エピローグ
アリメンティス公爵ともと聖女シェーナ・ヴォロフの結婚式と披露宴は誰でも参加自由だったうえ、後々の語り草になるほどに豪華なものであった ―― そして、ルーナ王国にいくつかの小さな変化をもたらした。
まずは、幸福をもたらす装身具として木彫りの薔薇が結婚式の定番になったこと。これにより、新たな産業が貧民街より生まれた ―― 木工細工である。シェーナの悲願だった貧民街の向上が、貧しさの中でも工夫を凝らして生活を彩ろうとする住民たち自身の技術で可能になったのだ。
次に、結婚式のあとの披露宴を屋外で行う風習ができた ―― これは、宴もたけなわになるころ、おもむろにワインの大樽が会場に運び込まれ、主客入り乱れてのワインぶっかけ祭りが行われるようになったためだ。
祭りは最初、あらかじめ頼まれていた発起人が高笑いしながらワインを花嫁にぶっかけ、返礼として花嫁が発起人に小樽1つぶんのワインを頭から注ぎ始まる。この発起人が次の幸福な花嫁になれるといわれるようになったのは、ひとえに、公爵の結婚披露宴でその役を勤めたワイズデフリン伯爵夫人 (通称) がその数ヶ月後に若き騎士団長・ディアルガ侯爵と結婚したことによる。ふたりの出会いは色々と取り沙汰されているが、実はワイズデフリンが誤認逮捕された挙げ句に自力で無罪放免されようと彼を誘惑しまくった結果だということは、騎士団の面子を立ててか意外と知られていない。ちなみに、この祭りでワインまみれになった衣装は、後日きちんと染めなおして結婚の記念品とするのが一般的である。
そして。花嫁・花婿は道行く人々からライスシャワーならぬパセリシャワーで祝福されるようになった。これまでジンナ帝国から輸入した米が使われていたため一部の富裕層の特権のようになっていた祝賀が、国内で育てやすく安価なパセリを代替にしたことで爆発的に広がり、農家の収益に貢献したのである ――
「 ―― って考えると、けっこう立派に公爵夫人してるのよねえ、シェーナちゃんって」
「うーん。でも、メイリーちゃん。全部、結婚式のときのことばっかりで、あとはぱっとしないんだけどね…… 」
「だったら、ハインツ王太子をなんとかしてあげたら……? というか、なんとかするのはノエミ王女のほうかな…… 」
甘やかな花の香りのなかで、公爵夫人の親友・メイリーは、ゆったりとお茶を口に運びつつ、きゃっきゃウフフと声をあげながら追いかけっこをする少年少女を目で追った ――
公爵家のだだっ広い温室での、公爵夫妻と親友のメイリー、子どもたちだけでのお茶会。
咲き乱れる花の間を我が物顔にかけまわっているのは、御年9歳になる公爵家長男・コンスタンツァと、ハインツ王太子の婚約者 ―― 12歳になってますます愛らしい亡国の血を継ぐ王女・ノエミ・ダニエリ・デ・ラ・マキーナである。彼女はなんと、3歳年下のコンスタンツァにいつの間にか夢中になって、隙あらばハインツ王太子と婚約破棄しようとする恐ろしい女の子に育ってしまったのだ。
ノエミ王女いわく 「ハインツお兄様は家族みたいに思ってて大好きだけれど、ドキドキしないんですもの♡ 」 ということだそうで ―― ややこしいことに、公爵家長男でも身分的にはじゅうぶんに王女に釣り合うことから 「もう婚約解消して、そっちと婚約しちゃえば。年齢も近いんだし」 という声さえ重臣から出る始末なのである。
ハインツ王太子がそれでいいなら話は簡単だったが、ハインツ王太子は王女との10年近くに及ぶ婚約関係の結果、すっかりロ◯コンを貫く気で思い定めていたから大変だ。おかげで、公爵夫人にしてコンスタンツァの母でもあるシェーナは、3日とあけずにハインツ王太子に 「なんとかしてくれ」 と泣きつかれているのである ――
「ねえねえ、で。シェーナちゃんとしてはどっちを応援するの? 」
今や若手の法廷弁護士として活躍するメイリーは、普段の仕事のときには見せないワクワクとした眼差しを親友に注いだ。
「やっぱり、過去に婚約破棄された報復兼ねてノエミ王女に味方するの、シェーナちゃん? 」
「うーん。そうねえ…… でも、ハインツ様から婚約破棄してもらったから今があるわけだし、ねえ…… その意味でいえば、味方してあげたいくらいだけれど…… 」
メイリーのお土産のナターシャ特製クッキーをぱくん、と食べつつ首をかしげるシェーナ。
「だけれど? 」
「わたしにできるのは、愚痴とかノエミちゃんへの思い入れを聞いてあげること、くらいかな? どっちに味方したって、結局は、人の心ってそう簡単に変えられたりしないもの。それに、ふたりぶんの人間関係はふたりで作っていくものだから」
ふたりぶんの人間関係はふたりで。さんにんぶんの人間関係なら、さんにんで。仲良くするにしても、報復して憎みあうにしても、お互いにお互いのことをたくさん考えて、悩んで。その中でひとつずつ選択していくことでしか、心は変えられないと思う。
だからシェーナにできるのは、寄り添うことと、みんながそれぞれに良い選択ができるよう、祈ることだけ ――
そう言うと、メイリーは 「シェーナちゃんって、本当に聖女なんだね」 と笑った。
「パセリだけどね」
「また…… パセリなどではないよ、シェーナ」
公爵がシェーナの手を取り口づけるのに、メイリーは生温い視線を送った。彼女が 『おじさま』 と慕う彼は、齡50が近づいても一向に衰えない美貌のまま 『王国一の女たらし』 の悪名だけをすっかり返上していまや家族一筋である。彼のためにはそちらのほうが絶対に良かったと、身近な者はみなその幸福を喜んでいるが…… 唯一、メイリーの母親で公爵の作家としてのライバルでもあるらしいルーナ・シー女史だけは 「ふっ…… ざまぁご覧なさいませ。ついに年貢を納めさせて差し上げたわ? 」 と独特の喜びかたをしているという ―― それはさておき。
「あら、そうかしら? 」
当然の流れとして、そんな公爵に対して最強なのは、その妻ただひとり。彼女はアゴをあげ、傲然と言い放ったのだった。
「わたしにとってはあなたはあくまでパセリだけどね? 」
「光栄だよ、奥さん」
破顔する彼の心には、きっと届いているのだろうとメイリーは思う。ときどき口がとっても悪くてちょっとケンカっ早くてツッコミの鋭い、でもちょっぴりお人好しな彼女の 『人生に添えるなら、あなた以上に最高のパセリはいないわ』 という、心の声が。
(了)




