1-4. 婚約破棄は誕生日に(4)
「わたしが気の毒って、ならどうして、父と国王陛下にそう言ってくださらなかったんですか? 」
「きみの父上からは、実はきみは僕に恋い焦がれて部屋中に貼ったブロマイドに毎日話しかけていると聞いたものだから」
「むしろ断ってくださいよ、そんなアブない子」
「いや、もし父親が勝手に秘密をバラして結婚申し込んだあげくに断られたら…… 令嬢としては恥ずか死にたくなる案件だろう? 乗るしかないと思わないかい? 」
「いえむしろ、そういう優しさはときに人をより傷つけると思いますけど」
「ふむ。それも一理はあるね」
「でしょう? 」
「だが残念ながら、もうお父上はきみの婚約届に署名してしまったのでね。このケースの場合は国王命令でもあるから、正式に破談するにはお父上の同意と国王の命令撤回が必要になるが…… がんばってみるかい? 」
「詰みました」
「はい、正解。きみは頭が良いようだね」
美貌の公爵に晴れやかにほほえみかけられても、シェーナはちっとも嬉しくなかった。
国王陛下の命令を、罷免されたもと聖女が撤回するなんてとうてい無理。シェーナの父親が土下座してまで結んだ婚約を破談にするなんて、もっと無理。
―― 甘かったのだ。もといた東隣の国フェニカでは神職系の貴族の血筋だったことを良くも悪くも誇りとしている父親が、シェーナが聖女になったことでやっと得た男爵位を死守しようとしないわけがない。
おそらく婚約破棄を事前連絡されたとき父親はすでに、シェーナが喜んで修道院に引きこもろうとすることなどお見通しだったのだろう。だからこそ、シェーナに相談することなく救済美形の手配に動いたのだ。
(あのとき、めちゃくちゃショックを受けたふりをして 『当分は婚約とか結婚なんて無理無理ぜったい無理もう死んじゃう』 ってきっちり言っとけば良かった…… )
だが後悔してももう遅いのは、わかりきったことだった。ちなみにシェーナの父親は本日、ひきょうにも急な腹痛のためパーティーを欠席している。
(なにか、なにか良い手はないの? )
焦るシェーナの頭に響いてきたのは、こちらを心配そうに見守ってくれているリーゼロッテの心の呟きだった。
【評判ほどには悪い人ではないのよ、シェーナちゃん】
メモを取り続けているルーナ・シー女史の心の呟きもまた、聞こえてきた。
【意外と本当はすごく優しい人だし敷地内に気持ちのいい温室と森はあるし、王太子ほどではなくても、後釜としては良いほうかもね? 】
さらに、親友のメイリーの心の声は、聞き捨てならない情報込みだった。
【おじさまの家の大きい図書館、修道院の比じゃないんだけどな…… シェーナちゃん絶対に気に入りそう】
「やっぱり、乗った」
大きい図書館、につられてウッカリ口走ったとたん、シェーナの身体がふわりと宙に浮いた。公爵閣下に軽々、横抱きされてしまったのだ。
じっと見ると落ち着かない気持ちになってしまう、オッド・アイの美貌がめちゃくちゃ近い。
「ちょっ、なんなんですか、いきなり」
「花婿の流儀だよ」
「まだ早いですよ。お互いよく知らない仲じゃないですか」
「では、これから知れば問題ないね」
「いえいえ問題しかないと思うんですけど」
シェーナは貧民街育ちだが、恋愛ごとには慣れていない。貧しくても貴族の誇りを失わない厳格な父親と、街頭に立つたぐいの仕事を絶対にシェーナにさせようとはしない母親とに、ある意味箱入りで育てられたからだ。(聖女になったあとは王太子と3年婚約していたわけだが、あれを恋愛にカウントできるかは微妙なところである。)
それが今いきなり、年くっててもなお見目麗しい公爵閣下に抱っこされて花婿自称されている…… 緊張し、あわてふためくしかないこの状況でかろうじてツッコミを入れられたのは、シェーナが彼の心の声を聞いたからだった。
【意思確認もされずにこんなオッサンと婚約とは…… 気の毒なお嬢さんだ。だがまあ、とりあえず溺愛しとけば喜ぶだろう】
溺愛しとけば、ってなに。
それで喜ぶだろうって、なんかナメてない?
