12-2. 結婚はパセリみたいなものでしょう?(2)
―― 王女と結婚して共に国を治める未来を突然、取り上げられたとき。少年は悟った。自分たちは都合の良い駒に過ぎなかったのだ、と。 『国のため』 『民のため』 『家のため』 ―― そのためだけに動くことが正義と教えられ、信じこんできたが、それは自身を意志のない駒にするのと同じことだったのだ。
「そのころは僕は本当はとても幼くて…… 国の置かれた情勢に理解を示してみせる一方で、本当は、とても憎んでいた。国も、国王も、家も ―― 僕を意志のない駒にしようとする者は全て、滅びればいいと思っていたんだ」
「あっ…… だから 『アーヴェ・ガランサス・ニヴァリス』 で、公爵令息の国はラスト、滅びちゃうんですね? 」
話がそれる、とはわかっていても本のことになるとつい、そちらを優先したくなってしまうシェーナ。そのあたりは公爵も同じであるらしい。
「いやあれは、そちらのほうがヒロイックだからね。それにほら、女性としては結婚後も自分のことを一途に想い続けているフラれ男がいつまでも生きていたら、いつ家庭を壊しにやってくるかハラハラで、安心できないだろう? 自分を想いながら死んでいってくれるからこそ、良い思い出で残せるわけで」
「ものすごいシビア…… 」
「そんなものだよ、お嬢さん。世の中の大半のひとは、自分に都合の良いものが好きだろう」
「…… じゃあわたしは、外れ値ってことですね」
「どうして? 」
「…… もう何回か言ってますよ。なのにここであえてまた言わせる気ですか。本当に上っ面ばかり優しくて、つっるつるの溶けかけの氷みたいなひとですね、公爵? 」
「ああ…… すまないね」
「まさかの謝られた! もう、すごいみじめです。泣いていいですか、泣きますよ? 」
「そしたら、どれがいい? 泣き止むまで抱っこしてよしよしするコースと、無理やり濃いキスして泣き止ませるコースと、涙を舐めとるついでにあちこちペロペロするコース…… 忘れてるかもしれないが、ここの浴場は今、僕たちふたりきりしかいないからね? どれだけ声が出てもだいじょうぶぁっ…… 」
「す、すみません、つい…… あの、3択のうちあとの2択はちょっと刺激が強すぎて…… 」
うっかり想像してしまったシェーナ。わきあがる強烈な身悶え感をどうしていいかわからずに、つい公爵のアゴに一発お見舞いしてしまったのである。公爵にとってはどうということのない一撃てあったらしく、笑って許してくれたが。
「―― 軍に入ったのも、僕自身に悪評を立てさせて結婚と縁遠くしたのも、放蕩を繰り返してはそれを作品にして発表するのも、すべては僕を都合の良い駒にしたがる者たちへの復讐…… と言うと、大袈裟だね。つまらない、小さな反抗であるだけで、決して、彼女への一途な想いなどという鬱陶しいものの結果ではないんだよ。
ただ、あのころに彼女に…… 彼女と共にあるはずの未来に、捧げていたほどの情熱は、もうどこにもない。愛や恋ではなかったが…… もう、あんな思いは2度とできない」
公爵はシェーナを大切なもののように優しく抱えなおして、そのほおにそっとキスをした。触れるか触れないかの柔らかな温もりが、目に見えない生き物のようにシェーナの中に入り込み、身体の芯をからめとってしびれさせる。これまで何度もキスされているのに、初めてキスされたみたいだった。
「初恋と言うときみは怒ったけれど…… 初恋するなら相手はきみしかいないとは、思っているんだ」
「…… つまりは、別に好きじゃなかったけど、あてがわれたらまあそれでもいっか、ってことですね? 」
「ものすごいシビアだね」
「だってパセリですからね? 」
スノードロップの彼女への想いを、公爵は愛や恋ではないと言った。たしかに公爵にとっては、そのつもりなのだろう。
おそらく公爵は、心のなかでさえも、無かったことにしたのだ。すでに結婚して幸せに暮らしている彼女とシェーナ、両方への思いやりでもって。
―― だから、心の声よりももっと奥にある秘密 …… 彼が彼女をどれだけ深く愛しているかを知っているのは、もしかしたら、シェーナしかいないかもしれない。
シェーナはそれを、公爵に告げる気はなかった。ずるいかもしれないけれど、シェーナにとってだって公爵との人間関係のメインディッシュは、彼から 【パセリにしてもこのパセリしかない】 と思ってもらうことなのだ。そう考えれば、公爵の心のあのひとへの想いなんて、どんなに深くて本気であっても、それこそ添え物のパセリみたいなものである。
