1-3. 婚約破棄は誕生日に(3)
おそらく、この聖女の誕生日パーティーに集まった貴族の大半は、ハインツ王太子の新たな婚約もまた政略であることを承知している。ルーナ王国において貴族や王族の婚姻の多くは、まあそんなものだからだ。
だが、ノエミ王女はとんでもなく愛らしく純粋だった。シェーナが持ち出した 『真実の愛』 という言葉が、ぴったりはまってしまうほどに。そしてなんといっても、その年齢、いまだ3歳。したがって王太子が彼女を新たな婚約者として紹介したとき…… 居ならぶ人々はいっせいにこう思ったのだった。
【 ロ ◯ コ ン …… ! 】
このあまりにもきれいに揃いすぎた心の声に、シェーナは笑いのツボをきっちり直撃されてしまったのである。
周囲からは泣いているように見えることを祈りつつ両手で顔をおおってうつむき 「うぅ…… ふぅっ……!」 とうめき声をもらす彼女の肩にそっと触れたのは ―― 聖女の誕生日パーティーには少々場違いな感のある客のものだった。
すらりと均整のとれた身にまとう詰襟の制服は、海軍の礼装だ。オレンジ色がかった艶やかな金髪に深い青と琥珀のオッド・アイ。整いすぎて、日に焼けていてもなおやや寂しげな印象を与えてしまう顔だち ―― もっとも、うつむいて大爆笑中のシェーナは、その辺のことにはちっとも気づいていなかったが。
なにしろ彼女は、彼がシェーナに近づいたのに気づいた周囲の貴族たちの心の声 ―― 【フリーになったとたんにやっぱり来た……! ついさっきまで聖女だった女の子にも遠慮なしなのか!? 】 や 【いやだわ。爵位をついでも品行はかわらないのね!? もう40歳だというのに、相変わらずお盛んですこと! 】 や 【あぶないあぶない。彼には絶対に近づかないよう、うちの娘にしっかり言い聞かせておかねば…… 】 等々も、まったく聞こえないほどに笑っていたのだから。
そして彼女は、話しかけてきたその男を 『ただの親切な人』 と勘違いしたのだった。
「大丈夫かい? 息、苦しくない? 」
「は、は、はひっ…… ご心配、すみまふぇん…… 」
「いいんだよ。僕の婚約者さんは、ずいぶんと楽しそうだね? 」
「だだだだって、みなさんの心がひひ、ひとつになったふふ、感動の瞬間ですよ?」
「きみも、少しはスッキリしたようだね」
「はひ……! ずっとけっこうモヤモヤしてたんれすけろ、ふひゃひゃ、とってもふふふ、スッキリひまひた」
「それは良かった」
「ありがとうございます…… じゃなくて、ちょっと待って」
ここでシェーナはやっと、気づいた。今、自分が 『婚約者』 と呼ばれたことに。あと、周囲の貴族たちの心の声が今度は 【 そいつはやめとけ……! 】 に一致していることにも。
「わたし、いま婚約破棄されたばかりなんですけど!? あと、あなたとお話するの初めてですよね? ええと…… 」
「ラズール・アリメンティス・ド・ムルトフレートゥム。きみの夫になる者だよ」
瑠璃と琥珀のオッド・アイが、シェーナに向かって魅惑的にほほえんだ。
「これからは、ラズールと呼んでくれたまえ」
「………… ええええ!? まさかの救済美形!? 」
「ふむ、面白い表現だね。確かに、そうとも言えるかな」
「いえいえいえ、そこで感心するのなんか違う」
読書好きなシェーナは当然、いまルーナ王国で流行している 『婚約破棄もの』 の小説も読んでいる。そのストーリーでは大抵、婚約破棄された令嬢に前の婚約者よりももっとステキな男性が 『前から好きだった』 などと救済の手を差しのべるのだ。小説ならば 『よしきた! 救済美形! 良かったわ~ 』 とのんきに楽しめるストーリーである。
だが現実のシェーナには結婚願望はない。彼女にとっての比重は 『修道院でのんびりスローライフ、読書つき >>> 救済美形 (周囲によれば、どうやらやめといたほうがいいらしい) 』 なのだ。
だからもちろん、シェーナは小声で盛大に抗議した。
「聞いてないし、いらないんですけど!?」
海軍大佐、アリメンティス公爵 ―― ルーナ王国きっての女たらしといわれている人である。あまりに悪名高すぎて、若い頃は家柄・財産・容姿ともに並ぶものないハイスペックな貴公子だったのに嫁になり手が現れず、いまだ独身。ムルトフレートゥム地方に代々所有している鉱山から出る金はしばしば結婚の証の指輪として利用されるが、それも赤の他人の指を飾るだけ ―― と、陰でしばしば揶揄されている。
シェーナとて、この悪い意味での有名人を知らないわけではない。聖女の御披露目パーティーだのお茶会だので、いかにも恋愛慣れしてそうなご婦人方に囲まれているのを何度も目にしたことがあるからだ。だからこそ、その公爵閣下がいきなり婚約者と名乗り出るなど、タチの悪い冗談だとしか思えなかった。冗談でないとすれば、なおさらタチが悪い。
「王太子殿下! 御年3歳の王女殿下と真実の愛の喜びに浸ってらっしゃるところ誠に申し訳ないんですけど、これはなんのドッキリでしょうか? 」
「ドッキリではない」
【だから真実の愛でもロ◯コンでもないからあああ! 】
ふっくらと愛らしいノエミ王女にねだられるままに抱っこをしながら、王太子の心の声は悲痛だった。
「君の父上が、このまま婚約破棄されてはシェーナの将来は修道院しかないからと心配し、国王陛下に土下座して涙ながらに頼み込んだ結果、君とアリメンティス公爵との婚約が決まったのだそうだ。私も実は、つい先ほど聞いた」
だから婚約破棄しても大丈夫と安心していたんだが…… と、まだモゴモゴ言い訳する王太子。あまりにも安直な安心のしかただ、とシェーナは思ったがそこはツッコまないでおいてあげた。まっとうな人間なら、悪いことをするときには言い訳がいくらでも必要なものだからだ。
「お父さんったらなんて余計なことを…… 」
ルーナ王国では、父親が同意すれば本人の同意はなくても婚約できてしまうのだ。貴族や王族の政略結婚などは大体それで、本人の意思など羽よりも軽い。だがハインツ王太子も公爵も、シェーナにはっきりと同情の眼差しを送った。
「お父上はこの誕生日パーティーまでには、と急いでおられたそうだから…… 連絡が遅れてしまったんだろう」
「だが、君には意思確認があってしかるべきだったとは、僕も思うがね。気の毒なことだ」
彼らが口々に慰めてくれても、シェーナにはとても納得できるものではない。