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2-2. ふたりのデートは予定外に(2)

 公爵の形良い唇が手の甲に近づいてきて、ふれる直前までの数瞬 ―― シェーナの身体はカチカチにこわばっていたが、頭のほうは目まぐるしく動いていた。

 

(これは 『きゃあっ』 って叫んだほうがいいの? それとも 『慣れてますわ』 という感じで平然としたほうがいいのかな )


 ―― 記憶をさらうならば、シェーナが読んでいた恋愛小説のヒロインはたいてい 『きゃあっ』 派だった。シェーナとしては読み飽きたパターンであり 『また? 純粋ぶりっこ、おつかれさま 』 としか思わなかったものだが…… たしかに、実際にされそうになってみると 『きゃあっ』 のほうがかなり心情に近い。


(けど 『叫べる程度には慣れてるんじゃない? やらしい女 』 という新たな疑問がね……! )


 現に今のシェーナは、びっくりしすぎて声なんか出そうもない。そして、どう反応するのが正解かなんて、まったくわからない。泣きそうだ。


「うぉおおっほん! 失礼ですが公爵、ここは神殿ですぞ」


 ぎりぎりに咳払いをしてシェーナを救ってくれたのは、神官長だった。聖女だったときにはなにかといえば難しい顔をしてシェーナに説教してくることが多かった厳格な61歳だが、いざというときには助けてくれるのだ。

 やわらかな温かみが、シェーナの手の甲をかすって離れていった。


「これは失礼したね。僕の奥さんがあまりにかわいいものだから、つい」


 驚くべきことに、嘘ではない。公爵の心の声もまったく同じなのである。ただしあくまでどこか()めてはいるのだが。やっぱりこのひと頭おかしい、とシェーナは確信した。


「うぉっほん! そうしたことは、きちんと手続きしてからにしてくだされ」


「そうかい? ならすぐに婚姻届を出そうか。ねえ、シェーナ? 」


「へ? わたし? 」


「君以外に誰がいるというんだい? 」


 候補者ならごまんといるんじゃ、とシェーナは思ったが、黙っておくことにした。これがハインツ王太子なら軽口を叩いてるところだけれど、公爵にはまだ遠慮があるし、なんとしてもおとさなければ、という戦意のようなものもある。とても自然体ではいられない。


「これから一緒に住むのだし、ここは神殿なのだし、結婚は確定なんだから…… もう、婚姻届を出してしまってもいいのではないかな」


「………… 申し上げていいですか? 」


「どうぞ? 」


「婚姻届は、せめてデートの2回や3回、してからにしませんか? 」


「デート? 男女がふたりきりで秘密裏にどこかに出かけて親密にアレコレするという、アレかい? 」


「そんないかがわしい意味を込めないでいいですし、別に秘密じゃなくてもいいんですけど。ルーナ・シー女史の小説に頻出するイベントなソレです」


 シェーナとしては、かなり思いきった提案だった。デートなるものは下町育ちの底辺平民にとっては当たり前のことなのだが、そもそも政略結婚が主流なルーナ王国の貴族や王族にはその必要がない。婚姻前の男女の交流は、あってパーティーでのエスコート程度だ。貴族や王族の女性で、結婚前に流行小説のようなことをするのは一部の変わり者だけ、ということをシェーナはすでに知っていた。

 もっとも、このようなぶっとんだ発言が好かれるのか嫌われるのか…… 予想がつくほど、シェーナは公爵のことをよく知らない。そして下町育ちの感覚としては、シェーナはよく知らない人と結婚なんてしたくなかった。


「うぉっほん! 」 


 神官長が苦虫を百匹かみつぶしたようなしかめっ面をした。


「でえとなどっ…… それこそ、婚姻届を出して夫婦になってからにすべきですぞ 」


「神官長ったら、ふっるぅぅい…… とか言いません! ごめんなさい」


「…… たしかに古いかもしれぬがな、シェーナさん。貴族というのは、よくも悪くも伝統を守ろうとするものじゃ。公爵夫人になるのなら、これまでのようにはいかぬのじゃぞ? 」


