2-3. ふたりのデートは予定外に(3)
【ドレスを買うだけで、ここまで遠慮されたのは、はじめてだね…… もしかして、かなり昔に流れた公爵家困窮の噂を信じているのかな。それとも、金持ちアピールがウザかったのか…… いやアピールしたつもりはないのだが、聞きようによってはアピールととれないこともなかったかもしれないね…… 】
公爵の内心ではどうしてだか、シェーナにとんでもなく気を遣った上での大反省会が開かれているようだ。不覚にも感動してしまう、シェーナである。心の声が聞こえるがために、普段は気を遣う一方で遣われたことなんてなかったからだ。そしてなんだか、申し訳なくなってしまった。
「いえいえいえ! やっぱりドレスほしいです! その、端から端まで全部、とかそういうことされたら困るな、って思っただけなんで」 【恋愛小説ならいかにもそういうことしそうよね、このひと】
「してもいいよ? 」 【やはり金持ちアピールがいやだったのだね。今後は気をつけなければ】
「それだけはまじに遠慮させてください」 【いえいえ、うざい金持ちな自覚があるだけすごいほうだと個人的には思いますけど】
「では普通にオーダーすることにしようね」 【だが棚買いか、なるほど…… いや、やはり安直すぎて使えないな】
「はい! すごく嬉しいでございます! ありがとうございます」 【なにに使えないのかわかりませんけどどうせそうでしょうよ…… 】
「喜んでもらえそうで僕も嬉しいよ」 【おかしいな。たいていの女性はもう少し感動してくれるはずなんだが…… ああそうか、やはり聖女を罷免されたことがショックだったかな。かわいそうに】
なにやら勝手に同情した公爵が優しくほほえんで、シェーナの肩を抱き寄せた。もちろんシェーナの 【かわいそうだからって、そんなことされたら緊張するから! 】 という心の叫びは聞こえていない。
ふたりは寄り添って、豪奢なドレスがウィンドウを飾る店に入った。双子の姉妹が経営するドレス店 『イリス&ヴェーナ』 は、シェーナは知らないが王女殿下もお気に入りの界隈きっての高級店だ。
店内は店というよりはむしろ、サロンのようになっており、出迎えたのは白い髪をきっちりまとめた老婦人だった。着ているのはほかのお針子たちと同じシンプルな黒のドレスなのに、1本筋が通ったような姿勢やテキパキとした物腰から、ひとめでこの人がオーナーとわかる。公爵は彼女にシェーナを紹介し、簡単にオーダーを出した。
「普段着とデイドレスとイブニングドレス、それから部屋着。それぞれ数点ずつ頼むよ。ほかにこのひとのほしいものがあれば、そのとおりにしてくれたまえ」
「公爵。それ棚買いとほぼ変わらないですよ、数量的に」
「ん? ご希望どおり、棚買いはしてないだろう、奥さん。せっかくだから全部、きちんと合うものでそろえたほうがいいね。採寸もしてもらっておいで。イブニングドレスはすべてオーダーメイドで、そのほかはどちらでもいい」
「それ棚買いよりもさらにお金かかるパターン。王家のみなさんのほうがつつましやかでしたよ? 」
「彼らの暮らしは税金で賄われているからね。気の毒に」
つまりは王家より金持ちだとアピールしているんですか、とツッコみたかったシェーナだが、また内心の大反省会が開かれそうなのでやめておいてあげた。ちなみに、王家の面々の生活が意外なほどにつつましやかなのは、周辺国に次々と革命だの反乱だの侵略戦争などが起こっているなかで、ルーナ王国が唯一なんとか平和を維持しているためである。外交と内政に力をそそいでいじましく延命を図っている王家に、無駄な贅沢をする余裕はないのだ。
「いえでも、わたしもついさっきまでは聖女で王家側だったんで、あまりにぜいたく感があるのはちょっと」
「大丈夫だよ。せっかくハインツくんがもう聖女しなくていい、と宣言してくれたんだからね。少しくらいはじけてもかまわないだろう」
「人が変わるにはそれまでの倍の時間が必要なんですよ? 」
「そうかい? では、ブーストしたまえ」
