趣味は、たまにする読書。趣味まで座禅にしちゃう時もある。
そして僕の人間関係は、ほぼ喧嘩で成り立っている。この文章を読んで貰えば分かると思うんだけど喧嘩になりそうでしょ?大喧嘩になりそうでしょ?創価学会とか幸福の科学とか天理教とかをやってれば僕みたいに大喧嘩にはならないんだヨ!
オリジナルの座禅なんかやると、何処までも喧嘩になる。そして喧嘩になる座禅は僕でしか無い。今の僕のいる作業所も本当に潰してしまうかもしれないナー。僕の悪く言えば一人よがりの座禅で、、、、、、
作業所の若いキュートな女性スタッフのハートを僕が座禅をするから奪ったりしてしまって男性メンバーが怒ったりしてしまうのも喧嘩の要因になっていて。僕自身だって、流石にそれは気の毒だから、あまり女とは関わらないようにしている。
だから男性メンバー全員が憧れてるキュートな女性スタッフ。その女性スタッフが前触れも無く僕にコクッてくる。作業所が潰れる。そーゆー図式。