「いえ、これまでも、わたしけっこう頑張って貴族っぽい線に合わせていたつもりですけど? 」


「………… もっと精進せよ」


「そんなあ。神官長ったらオニなんだから、もう」


 こうした大したことのない軽口なら、苦々しくたしなめつつ心底では許してくれている。神官長はそういう人だ。この程度には相手のことを知ってから結婚したい、と考えることがおかしいとは、シェーナは思わなかった。


「いっそのこと神官長、わたしと略奪婚とかしてみませんか? 」


「シェーナさんや…… ワシは今日から、シェーナさんがワシより長生きできるよう女神ルーナ様にお祈りしますぞ…… 」


 そのときシェーナは聞いた。隣に立つ公爵の心の声が、大笑いしているのを。横目で見上げてみたが、その顔は穏やかで、琥珀と瑠璃のオッドアイだけがいきいきと面白がっていることを伝えている。


「わかったよ、神官長。婚姻届はまた後程出すことにしよう。それまでは行いにじゅうぶん気をつけるよ」


「くれぐれも、頼みましたぞ」


「心配いらないよ、神官長。 …… 行こうか、シェーナ。馬車を待たせている。荷物は差し支えなければ、そちらのマイヤーに持たせて」


 公爵から少し離れて影のように控えていた黒服が頭をさげ、シェーナにむかって手を伸ばす。荷物を持とうとしてくれているのだ。一方で公爵はシェーナをエスコートしようと、ひじをすっと差し出してきている。

 シェーナは迷った。これらのもてなしには乗るべきなのか…… マイヤーとかいう黒服からは何の心の声も聞こえない (特に考えていることがないのだろう) 。そして公爵のほうは 【照れているようだ。かわいいね】 という認識であるらしく、これまた少々、悩んでしまう ―― 確かにシェーナはこの事態にかなり緊張していて、それを好意的にとらえてもらっているのはラッキーではある。しかし荷物持ちやエスコートの申し込みもまた好意である以上は、断るのもどうかと思うのだ。

 だが、逡巡(しゅんじゅん)はそう長くは続かなかった。


【ふむ…… エスコートがいやなら、ここはやはり抱っこになるか。荷物は…… まあ、荷物ごとでいいかな】


「あっ、その、では、失礼しますありがとうございます! 」


 目の前で結婚前の男女の横抱きなど披露されたら、神官長の心臓が止まってしまうかもしれないではないか。シェーナは、覚悟を決めた。

 マイヤーに 「偉そうにしてすみませんがよろしくお願いします」 と謝りつつ荷物を預け、差し出されたひじに遠慮しながらも手を置いて、思わず目を見張った。シェーナの身長に合わせたように、完璧に持ちやすい位置 ―― つまり公爵のエスコートは、ものすごく歩きやすかったのだ。



 神殿を出ると公爵は、マイヤーに何事かを告げた。マイヤーがうなずいて小走りに去っていくのを見送ると、別に好きじゃなくてもうっとりするようなほほえみを口元に浮かべて、シェーナに耳打ちした。


「それではデートに行こうか、お嬢さん? 街歩きなど、いかがですか? 」


「え。いきなりですか? たしかにデートしたいって言ったの、わたしですけど」


「大切な奥さんのお願いをかなえるのに、なにか問題でもある? 」


「いえ…… ありがとうございます」


「では、いこうか」


 どうやら公爵は、しれっと神官長をだましておいて、シェーナの希望を優先してくれるようだ。それは嬉しがるべきことなのだろうが、いきなりとなると、シェーナにとっては正直ハードルが高い話である。

