『華嶋組』若頭
リンネに修道士になることを勧めたトマスは、鍋の具を自分の木皿へ移しながら話を続けた。
「僕たちはこのイーストドメインを華嶋組のみなさんと共に守る務めをしています。
異能の力が使える使えないに限らず、神を信仰する者として多くの人々と対話し、悩み、救われることを祈ります。
あ、このお団子もらいますね…」
「リンネくん、とても真面目で人を大切に想う優しい心を持っていますし、修道士合ってると思いますよ。
それから…仕事柄多くの人と会う機会も増えますし、ジュリさんを探すためにも、良いと思いませんか?」
樹李を探しやすくなるという点では間違いなく良い話ではあったが、リンネにはこの世界に来るまでの自分がやってきたこととトマスのような修道士の仕事が、どうしても反するように思えていた。
「トマス、そりゃあ買い被りすぎだ…。俺は自慢なんかできねぇことばっかやってきた人間だ。気に入らねぇモンは拳で片付けてきたし、お天道様に背を向けてやっちゃいけねぇことだって沢山やってきた。
そんな俺が他人様を救おうなんざ、笑いモンにもならねぇよ」
自嘲気味に話すリンネに対し、トマスは首を振り暖かな微笑みを浮かべる。
「ふふ。それが合ってるというのですよ、リンネくん。
人は誰しも過ちを犯します。しかし、その過ちさえ自分の糧として生きていかなければならない。それに苦悩し壊れそうになった時、寄り添い手を差し伸べるのが僕たちのすることです。
君には、君の過ちを乗り越えて今を生き抜こうという、とても強い心があります。
きっとそれは、誰かの救いになりますよ」
「あぁ、もちろん最初はジュリさんを探すついで、くらいに考えてもらってもいいです」
修道士という生業が何をするのか、完全に理解しているわけではないリンネだったが、
自分の命を助け、さらに救いの手を差し伸べてくれるトマスに対し、胸を熱くさせた。
(あぁ…トマスに恩を返すってのは、これなのかもしんねぇな…)
(樹李を早く探し出すためにも、俺が取るべき選択は…)
鍋から取り分けたスープをズズッと飲み干しリンネは答えた。
「…トマスが俺にできるってんなら…修道士やらせてくれ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえてとても嬉しいです。
それでは、これからよろしく。リンネくん」
トマスが差し出した手を、リンネは力強く握り返す。
強い強いと痛がっているトマスをリンネがからかいながら笑っていると、
コンコン…と先ほどとは変わって控えめなノックが扉を叩く。
トマスは扉の近くにあったワゴンを動かしながら近づくと、しばらくしてノックの主が名乗る。
「華嶋組若頭、海月愛夏にございます~」
パタパタと足早に扉へ向かったトマスは、やぁやぁと明るい声を掛けながら、扉を開けて客を招いた。
「ごめんねぇ…食事中で散らかってて申し訳ない…
あ、若頭さんはそっちの席へどうぞ」
入ってきた女性はトマスに礼をすると、軍帽のような白い帽子を脱ぐと、落ち着いた茶色の長い髪を揺らし腰をかけた。白地に桜模様が入った軍服風の服に、日本刀に似た長い剣を帯刀している。
食べ終わった食事をワゴンに載せながらトマスが初顔合わせである二人を気遣い軽く紹介を始める。
「若頭さん、こちらリンネくん。
あぁ、シドウ・リンネくんがフルネームだね。
海岸へ続く森の方でレムナントに襲撃を受けたようで、先ほど祈りを終えて連れてきたんだ」
「リンネくん、こちらは華嶋組の若頭さんだよ。
セリカが髪の色が似ているお姉さん~って言ってた方だね」
一体どんなヤクザ風の人が出てくるのだと思っていたリンネは、
悪い事にはまるで縁がなさそうな、上品なお嬢様にしか見えない若頭の愛夏を見て、色々と考えを改めていた。
(これはヤーさんなんて言っちゃぁ失礼だなぁ…
にして…名前も服装も…刀もまるで日本人の成りみてぇだな)
トマスの紹介が終わると、愛夏はリンネの方へ身体を向けて深々と頭を下げた。
「リンネさん…、レムナントに襲われたとのこと、申し訳ありませんでした…
森で出たレムナントは、恐らく先日の戦闘で我が隊が取り逃した個体でして…。
トマスさまのお陰で一命はとりとめたとのことですが、お詫びとして…わたくしのっ…腕一本を…」
おっとりとした喋り方とは正反対に素早い動きでチャキと刀を抜き出そうとした愛夏であったが、すぐにリンネが立ち上がり制止する。
「っちょ、姐さん、やめろって…
俺はトマスに直してもらってこの通りピンピンしてんだ。
何もわかってねぇ俺があんなとこいたのもワリぃ」
