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12-1. 結婚はパセリみたいなものでしょう?(1)

 雪の壁に飾られた幾千ものろうそくが、あたたかな光をゆらめかせて闇をほのあかく照らしている。雪灯祭りのこの時期、ルーナ王国では昼のお茶の時間にはもう日が沈んでしまう。目抜きどおりでは千の屋台と雪壁の幻影にきらきらと照らされた長い夜を、大勢のひとびとが楽しんでいることだろう。だが、今のシェーナには人影もまばらな貧民街で、好きなひとと見ている小さな(あか)りのほうが嬉しい。


「…… 本当は昨日、ここでプロポーズしようと思っていたんだ。言う前に失敗したが…… 」 【適当にほめあげてプロポーズしておけば、喜ぶだろうと思ったんだが…… まさか 『味わいがい』 で覚えられているとは、ね…… 】


 言いにくそうにしながら公爵が、コートのポケットから小さな箱を出して開いて見せてくれた。弱々しいろうそくの光のなかで、そこだけが星が落ちたみたいにきらめく ―― ダイヤが埋め込まれた白金(プラチナ)の指輪だ。


「公爵…… そんなに気をつかわなくて良かったんですよ? 」


「違うよ。国王命令などではなく、僕が君となら結婚したいと思ったから…… 受けてくれるかい? 」 【僕と違ってまだ若いし初婚なのに、国王命令でおっさんと結婚だなんて、やはり気の毒すぎるからね。断れない以上はもっと早くにきちんとプロポーズしておけばよかったんだが…… 気づくのが遅くなって済まなかったな】


「うう、ちょっと待ってくださいね。うーん…… 」


 シェーナは悩んだ。公爵には、つい先ほど 『嘘をつかれるのは死ぬほど嫌いだから、自分に対しては洗いざらい自白(ゲロ)ってください』 との旨、通達したばかりである。その矢先から、表向きの発言とは全然違う心の声オン・パレード。正直に自白してくれたのは 「実はプロポーズしようと思っていた」 というその部分のみではないか。本音を言ってしまっては諸々まずい部分を公爵が気を遣って隠したことはわかるものの…… 『かわいそうだから』 という理由で本気プロポーズをされるほうの身にもなってほしい。素直に喜べないのだ。

 だがしかし、公爵はこういう人だということも、シェーナはもう身にしみてわかってしまっていた。そこが嫌いになれるといいのだが、非常に残念なことに、その全方位向けのだらしない優しさも含めて好きになってしまったんである。

 さて、これをもって合格(受理)とすべきか否か……


(もう受理しちゃいたいけど…… でもやっぱり、好きって思われてプロポーズされたい…… )


 結局のところ振り出しに戻ってしまった感のある、シェーナ。少し前なら、ここでサクッとキレていたかもしれない。 『好きでもないのにプロポーズなんてしないでください』 とかいって。

 だが、今のシェーナの脳裏では 『ふたりぶんの人間関係』 という言葉がキレかけているシェーナをなだめている。公爵に、求めるだけではダメなのだ、たぶん。こんがらがっても、なかなかスッキリ解決できなくても、力まかせに振り切るのじゃなくて。ふたりが納得できる答えは、ふたりで探さなければ ――


「あの公爵。お気持ちは大変に嬉しいんですけど…… 正直なところ、公爵にとってのわたしの地位(ポジション)って、たまたま拾った捨て犬にちょっと情が移った程度ですよね……? 」


「いや、大丈夫。犬ではなく、ちゃんと女の子に見えているよ」 【そして全ての女性はかわいくて偉大で素晴らしいよ。犬も確かにかわいいが、くらべものにはならないね】


「いえいえ、そういう話ではなくて」 【やっぱり誰でもいいんじゃん、もう! 知ってましたけどね…… 】


 またしばしシェーナは悩み、結局のところ、こう聞いていた。


「あの…… ()()()()()()()()()()のこと、聞かせてもらってもいいですか? 本当のところ、今でも、いちばん大切なのって()()()()なんですよね? 」


「 ………… 」


 公爵は指輪をしまい、シェーナをじっと見つめた。内心の声が高速でひととおり困惑したあと 【こういうことは、話したくないな…… 】 と呟いている。


「…… つまらない、昔の話なんだよ、シェーナ」


「つまらないなんて思いませんよ? 公爵の大切なひとでしょう? わたしが差し置いていちばんになれるだなんて思ってませんけど、やっぱり、ちゃんと知っておきたいんです」


「うーん。大切、ね…… 」 【と改めて言われるとどうなのかな、と思うが…… それにしてもシェーナ、いちばんになりたいとは、かわいいね。遊びと割りきれるひととしか付き合ってなかったからかな…… 新鮮だ】