公爵にとってはこれがスタンダードなのだろう、とシェーナは思った。だが、シェーナは貧民街育ちなだけに、お金を使うことにはどうしても罪悪感がある。世の中には 『金を使えば経済が潤うから結局は下々のため』 などと信じている金持ち貴族もいるが、潤うのは金がまわってくる範囲内にいる上級な人々でしかなく…… 中間層以下の平民には、実はあまり関係ない話なのである。
「そんなお金があるのなら、貧民街への支援にまわせばよくないですか? 」
「貧民街へは毎月、住環境の向上と職業訓練のための寄付をしているよ。そうだね、シェーナが慈善にも興味があるのなら、それ用の動きやすいシンプルなデイドレスをもう2、3着。そうそう、来客用のアフタヌーンドレスもいるね。オーダーメイドでもいいが、そこのトルソーが着ているものがシェーナに似合いそうだ。髪や目に合わせるなら、黄系色が入ったものがいいね。オーナー、何点か、試着させてもらっていいかな? 」
「かしこまりました」
「もうこれで、じゅうぶんですからね、公爵! 」
「わかったよ。では、それだけ頼む…… ついでに、公爵ではなく名前で呼んでくれてもいいんだよ、奥さん? 」
「そ、それは…… もう少し待ってください」
「そうかい? 残念だ」
名前呼びだなんて、彼をおとすにはいずれ必須ではあろうが、今のところ緊張しすぎてとてもできない ―― そう思うシェーナだが、店内のそこここで仕事をしつつ聞き耳をたてていたお針子たちは一瞬、色めきたった。
試着室にシェーナを案内してくれていたお針子が、小声で話しかけてくる。
「愛されてらっしゃいますね。羨ましいですぅ! 」
「え…… そうかな」
「ええ、そうですとも! 法律でしかたなく王太子さまの婚約者になっていた聖女さまを、公爵さまが真実の愛で略奪されたんでしょう? ステキ。あたしも、ふたりの男性の間でゆれてみたいですぅ! 」
「…… その噂は、いつ聞いたの? 」
「さっきのお昼休みに、王宮の侍女さまがたがいらっしゃって。すごく盛り上がってましたよぅ」
「へえ…… みなさま、情報が早いのね」
「だって、今日いちばんのニュースですもの」
お昼休みというと、ちょうど王宮ホールでシェーナの誕生日パーティーが始まった時間帯である。前もってよりセンセーショナルな噂を侍女にまきちらさせたのは、聖女が婚約破棄されたと噂がたつのを防ぐための王太子と姉王女リーゼロッテの策略だろう。どうあってもシェーナには恥をかかすまい、という心遣いを感じて、シェーナはまぶたが熱くなった。
―― ハインツ王太子のやりかたにはものすごく疑問が残るけれど、それでも、できる限りのことはしようとしてくれていたのだ。正解ではなかったかもしれないが、そもそも、全てに正解できる人なんてなかなかいない。そう考えればやはり、婚約破棄されたことにこれ以上こだわるべきではないのだろう。笑い飛ばしておしまい、それがたぶん正解だ。
「ねえ。公爵は本当に、わたしのことが好きなのだと思う? 」
「もちろんですぅ。あれ見て愛されてないなんて思う人、いらっしゃいませんよ」
「うーん。なるほど」
シェーナだってわかっている。
このデート中の、公爵の態度も心の声も、まさに 『正解』 。あんなふうに完璧に優しく寄り添われたら、誰だって愛されていると思うだろう。
けれど違う、とシェーナは確信していた。なにしろ彼にとっては、恋愛も結婚も添え物のパセリなのだ。彼はシェーナのために、真実の愛で略奪なんて、絶対にしない。政略で婚約のやり直しをせざるを得ないときに、衆面での婚約破棄宣言で己にヘイトを集めてシェーナを守ろうなんてバカなことも、絶対に考えたりしないだろう。
採寸を終えたあとは、オーナーと紅茶とケーキを囲んでの面談である。シェーナの好みを徹底してたずねてきたオーナーは 「公爵夫人になられたら、流行を追う必要などありません。流行が奥様についてくるのですよ」 と言い切った。
流行をついていかせるためにはそれなりに社交もしなければならないのでは、と思ったシェーナだが、そもそも流行にはさほど興味ないのでスルーしておく。
