壁の世界で
ここは、光の壁『ウォール』によって囲われ守護されている世界。
リンネがプロジェクションマッピングと形容していた、上空にうっすらとみえる光がウォールである。 このウォールは『レムナント』という闇の脅威から人々を守るために存在しているという。
6番目のウォール国家『ウォール6』は5つの領域からなり、国をまとめ信仰の対象となっている『マジェスト教』の総本山である『中央区域』を中心に、東西南北にそれぞれの守護者が守る区域が制定されている。
現在リンネは『華嶋組』という守護者によって守られている『東方区域』の海岸部ナギミカゼ町にいるということであった。
教会の宿舎へ案内されたリンネは、トマスの部屋でこの世界について基礎的なことを聞いていた。
トマスの部屋は質素ながら広々としていた。寝室とは別に応接間兼リビングの部屋があり、欅のように立派な一枚板のテーブルと椅子が中央に配置されており、6人ほど座れる余裕がある。
トマスは一通り話を終えてから、自分の寝室から着替えを持ち出しリンネへ渡す。
「その服だと不便でしょう?
僕には少し大きいのでしまっていたんですが、よかったら使ってください」
リンネはトマスの話にまだ頭を困惑させながらも、礼を言うと椅子から立ち上がり、ボロボロになっていた黒いシャツを脱いだ。
大柄な身長を支える分厚い胸板に、魅せるためではなく”使う”ものだけ発達した腕や背中の筋肉は格闘家の如く引き締まっている。
トマスの治癒を受けた右腕の傷は、流血こそ止まっているものの肩から肘上まで大きな傷跡として残っていた。
白く清潔な麻布のシャツに着替えながら、リンネはひとりごとのように自分が置かれている状況を呟く。
「…俺は死んで、この世界に生まれ変わったってかぁ…
呪いやら魔法みてぇなモンはあるし…
…ンなゲームみてぇなこと起きんのかよ…」
いい身体してますねぇなどと、着替え中のリンネを茶化していたトマスであったが、リンネのひとりごとに対して返答する。
「生まれ変わった、というのが正しいのかはわかりませんけどね。
ここではないどこかの世界から、リンネくんがウォール6に来てしまったということでしょう…。
…ただ、リンネくんが探しているジュリさんが一緒に来ているかどうかは、探してみないことには…」
「…あぁ。…それは、何がなんでも探し出してぇとこだ」
着替え終わったリンネは窓際に腰掛け、教会の宿舎の最上階である3階から、のどかな海辺をみながら少女の行方について考えていた。
(…だが、もしこの世界にいる…っつうことは樹李は死んじまったってことになるのか…?
…見つかったとしてそれは、いいこと、なのか…?)
「…悩んでも仕方ねぇか…
とりあえず、その『華嶋組』ってヤーさんに会って新入りが樹李なのか確かめてぇ」
リンネは窓の外に見える海と元いた世界でよく見た湘南の海を重ねながら、首を左右に傾けポキポキと鳴らし、次にやるべきことを決断したようだ。
自分は死に、この世界にやってきた。まずは一緒にいたはずの少女の行方を探す。
大切に想う少女に会いたいという気持ちは強いが、たとえ会えなかったとしても、それは元の世界で生きているかもしれないという希望に繋がるかもしれない…と。
少しでも手がかりになるのであればと、トマスが言っていた華嶋組の新しい人という少女に会ってみることにしたのだ。
「ひとまずは…そうですね。華嶋組へはリンネくんを襲ったレムナントの報告をしなければいけなかったので、併せてその女性についてもお伺いしましょうか」
ヤーさんじゃなくて守護者さんなんですからね、などといいながらトマスはすぐにその機会を作ってくれるようだった。
「おぅ。何から何まですまねぇな…。俺にできることがあれば言ってくれ。
生まれ変わったってのにまた死んじまいそうなところ、トマスに救ってもらった命だ。
恩には報いる」
そう言ってリンネは窓辺からテーブルの方へ移り、トマスをまっすぐに見つめて礼をした。
「ふふっ…リンネくん、意外と真面目な方なんですね。
最初に見た時は、どこぞのチンピラがセリカと一緒にと…
コホン。…失礼しました…」
少しだけリンネの鋭い視線が気になったトマスはそれ以上言わない方がいいと判断したようだ。
トマスは話をしながら懐から紙を取り出し、その紙を撫でるように指でスーっとなぞった。
すると光に包まれた紙にはたちまち文字が浮かび上がり、ひとりでにパタと折り畳まれて鳥のように窓から飛んでいった。
「…これも、魔法みてぇなやつか?」
リンネは自分を治癒した力と同じく、魔法のような現象を再度目の当たりにして改めて不思議に思ったようだった。
「これは僕の『異能力』です。
さっき説明したレムナントから人々を守るためには『異能』の力が必要なんです。
守護者である『華嶋組』のみなさんは、レムナントへ対抗し得る攻撃的な異能力を持つ方が多いですが、僕はリンネくんを直した『祈り』の力、あとは今みたいに小さいものを動かす『遊玉』の力を少しだけ使えます」
「ン?したら、俺があのカラスみてぇな黒い…レムナントをぶっ飛ばすには、拳じゃ効かねぇってことか?」
「えぇ。レムナントに人間の物理的な干渉はできませんね。
もっとも、拳に力を付加するような異能を持つ方もいらっしゃるので、それは別ですが…」
「どうしたらその力を使えるんだ?」