 だから公爵くらい人に優しくしちゃったら、だいたいの女の人は遊びと割りきれなくなるんだってば (たぶん割りきってるフリをして半ば本気になった女性多数) …… いいかげん学んでください、と内心ツッコミを入れながら、シェーナは公爵の返事を待った。そして、7秒くらい黙ったあと彼は、極めて平凡な提案をしたのだった。


「ここでは話しにくいね。場所を変えようか」





「…… で。話し合いの場がどうして、公衆浴場の貸し切りになるんですか、公爵? 」


「女性と外でふたりきりになるといったら、宿かここの個室くらいしかないだろう? 個室でも良かったが、全館貸し切りのほうが珍しいかと思ってね…… ほら、女の子は普段、こういう場所に来ないから」


「たしかにそれはそうですけど」


「ちょうど休業日なうえに、オーナーがうまくつかまって良かったね」


「祭り見物中に気の毒ですよ」


「本人がいいと言ったんだからいいだろう。ボーナスはつけたし」


「それ、(カネ)でほおをはたく、っていうんですよ公爵」


「たしかに。うまいね、奥さん」


 ハーブの香り漂う湯気の向こうから、瑠璃と琥珀のオッド・アイがほほえんだ。ルーナ王国の公衆浴場はミストサウナと岩盤浴がメインであり、岩盤浴のほうは熱せられた石の床の広々とした部屋になっている。いっぽうでミストサウナのほうは、6~8人入れる小部屋がズラリと並んでいる。ハーブや塩浴、特殊な鉱石を使ったものなど、それぞれの部屋に違う趣向が凝らしてあり、順に入って楽しむのだ…… だが通常は、男性限定。女性の公衆浴場の利用はかつてそれで売春が多発したことから風紀が乱れる原因になるとされて現在は基本、禁止されている。個室を貸し切りする場合を除いて女性は公衆浴場には入れないのだ。ちなみに同じ理由で数年前から、公衆浴場では裸になるのも禁止されるようになった。利用者は皆、備え付けの浴衣(ガウン)を着るきまりである ――

 だから、公爵がシェーナに喜んでもらおうと、公衆浴場(めずらしい場所)に連れてきてくれたのは間違いないのだが。


「…… これまでも、こういうことを? 」


「さすがに全館貸し切りにしたのは、これが初めてだよ、奥さん」


 公爵のことばに嘘はない ―― それでも、非常にモヤモヤするシェーナである。つまり公爵は、()()()()貸し切りにした経験が何度もあるのだ。女性とふたりきりになるために。

 この辺を完全にスルーして 『ありがとう♡ 嬉しい♡ こんなの初めて♡ 』 などと楽しめるほど、シェーナはまだいろいろと割りきれてはいなかった。


「だけど、話しにくいこと話すのには向かないんじゃないですか、ここ? 声、すごくひびいてますよ…… ってわわわわ ちょっと公爵? 」


 最後までツッコミ終わらないうちに、見た目に反してたくましい腕に問答無用とばかりに抱きかかえられた。そのまま、膝のうえに乗せられ、抜け出られないようしっかりホールドされる。あたたかい唇が耳に触れた。少し速い心臓の鼓動が、直接伝わってくる。シェーナの鼓動も、公爵に伝わっているだろう、たぶん。


「…… だからね。小さな声でしか話さない。そのかわり…… なんでも、話すよ。嘘はつかない」


「隠し事は? 」


「それは…… なるべくしないようにするが、どうしても必要なときは勘弁してほしいな」


「…… わかりました。それで手を打ちましょう」


「ありがとう」


「こちらこそ。無理を聞いていただいて、ありがとうございます」


「当然だろう? 夫婦になるのだから」


 公爵はなんでもないようにほほえんだが、半分は自身に言い聞かせているのだな、とシェーナは思った。よく考えればシェーナのほうは己のワガママな感情にひたすら振り回されているだけだが、公爵は嘘つきながらも、そんなシェーナになるべく寄り添おうと努力はしてくれているのだ。


(パセリっていうなら、もしかしたら公爵のほうがパセリっぽいかも…… )