着心地のよい部屋着と普段着を数点ずつ急いで作り、アフタヌーンドレスは公爵が見繕ってくれたものをサイズを直して届ける。デイドレスとイブニングドレスはデザインを数点起こしてからまた相談、ということに話がまとまって店を出たころには、日はもう西にかたむいてしまっていた。
「そろそろ夕食だね。王宮料理は飽きただろうから、マイヤーに家庭料理のレストランを予約させておいたよ。かまわなかった? 」
「はい。家庭料理、おいしそうです」
「よかった。もし行きたければ時間を少しずらして、カフェにも足をのばそうか? 」
「カフェが気になるって、なんでわかったんですか? 」
「大通りに行ったら、買い物のあとアクア・フローリスでお茶をするのが、若い女の子の定番だろう? 」
「…… ああ。よくご存じなわけですね。でも今日はいいです。お茶もケーキも、お店でもういただきましたし」
「そう。ではカフェは、また今度だね。行こう」
夕食にと予約されたレストランは大通りの裏、庶民用の店がひしめくように並ぶ小さな通りの片隅にあった。平民の労働者が仕事帰りに寄っていくような気軽な店である。初デートでこれはないわ、と貴族の令嬢なら顔をしかめそうだが、シェーナは嬉しかった。
なにしろ、高級な食事は聖女だった3年間で飽きるほど経験している。たしかに美味しいけれども正直なところ、味わうよりもマナーを守るほうが気になってしまって食べた気がしなかったものだ。
賑やかで雑然とした店の雰囲気と、皿にどさっと盛って出される自慢の料理とを楽しみ、いつの間にかシェーナは最初の緊張をすっかり忘れて、公爵の冗談に笑っていた。
食後のデザートまでしっかり味わって店を出たあとは、馬車までの道を散歩するようにゆっくり歩く。公爵はいつもシェーナが歩きやすいように合わせてくれる。ふたりで気になるものを見つけては、それについてあれこれとおしゃべりをする。シェーナがとっぴなことを言い出すのを公爵が面白そうに聞く。公爵が冗談を言い、シェーナが吹き出す。そのすべてを公爵が楽しんでくれているのがわかるから、シェーナも安心していられる。
こういう人との結婚ならパセリでもありかもしれない、とシェーナは思った。そもそも恋愛からの結婚など、3年前に聖女になって王太子と婚約した時点で諦めている。それを考慮すれば、たとえ結婚=パセリな思考の持ち主であっても公爵は申し分ないひとといっていい。国一番の女たらし、あたりが少々ひっかからないことはないが、割りきってしまえばいいのだ。だってシェーナが彼に恋していない以上は、愛人が何人いようがかまわないではないか。
―― という方向に早々と判断がかたむきかけているシェーナであったが。
「楽しかったよ。名残惜しいが、そろそろ馬車で帰ろうか」 【まあこの程度でいいだろう……あまりに一般的すぎて使えそうにはないが、そもそもさほど期待はしていなかったからね。パセリ程度というか】
「こちらこそ、ありがとうございます。楽しかったです」 【楽しかったのはウソじゃないけど…… やっぱり許せんこの男】
―― 実際に、再度 『パセリ』 発言をされてみるとやはり、イラッとしかしない。
(いつか絶対に、同じセリフで踏みつけてあげるんだから)
改めて決意したシェーナの身体が、急にふわりと持ち上げられた。公爵の麗しいお顔がやたらと近い。本日2回目の横抱きである。
「失礼するよ。馬車のステップが高いからね。小柄な人は乗りにくい」
「…… ありがとうございます」
「どういたしまして」
ほほえむ公爵の心の声は 【おかしいな。たいていはもっと、喜ぶはずなんだが】 だった。シェーナにとっては、それをされて喜ぶのは相手のことを好きな場合に限る案件なのだが。
(喜んでみせたほうがかわいいのかもしれないけど、全っ然、そんな気になれないわぁぁあ! )
シェーナの荒ぶる内心などまったくかまわないかのように ―― 街灯がほのかにあかるく闇から浮かび上がらせる道を、剣を持つドラゴンの紋を刻んだ公爵家の馬車はゆるやかにかけていった。