あのカラスに一矢報いてやりたい、という思いからリンネはグイとトマスに顔を近づけ問い詰めた。本人は意識していないが、威圧感がすごい。
「ざ、残念ながら異能力は生まれながら持っている力でして…
10万人に1人かそれ以下程度と言われています。それも男性の発現は稀なんですよね」
リンネはトマスの答えに乗り出していた身体をバタッと椅子に落とす。
「…マジかよ…
ンじゃ、トマスはすげぇやつ…ってことか。もしかしてセリカも使えるのか?」
「いえ、セリカは異能力者ではありません。
教会には必ず一人は祈りの力を使える者をおくことになってますが、それ以外は基本的に異能力者はおりませんね」
なるほどな、といいながらリンネはセリカが必死になってトマスを呼びに行ってくれていたことを思い出していた。
トマスは椅子から立ち上がると、長話で冷たくなっていたお茶を入れ直しに行った。
温かいお茶をリンネに差し出しながら、セリカの過去について語り始めた。
「セリカは…この教会へ入る前に、レムナントに襲われてお姉さんを亡くしています。
リンネくんを見て必死になっていたのも、それがあったからでしょう。
この町の中にもレムナント被害者は多く、ウォールによって守られているとは言っても危険と隣合わせの毎日なんです」
「僕は『祈り』の力が使える者として、一人でも多くの助けになりたいと教会へ入りました。それでも…全てを救うのは無理でした。
今日…リンネくんをセリカが見つけてくれて、その力になれたこと、とても嬉しいんです」
過去に救えなかった命もあるのであろうトマスは、少し切なそうにリンネに微笑みを向けた。
「…そう、だったのか。
セリカには後でもう一回礼をしねぇとな。
あとは…そうだな、やっぱり何かトマスの力になれることを探してぇ。
樹李を探すのも世話になるし…何をしてやれるかってことだが…」
「ありがとう、リンネくん。僕にできることをしただけですので、あまり気負わなくていいですからね」
そうは言ってもなぁとリンネが頭を掻いていた所、
少ししんみりとした雰囲気の中にドンドンッとトマスの部屋の扉が力強く叩かれ、ガチャリと勢いよく扉が開かれる。
「トマスさん食事持ってきたさぁ~
今日は不漁みてぇで魚なしのババァ鍋じゃぁ~」
扉から入ってきたのは恰幅の良いエプロン姿の老婦であった。
持ってきた木のワゴンの上には、湯気がほかほかと出ている大きな黒い土鍋が置かれていた。
トマスは鍋の蓋を取り、野菜の彩りが豊かなシチューのような食事に目を輝かせていた。
「わぁ、これは美味しそうですね。
僕ババァ鍋とっても好きです~。
シェラさんいつもありがとうございます」
シェラと呼ばれた老婦は鍋だけ置いてすぐに扉から出ていこうとしたが、クルッと見返りリンネの方を向く。
「あんたがセリカが言ってたにいちゃんかねぇ?
あんたも食べて、セリカに礼言っておきぃ。
あの子が二人分用意してくれって、おっきな鍋出してきたんだからねぇ」
「…そうか。
セリカには頭上がらなくなっちまったなぁ…
ばあさんも、ウマそうなメシありがとな。ありがたくいただく」
リンネはセリカの気遣いや食事の暖かさに触れ、つい頬を緩めながら礼をした。
腕をさっと上げて礼に応じたシェラばあさんは、忙しそうに扉を出ていった。
リンネとトマスは、鍋が冷めないうちに、と食事を取りながら話すことにした。
大きなテーブルには美味しそうな鍋と、木製の食器が並べられた。
リンネが食べ始めようとしたところ、
トマスがじっと目を閉じ両手を組み祈るようにしているところ見て、なんとなく行儀が悪そうだと感じたリンネは、空気を読んでトマスの目が開くまで待つことにした。
さぁ食べましょうか、というトマスの声掛けに、
状況が状況であっただけに空腹を今まで感じなかったリンネのお腹はグぅと鳴り、腹の底から「いただきます」と口に出し、拳をパンと叩き勢いよく食べ始めた。
「それはそうと…
…あちち…ふ~、ふ~…
リンネくんおうひないれふけろろうするんれすか?」
トマスがアツアツの野菜とスープを頬張りながら喋りかけるが、一体何を言ってるかわからない。
「お前…食べるか喋るかどっちかにしろって…。
まぁ、家が無い…そうだなぁ…
…外に寝泊まりするわけにもいかねぇし、考えねぇといけねぇなぁ」
家が無いけどどうするか、とトマスに問われていたようだが、リンネにはかろうじて伝わっており会話が成立した。
状況の把握に必死で衣食住については何も考えていなかったリンネである。
元の世界でも決して良い生活だったとはいえないが、レムナントという脅威がある以上は野宿するには危険が多すぎる。さらに金銭も無ければ、替えの服も無い。
トマスの恩に報いたい気持ちがあるので、さらに世話になる訳にはいかないしどうしたもんか、などとしばし葛藤をしていた。
(…背に腹は代えられねぇしなぁ、トマスに頭下げて少しの間世話になるか…?
…腕には自信あるが、レムナントには効かねぇしな…
対人特化型の用心棒ならいけるか…?)
食事の手をとめて眉間にシワを寄せて悩んでいるリンネに、トマスはニコリと微笑みながら提案をする。
「リンネくん…よかったら修道士やってみませんか?」
「…はぁ?俺が…修道士?」
全く思いもよらない提案に、リンネは間抜けた声を出してしまうのであった。