おいおいおい…と涙を流しているような動きをしつつ、ゆっくりと出しかけた刀を鞘にしまうと愛夏は胸に手を当てて、改めて深々とリンネに礼をした。
「…寛大なお心遣い…恐縮でございます~…」
礼が終わるや否やパッと顔を上げ、翡翠のように煌めく瞳には涙の跡などもちろん無く、微笑む顔はまるで女神のように穏やかであった。
(…切り替え早ぇな。これがヤーさんのやり方か…)
などとやはり愛夏に対しヤクザ感を拭いきれない印象をもってしまうリンネであった。
食事の片付けを終えたトマスが、お茶の準備を始めていた。リンネに出した質素なコップとは異なり、花柄の湯呑と受け皿にお茶を入れている所を見るに、大事なお客様ということが垣間見える。
テーブルにお茶を差し出すと、愛夏を呼んだ理由であるレムナントの討伐について話を始める。
「今日は若頭さんお一人ですか?」
「あらぁ、素敵な湯呑ですね~。いただきます~。
えぇ…はぐれた個体なので脅威ではありませんし、我が隊の汚点ですので…
わたくしが責任をもって…切り刻んで差し上げませんとねぇ…ふふ」
穏やかな口調ではあったが、目が笑っていない愛夏を見て、トマスも愛想笑いしか返せなかった。
「はは…、一人で向かうのも何かあったとき大変ですし、僕もお供いたしますよ」
トマスさまのお手を煩わせるなんて…と最初は断りを見せた愛夏であったが、
引かないトマスに負けて、最終的には同行をお願いした。
二人のやり取りを窓辺に離れて見ていたリンネは、攻撃的な異能力を持つという華嶋組の力と、親近感の湧いた日本風の刀を使うところを見てみたいという欲が出てきていた。
「…なぁ、それ俺も連れていってほしいんだが…
クソカラスがいた所までは案内できるだろうし、何よりアイツのぶっ飛ばし方を見てぇ」
ダメ元で聞いたリンネの反応とは反対に、トマスも愛夏も道案内も兼ねてなら、という理由と目標が1体だけであることから、快諾してくれた。
「念のため…ですが~
森に入りましたら、わたくしの近くにはなるべく寄らないようにしてくださいねぇ~。
間違って、斬っちゃうとたいへんですから☆」
テヘッとした顔で言うには恐ろしいことを告げられたリンネは、愛夏に向かってコクコクと頷き、森へ向かう準備を始めた。
ーーーバシュッ!!
「はぁっ…!『剣閃』!」
愛夏が樹の上にいたレムナントめがけて放った一閃は、青白く光る剣撃の波動を放ち見事に命中した。
腰まで伸びた愛夏の髪が剣撃の軌道と反対方向に揺れ、レムナントと共に刻まれた葉の一部が頭上からパラパラと落ちてくる。
カラスのようなレムナントはリンネが襲撃を受けた道付近の樹に変わらずいたため、討伐はあっけなく終わったのであった。
「若頭の姐さん、スゲーじゃねぇか…
…チッ、俺もクソカラスに一発お見舞いしてやりたかったぜ」
リンネはレムナントが元いた樹を見上げながら、拳を握りしめていた。
「うふふ…剣なら自信があります~。
リンネさん程の気迫があれば、レムナントも怖がっちゃうかもしれませんねぇ~」
剣を左右にサッと払い鞘に収めると、愛夏がリンネとトマスの元へと歩いてきた。
愛夏の言葉にトマスもうんうんと頷く。
「いやぁ?アイツにガン飛ばしてやったけど影みてぇなの揺れるだけで、
ビクともしなかったけどな」
「えぇ~…揺れたのがほんとだとしたら、リンネくんのメンチ切り効いちゃってるんじゃないですか…?」
トマスは目つきの悪さをちゃかすようにリンネを肘でつつきながら話していると、愛夏がスッとリンネの手を取った。
「な、なんだよ…」
急なスキンシップにたじろぐリンネであったが、愛夏はそっと自らの刀の方へリンネの手を動かし、赤らんだ小振りの唇を耳元に近づけて囁く。
「ためして…みます…?」
「…いい、のか…?」
ゴクリと唾を飲んだリンネであった。が、もちろん愛夏の妖艶さに当てられたのではなく、日本刀のように美しく、凄まじい一閃を放った刀に興味があったからである。
断じて愛夏がセクシーだったからではない。
リンネは愛夏の誘いに乗じて剣を握らせてもらった。
(…剣を握ったのは久しぶりだ…)
幼い頃に剣道を習っていたリンネの構えは立派なものであった。
愛夏の刀「月屑」を手に、自然と右足を少し前に出し、かかとを少し上げた剣道の基礎である中段の構えをした。
波の音が聞こえる静かな森で、リンネは一度目を閉じる。
そして思い切り剣を振り出すとーー
ーーパシュッ
「「っ!?」」
トマスも愛夏も、剣を握るリンネをどこか微笑ましいくらいに見守っていたのだが…
リンネが振り下ろした剣の先からは、愛夏のものとは比べものにはならないほど微量だが、異能力『剣閃』の波動のようなものが飛び出したのだ。
(…なんか出た…よな?)