「そんな、パセリだなどと」 【たしかに思ってはいたが…… 口に出して言えるわけもないだろう、いくらきみが嘘がキライでも】
「いいんですよ、パセリでも? 」
ここぞとばかりに、にっこりしてみせるシェーナ。初めて公爵の心の声を聞いて以来、いつか言い返してあげようと準備していた…… そのセリフを、己の心からの言葉として、述べる日が来るなんて。
思いどおりでなくても、少ない選択肢のなかで悩んで右往左往して、結局は流されるだけであっても。自分の意志で動こうとあがくのを、やめない限り…… 人生は思っていたよりずっと面白くて味わい深い。それにくらべれば、婚約や結婚など、たしかに添え物のパセリに違いない。もしダメになったからといって、人生そのものまでダメになるわけじゃない、ただのパセリ ―― でも、パセリがあるからこそ、メインディッシュは美味しそうに輝くのだ。
「だって結婚はパセリみたいなものでしょう、公爵閣下? 」
瑠璃と琥珀のきれいなオッド・アイが丸くなってシェーナを見つめ、それから破顔する。
「パセリだなどと、思ったこともないよ、奥さん。プロポーズもきちんと、やり直させてほしい。国王命令などではなく、僕の意志で、きみと結婚したいと思ったのだから…… 」
また嘘を、とシェーナは思ったが、許してあげることにした。なんとなれば、もう一度シェーナをきっちり抱えなおした彼の心の声はこう言っていたからだ。
【きみとの結婚がおまけなら、この人生もまだ、そう捨てたものではないのだろうね】
―― それはたぶん、このカッコつけでひねくれものの公爵にとっては 「愛している」 と同じことなのだ。
それからふたりは貸切の浴場をゆっくりと楽しみ、その途中で正直になりすぎてしまった公爵が急に自制心の限界を迎え (シェーナとの婚約以来、彼は意外にも非常にまじめにいろいろと控えていたのだ) 、 『せめてプロポーズだけはきちんとしなおしてから』 と急いだ結果、浴衣のままひざまずいてのプロポーズと相成った。ついでにひざまずいたとき、うっかり浴衣の裾が割れて…… というのは、あまりにも残念すぎるので読者の皆様の想像にお任せして割愛するとして、ともかく、 【この残念なシチュエーションで!? 】 と悩みつつもそんな残念な公爵がやっぱりかわいくなってしまってついウッカリとプロポーズを受けてしまったシェーナは。
「えっでも、私じゃ味わいがいがないんですよね? 」
「それは昔の話だろう? 今のきみがどれだけ美味しいかは…… じっくりわからせてあげるよ」
―― というような経緯によりついに回避失敗と相成り、その日のうちにはいろいろと、わからせられてしまったのであった。公爵の技術と気遣いは、さすがはルーナ王国青少年のその道の師範とでもいうべきか、彼の執筆したエロ小説のレベルをゆうに超えていたようである。 ――
こうして公爵邸にいったん戻ったシェーナを待ち受けていたのは…… さらに激しくなった公爵からの溺愛とさらにレベルアップした侍女長アライダのエステ、本格的に始まった金鉱関係の事務仕事 (これは、新たに人を雇うからしなくてもいいという公爵と、せっかく勉強したんだから絶対にすると主張するシェーナの話し合いの結果、シェーナが勝ったのである) と貧民街への支援、それから結婚式のための準備だった。
近所へのバカバカしい宣伝はしない、との条件で結婚式の前日には父親のいる実家に帰ることになったため、準備のためにそちらに行く手間と父親とケンカする時間が増えたが ―― それもまあ、悪くはない。
そしてまた月日は飛ぶように過ぎ、結婚式の当日となった。
「しっシェーナぁぁあ…… とってもキレイだよぉぉお。きっとお母様も、喜んでいるなぁああ! 」 【あぁぁぁ! 花嫁姿のシェーナたん……! あのころのニモラにそっくりだなぁああ! ああ、ニモラにもこんなドレスを着せてあげたかったぁぁあ! それにしても、なんてキレイでかわいいんだ…… いやこれ、相手が公爵でも嫁にやるの惜しくないか? 今から婚約をなかったことに…… そうそう、もう1回、国王陛下に泣いて頼めば! 】
「お父さん、それはさすがに無理だと思う」
「お父様だ、シェーナ! 」 【そうそう、まだ躾が行き届いてなくて口も悪いから、公爵夫人に向かないとかなんとかいって……! 】
「だからお父さん、そんなの無理だって」
「いや、さすがに言葉遣いくらいはなおしなさい! これからお前が入るのは表面は華やかだが裏では魑魅魍魎たちの集うガチ貴族社会なのだから……! 」
「うん、でもみんな、人間だからね? もしかしたら、こんな言葉遣いも流行るかもよ? 」