 それならば、パセリもそんなに悪くはないかもしれない。


「僕と彼女が婚約していたのは、もう20年以上も前のことだ ―― 」


 公爵はささやくような声で話し始めた。


―― 約25年前。少年だった公爵 (当時はまだ爵位をついでいなかったが) と同じ年齢の王女は、幼い頃から定められていた婚約者どうしだった。ルーナ王国の後継は王女しかいなかったため、王家の血を引く少年は彼女と結婚してともに王位を継ぐ予定になっていたのだ。彼にとってそれは当然の未来であり、関心はこの先に国をどう導いていくかというほうに注がれた。婚約者の王女にしてもそれは同じだった。ふたりの間は恋や愛ではなく、東の隣国フェニカの宗教的迫害により難民となった人々の受け入れ簡易化や小麦価格を安定させるための国庫備蓄量、西の隣国マキナの機械技術の導入について…… など、ありとあらゆる国のための議論で結ばれていたのだ。それらはふたりの結婚を待たず、少しずつ、国王への奏上という形をとって実現していっていた。だがそのころ、王女に年の離れた弟が生まれ、折しもフェニカで国王が代がわりしたことから、彼らの将来は大きく変わってしまう。

 好戦的なフェニカの新王は、自国の宗教難民の救済を続けるルーナに 『聖戦』 と称し攻撃をしかけてきた。真の目的は、優秀な人材がルーナに流出するのを防ぐこと、それにルーナが国の南部に有する不凍港の使用権を得ることだったようだが。ともかくもこれは、商業国でもあるルーナにとっては死活問題だ。そして自力ではフェニカに勝てないと判断したルーナ王国は、進んだ軍事技術を輸入するために、急ぎ海を隔てた隣国、マキナと同盟を結ぶのである ―― 弟の誕生により王座を継ぐ必要のなくなった王女を差し出す、という古典的な手法によって。


「それが国のためであることを僕たちはもちろん理解していたから、婚約は秘密裏に円満に解消された…… これは、前にも話したね。だが…… 」


「理解はしていたけれど、納得はできなかった? 」


「そうだね…… 」


「本当は、彼女を愛していたってそのとき気づいたけれど、もう遅かった…… というわけですね? 」


 内容は以前アライダが話してくれたのとほぼ同じだったが、公爵の口から聞けたことでなんとなく安心したシェーナ。ダメ押しとばかりに確認をすると、公爵は一瞬きょとん、と目を見開き、それから、弾けたように笑いだした。


「彼女は得難い同志で盟友だとは思っていたが、恋や愛といったものではなかったんだよ、シェーナ。 『アーヴェ・(さらば)ガランサス(スノー)・ニヴァリス(ドロップ)』 は、女性向けの小説だから恋愛物語にしたがね…… 実際には、逃げようかと僕が言ったら彼女は大笑いして、それで終わりだよ。あり得ない冗談と思ったらしい」


「公爵は本気で逃げるつもりだったんですね? 」


「まさか。そんな物語のようなこと、冗談に決まってるだろう? 」


 ほがらかに言う公爵に、嘘をついているつもりはなさそうだ。シェーナはふと思った。【だが、もし彼女が同意していたら、あるいは…… 】 と漏らすその心の声がずいぶんと痛ましいことには、公爵自身が気づいてないのかもしれないし、あるいはその辺はやっぱり、隠しておきたいことなのかもしれない ―― おそらくは、国王命令で妻にならざるを得ない気の毒な娘を傷つけたくないがゆえに。


「けど、公爵がそれからずっと独身だったのって、本当は彼女のためなんでしょう? 」


「…… そうともいえるし、そうでないとも言えるけれど…… 一途な愛だとか、そんなものではおそらく、ないんだよ」


 人の心が、なかなか変わるものではない以上は…… こういう隠しごとならば受け入れるべきなのでは、と頭の一部では己に忠告してみながらも、さらなる質問を重ねるシェーナ。性格上、どうしてもなるべくスッキリさせたくなってしまうのだ。

 そして公爵は、嘘をつかない、と約束したとおりだった。いかにも真実に見える、自分自身でさえもごまかしてしまえる、とおりの良い事実よりも、考えて考えて、なるべく正確につむがれていくことばたち ―― 口先三寸だけでなく、こういうこともできるひとなのだ。


(どうしよう…… また好きになっちゃう。好きになってもらえる見込みとかなくても、もういいや、って思っちゃいそう…… )


 難しいことはもう考えたくない、とシェーナは思った。このまま、彼の体温に包まれて、溶けてしまいたかった。彼の中で赤ちゃんのように丸まって、その穏やかな優しい声をずっと聞いていたい ……

 いつのまにか広い胸に頬をぴたりとつけて目を閉じていたシェーナの耳に、落ち着いた低い声がささやきかけた。


「…… あれは、僕なりの復讐だった」

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― 新着の感想 ―
[良い点] だ……大丈夫なのかなシェーナちゃん。 公衆浴場で、エロ公爵と2人きりなんて……。 ここはムーンライトじゃなく、なろうやで~。
[一言] ここが物語の「峠」でしょうか。
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