まさかの事態にリンネはゆっくりと目をパチクリとさせているトマス達の方を振り返る。
「…えぇっと、リンネくん…もしかして異能力が発現しちゃった?」
でもそんな…とトマスがあわあわとしていると、隣にいた愛夏がリンネに近づき刀を返してもらうと、今度はトマスの手に自身の刀『月屑』を渡す。
「トマスさま、ちょっと思い切り振ってみてくださります?」
「わわ、結構重いですね…。ん~…えいっ」
ーーパッ
腰の引けたトマスの弱々しい一振りからも、リンネが出した剣の波動より更に弱いが少しだけ波動が出たのであった。
やっぱり…と言いながら愛夏がトマスから刀を受け取る。
「…わたくしの力が『月屑』に残存していたようですねぇ。
取り逃した忌々しいレムナントを斬ることばかり考えておりましたので、先ほどすこ~し力を入れすぎてしまったのかもしれません」
「んだぁ、俺も使えるかと期待しちまった…」
「ふふ…。すみません。
でも、リンネさんの一振りはとてもお見事でしたよ。
『剣閃』は異能力の発現者とはいえ、波動を出すまでに少なくとも10年刀を降り続けよ、と言われますもの。こんなに簡単に出してもらっては、わたくし悔しくなってしまいます」
「10年か…
俺じゃいいとこ7年ってとこか。アニキ継いでからは剣道辞めちまったしなぁ」
姐さんやるなぁ、と言いながらリンネは素振りを始める。
そんなリンネの手に微かな光が宿っていたことには、本人はもちろん誰も気づいていないようだった。
「それではレムナントの討伐も終わったことですし、帰りましょうか。
あぁ、若頭さん。そういえば先ほど便りにも書きましたが新しく入った方とお会いしたく…」
「そうでした~。あの子、翼ちゃんと一緒に学園へ行って護衛をしておりまして、外回りの多いわたくしと接点があまり無くって…。戻りましたら翼ちゃんにお伝えしておきますね」
「あぁ組長さんの後輩でいらっしゃいましたね。ご面倒かけますがお願いします~」
リンネが次の目的にしていた華嶋組の新入りと会えるよう約束をつけると、愛夏とは別れトマスと共に教会の宿舎へ帰路につく。
宿舎の3階、トマスの居室の近くにある客間をしばらくリンネが使わせてもらうことになった。
素朴で小さい木のテーブルとタンス、ベッドが置いてあるだけであまり広くはないが、海からの爽やかな夜風が漂う空間は、リンネにとって居心地の良い場所となった。
次の日朝早くから、修道士見習いとして礼拝に参加することになっていたリンネは、清潔なシーツが敷かれたベッドで目まぐるしい一日を思い返していた。
(…いまだに信じられねぇな…
俺は死んだ。だがこの世界で生きている…。樹李は…わからねぇが…)
(明らかに危険なこの世界に、無力な俺が生きていく…意味は…)
そんなことを考えながら、眠りについた。
リンネの眠りが深くなり、夜も更けていった頃。
果てしなく遠くの空で大きな光が弾け、音もなく消えていく。
『湘南之獅子』総長、獅童輪廻がこの世界に転生した日、
3番目のウォール国家『ウォール3』が滅亡した。
国家間の通信は断絶されているため、滅亡については誰も知る由もない。
リンネがこの世界に来たこととの因果は不明であるが、
この日、何かの運命の歯車が動き出す。
その歯車に巻き込まれるのかどうか、それはまだ先の話。
修道士となったリンネは、転生した『ウォール6』で爽やかな朝を迎えるのであった。