「シェーナぁぁっ……! 」
父の悲鳴が、35年ローンのボロいながらも楽しい屋敷に響き渡る。結婚式の当日の朝も、この父娘は相変わらずだった ―― 違うことといえば、そこに若干息を切らせながら美貌の公爵閣下が現れたことくらいだろうか。
「シェーナがどうされましたか、お義父上 ―― ああ、シェーナ。とても美しいね、僕の花嫁さんは」 【これは…… 脱がしがいがある…… 】
「くっ…… 公爵閣下! お義父上などともったない! ヴォロフと呼び捨てで十分ですぞ、公爵閣下! 」
父の叫びが屋敷の外にまで響いていたのだろう。急ぎ足で駆け込んできた公爵は、ドレス姿のシェーナを見てほほえんだ。公爵らしい上品な笑顔の裏の心の声がずいぶんとえげつなく、また 『公爵閣下』 を連呼する父がうざったくもあるが…… あえてスルーして、シェーナは身体ごと公爵のほうに向けた。
「公爵も、素敵ですよ。 …… それに、母の作った飾りボタンを使ってくれて、ありがとうございます」
「こちらこそ、大切な形見を使わせてくれてありがとう。シェーナの髪飾りとお揃いで嬉しい」
「…… わたしもです」
にこやかな公爵の礼装の袖と襟元には、シェーナの母が作ったボタンが飾られている。精緻な薔薇の木彫りが、おっさんくさい金細工などよりよほどオシャレだと公爵自身が望んだものだ。
一方でシェーナのヴェールを留める髪飾りは、同じ薔薇の木彫りをムルトフレートゥム産の金でアレンジしたものだった。
―― 結婚式で母手製の木彫りを飾りとして使いたいとおずおず相談したところ、高級ドレス店 『イリス&ヴェーナ』 のオーナーは目を光らせて製作者についてたずねてきた。母は亡くなっているが友人たちが何人か、母の技術を受け継いで作っているはずだ (あいにくシェーナは不器用で無理だったけれど) と答えると、木の細工を金でアレンジすることを提案してくれたのだ。
「新しい流行を作りましょう、奥様! 」
オーナーは張り切ってくれたが、その実、モデルが己である時点で無理ではないかと思ってしまっていたシェーナ。そこに公爵が自分も使いたいと申し出てくれたのである。 ――
「わたしだけじゃ無理でも、公爵が一緒ならばっちり流行に乗せられそうな気がします」
「さあね…… まあ、ひとの評価はさておき、僕たちにとってはこれがいちばんだろう? 」
「はい、公爵 …… あの」
うんと背伸びして、シェーナは彼の耳に初めて呼ぶ名前をささやいた。本名の瑠璃があまり好きそうでなかったから、ずっと呼ぶのを遠慮していて、ほかになんと呼べばいいのかを一生懸命考えた、新しい呼び名だ。
「ありがとう、奥さん。…… じゃ、行こうか」
公爵の顔を一瞬、少年のような笑みがよぎる。
木彫りの薔薇に軽くキスして、彼はシェーナに腕を差し出した。これから婚姻と貞操の女神の神殿まで屋根のない馬車でパレードし、式を挙げたあとは王宮の広場を借りて、誰でも参加自由の披露宴である。
「おめでとう! 」 「おめでとう! 」 「シェーナっ、本当は好きだったー! 」 「おめでとうございます! 」 「末長くお幸せに……! 」
馬車の出発を見送ってくれるのは、貧民街の友人たち。彼らが手にもったカゴから投げつけてきているのは…… 大量の、パセリだ。
結婚式を行う婚姻と貞操の女神の神殿までのパレード中。そして神殿から出て披露宴に向かう途中も。シェーナと公爵にはライスシャワーならぬ、パセリシャワーが降り注ぎ続けるのである ――
「米を投げられるより痛くないだろうし、パセリもなかなかいいね」
「でしょう? それに、わたしたちの結婚にふさわしいですよね? 」
「ああ、そうだね」
胸を張ってドヤる、発案者の花嫁。やや苦笑しつつ、その手を握って優しく引き寄せ、公爵はささやいた。
―― だが、結婚するとしたら、きみ以上のひとはいないよ。
半年前には信じられないようなセリフだが、なんと心の声もまったく同じであり ―― だが、シェーナはもう、驚きも恐れもしなかった。
公爵はシェーナを喜ばせるために、しばしば口先だけで良いことを言ってくるけれど …… 相変わらずやる気なさそうな心の声が実は公爵自身に対する照れ隠しの場合もあるのだ、ということに、シェーナはずいぶん前から気づいていたのだ。
それに、心の声をちゃんと口に出して言ってくれるとき、その相手は誰でもいいのではなくシェーナだけのためだということにも ――
(本当にややこしくて面倒くさい人だけど…… )
わたしも、と応じる花嫁の表情は、幸福に輝くようだった。