 なぜならば、ここ中央神殿は王宮ホールと隣あわせで同じ王城の敷地内にあり、城門へ出るには噴水の広場を抜ける必要があるからだ。街でデートとはいっても、目的地に着くまでに、ほぼ初対面の人とふたりきりで噴水以外なにもない場所を延々と歩かねばならない ―― 心の声が聞こえてしまうがゆえに、人に気を遣いすぎてしまうところのあるシェーナはまずここで、苦行を覚悟したのだった。

 しかし時間は、シェーナの思いのほか早く過ぎた。


 公爵は話題豊富で、他人と空間を共有するのがうまい人だった。シェーナが少しでも興味をひかれたものがあれば瞬時に見抜き、そこから話を広げていく。気がつけばシェーナはすっかりくつろぎ、会話を楽しんでいた。

 人との会話は普段のシェーナならば、相手の心の声が気になって疲れてしまう。悪意なしに他人の気持ちを傷つけることを言ってしまうことは、誰しもあるだろう。それが内心の声までも聞こえてしまうと、もう 「つまんない話してごめんなさい!」 「イラッとさせちゃったみたいですみません!」 と平謝りに謝りたくなる事態が頻発することも、めずらしくはないのだ。

 しかし、公爵はシェーナとの散歩を本心から楽しんでいるようだった。もっともシェーナはそれで好かれていると勘違いするほどおめでたくはなかったけれど、とりあえずほっとしたのもまた、事実だった。

 王宮の敷地内にある中央(ルーナ)神殿に住んでいながら、忙しすぎて広場をゆっくり歩いたことなどなかったシェーナには、丹精込めて整えられた庭園は輝くように美しく見えた。公爵との話題が庭園の彫刻から季節の花に及び、最後に冬の終わりに雪の中から可憐な姿を見せるスノードロップに移った頃にふたりはやっと王宮の門を抜け、左右に王室御用達の有名店が立ち並ぶ大通りに入った。


「うわぁ。こうして大通りを歩いてみると、馬車からの眺めとはまた違って、楽しいですね。あのショーウィンドウのドレスの赤、きれい」


「ではあの店に行こうか」


「いえいいですよ。なんかいかにも一見(いちげん)さんお断りみたいな感じで、引け目が半端ないので」


「心配しないで。店長とは顔見知りだよ。たしか、若いお嬢さん向けのドレスも揃えていたはずだ」


「…… ああ。ですよね」


 なにしろ彼は公爵で、しかも悪名高い女たらしだった、と改めて思い出すシェーナ。調子に乗ってはいけないのだ。いくら、公爵の心の声までがシェーナとの会話をしっかり楽しんでくれていて、他人といるのにまったく申し訳ない気持ちになったりしないことが意外なほどに心地よかったとしても。

 ―― 女性のドレスに詳しいということは、つまり公爵には、女性にドレスを贈ったりドレス選びに付き合った経験も大いにあるということで。それすなわち、ほいほいと相手の親切に乗せられていては、シェーナ程度の恋愛経験 (王太子との婚約3年、初恋まだ) ではあっさり捕食されるだけ、ということをあらわしているに違いないのだ。

 ―― 油断は禁物、食われる前に食うべし。

 そう己に言い聞かせ、シェーナは公爵の腕に手を置きなおした。


「いえ。お高そうですし、今日は持ち合わせもないのでいいです」


「そんなこと。僕が、奥さんに支払いをさせたりすると思うかい? 」


「………… いいえ。けど、まだ奥さんじゃないですし、買っていただくと、なんだか申し訳ないので」


「そう? では、また今度にしようか。少し残念だが」


 公爵はまったく残念がっていない様子でさらりと流した ―― が、このとき、シェーナにハッキリと聞こえてきてしまった彼の心の声は、意外なものだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >ただしあくまでどこか醒さめてはいるのだが この一文、すこすこ。ラズールを的確に顕してる気がします(*´ω`*) からのー! >やっぱりこのひと頭おかしい こう思うシェーナちゃんが好き…
[一言] これはシェーナの分が悪いのでは……。 『慣れ』が違う。
[一言] 公爵の人物像はまだ掴みづらいですね。
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