たとえとてつもない美形である方面からは意外と評判良くてルーナ王国でおそらく一番の蔵書を持っていようとも。
心が伴ってないとしか思えない心の声に、シェーナはしっかり、カチンと頭にきたのだった。
―― 貴族の子女の婚姻には、政略がつきもの。貴族の令嬢であれば、結婚相手に愛されることなど最初から諦めて義務を果たすのが賢明…… というのがルーナ王国の貴族一般の常識であることは、シェーナもとっくに気づいている。
その常識に従うならば、相手が 『溺愛しよう』 と思ってくれているだけで有難がるべきだろう。そこに真実の愛情などなくても、かまわないではないか ―― だが、しかし。
これまでにシェーナは聖女として、たくさんの貴族の夫婦と会ってきた。華やかな美しい装いで仲良く寄り添う上品なカップルたち ―― その心の声が、どこか虚しく疲れたものであることは、珍しくない。
そうした人たちはたいてい、パートナーがいるはずなのに孤独なのだ、ということをシェーナはいつしか発見していた。パートナーと心を通わせることを、努力してもダメだったのか、それとも最初から諦めた結果なのか…… 彼らの孤独は深く、いかに高価なものも、いかに美味しいものもそれをいくばくも埋めてはくれないようだった。
(表向きは溺愛されて羨ましがられて、そのぶん誰にも理解を求められない孤独を一生味わえというの)
欲張りと言われようとワガママとそしられようと、シェーナはそんな人生はいやだった。そんな人生が待ち構えていることを予想させるような 『溺愛しとけば喜ぶ』 なんてことを考える男も、好きになれそうになかった。結婚は、できれば好きになれそうな人とするのがいいし、相手が好きになってくれたらもっといい、とシェーナは思っている。
「あの、公爵閣下は…… わたしと結婚することに、異論などはないのでしょうか? 」
「いや、べつに? いいと思うよ、結婚」
このとき公爵の心の声がもっと違うことを言っていたならば、シェーナはなんとかして婚約の解消を狙おうとしたかもれない。
しかし聞こえてきたのは、あまりにも人をバカにしたものだった。
【恋愛や結婚など、料理に添えるパセリみたいなものだからね。なくても全く困らないが、あってもべつにかまわないというか】
(わかったわ…… 受けて立とうじゃないの)
再び盛大にカチン、ときてしまったシェーナはこの瞬間、なにがなんでも公爵をおとす、と心に決めたのであった。普段はおとなしいと思われがちな彼女だが、その実はけっこう沸点が低いのだ。
―― どうにかして公爵を己に夢中にさせ、 彼が心から 『愛してる』 と言うようになったときには高笑いしつつこう返事をしよう。
『あら、なんのこと? 結婚は添え物のパセリなんでしょう? わたしも大賛成よ、それ! 』
―― 方向性として、愛ある結婚からは140度ほどずれていそうだが、シェーナは闘争心を刺激されると周りが見えなくなるタイプだった。
とにかくこの腹立つ男にぎゃふんと言わせる。今はそれしか考えられない…… とはいっても。
シェーナは、リアルな恋愛にはかなりうとかった。彼をおとす方法など、まったく見当もつかぬ。だがなんとかなるだろう、と実に楽天的にシェーナは考えた。リアルな恋愛はしたことがない (ハインツ王太子との婚約はやはり恋愛にはカウントできないと思う) が、恋愛小説ならば山ほど読み込んでいる。あらゆる恋愛パターンが頭に叩きこまれているのだ。
(小説によればまず、横抱きにされれば恥ずかしがって暴れるのが王道 ―― これは楽勝ね。だって実際、恥ずかしいし…… )
シェーナは手足を小さくバタつかせてみた。
「と、とりあえず、おろしてくださいッ 」
慌てたようなセリフといい、清純ヒロインぶりっこは完璧だとシェーナは己の演技を自画自賛しそうになった ―― が、彼は、にこやかに首を横に振ってそれをあっさりいなしてしまったのだった。
「お断りさせてもらうよ」
「どうしてですか? 」
「こんなに可愛いきみを、よその男にとられたら大変だからね…… 」
瑠璃と琥珀のオッド・アイからとろけるような眼差しを注がれる。
(このひと…… ぜったい頭おかしい)
シェーナがおそれおののいたのは、公爵の心の声が表向きのセリフと同じく、シェーナを 【かわいい】 と認定していたからである。シェーナの容姿は極めて平凡なもので、特別かわいいわけではないにも関わらず、だ。そこにひとめぼれ的な理不尽な力が働いていたのならば、まだわかる。だがしかし ―― 公爵の心の声からは、そのような熱はなにひとつ感じられなかった。単に道端の花を眺めているのと、あまり変わらないのだ。なのに 【かわいい】 と心から思っているだなんて。
―― つまりはどう考えても、王国一の女たらしは、どうやら、かなりな難物のようであった。