11-4. デートの誘いはお仕事のあとに(4)
「ごちそうさま、美味しかった」
立ち上がって朝食の皿を片付ける。父親が 『公爵夫人になるのにそんなことするな! 品がなくなる! 』 とアライダみたいなことを言うが、そこは無視するシェーナ。
「あのねお父さん、ふたりしかいないのに食事の準備から後片付けまで全部の労働をひとりに任せるほうが、ひととしてどうかしてるから」
「ああこらやめなさい! 気品が下がるから本当! 」
「ひとに平気で労働押し付けてできる気品なんてク○くらえ」
「こらっ! シェーナ! 下品な言葉を使うと下品になるぞ! 」
「◯◯◯を召し上がれ」
「こらーーー! 」
父親とふたり、キッチンに並んで皿を片付け、ぎゃあぎゃあ言い合いしながら屋敷じゅうを掃除する。父ひとりでは手がまわらず埃っぽくなっていた廊下や階段が、働けば働くだけ、どんどんと蘇っていくのが気持ちいい。
「公爵家でもアライダさんに頼んで、掃除参加日でも作ってもらおうかな…… 」
「やめときなさい、シェーナ」
「だってお父さん…… なんていうか、アライダさんもクライセンさんもみんないいひとだし、料理長のお料理も最高なんだけどね…… 生活を自分で作り上げていく実感がないのが」
「シェーナ…… いかんぞ。上の者がそういうことすると、下の者は非常に迷惑するんだ、わかるか? 自覚を持ちなさい、自覚を」
「いやーだー」
「シェーナ! 」
父親の怒鳴り声から逃げるように、洗濯物が山盛り入ったたらいをかかえて、シェーナは屋敷の裏の物干し部屋に出た。サウナの火焚き口のまわりにしつらえてある半屋外で、火焚き口とは別に簡易式の暖炉が設置されているため、冬でもそこそこ暖かい。火事にならない程度にごちゃっと物が置かれていて、父の見栄でこぎれいに整えられた表側とは違う生活感があるのが、どこかほっとする。
鼻歌をうたいながら、シェーナは洗いたてのカバーをバサバサふってシワをのばした。張られたロープにかけて両端をつまんで引っ張り、さらにピン、とのばす。子どものころに母に教えられたとおりだ。掃除も料理も裁縫も、母と暮らすなかでいつの間にか覚えていた。亡くなっても生活のなかのふとした瞬間に母はいつもいて、それを感じるたびにちょっぴり悲しいけど懐かしくて温かい気持ちになる。
きれいに整えられた公爵家でのゼイタクざんまいレッスンざんまい溺愛されまくりの暮らしと、どちらが価値があるかはくらべようがないけれど……
「つまりは問題はやっぱり、そこに愛も思い入れもないってことなのですよ…… 真実の愛を貫こうとすると脳内お花畑扱いされてざまぁされるのが、昨今の流行小説の主流ではありますが…… やっぱり、愛がないのは、寂しいと、思うのです」
ひとりごちつつ、シェーナはからまったシーツをかごからとりだし、力いっぱい振った。なかなかほどけないので、さらに振る。
「それ、いったん置いて、普通にほどいたほうが良いのではないかな? 」
背後から低い穏やかな声がした。
「そうかもしれないですけど、なんかまどろっこしくてイヤなんですよ。おっしゃった人がやってください…… 公爵」
シーツを置いて振り返る。彼は素直にシェーナの隣に並んで洗濯ものをほどき始めた。意外なほど、手際が良い。シェーナが感心すると公爵は 「船では洗濯は自分でするんだよ」 と驚きの事実を明らかにした。洗濯係は下っ端の兵士たちの持ち回りだそうなのだが、任せているとなぜか公爵の衣類は次第に減っていくのだという。特に下着類や靴下の減りが激しいらしい ―― 【それ、コレクションされてるか売られてるかコッソリはかれてるんですよ、公爵! 】
「 ―― すごいね。どうやったらこれほど、からまるんだい? 」
「父の趣味でマキナ国最新式のゼンマイ動力洗濯機を入れてるんですよ。足踏み洗濯より断然便利ですけど、どうしてもからまっちゃう…… それより、なんでここにいるんですか、公爵? 」
「もちろん迎えに来たんだよ、奥さん。きみがいないと寂しい」
からまったシーツを丁寧に1枚1枚ひきはがす手を一瞬とめて、公爵はシェーナにとろけるような笑顔を向けた。これで心の声が 【早すぎたかな】 【だが、アライダもリジーも 『そこで早く迎えに行かない男はクズ』 と明言していたし…… まあ、もっとここにいたい、と言われたらいったん引いて、また明日に来ればいいだけだろう。しかしこのタイミングは、あまり良くなかったかな】 などと大反省会を繰り広げていなかったら、シェーナもツッコんでいたことだろう。早すぎ、と。
―― だが、それよりもまずシェーナが気になったのは、まったく別のことだった。
「公爵…… イヤらしいですよ」
「なにをいまさら? 」 【今日はまだ、いけないところのギリギリを攻めてみたりもしていないはずだが…… 】
「シー先生のこと、ひそかに 『リジー』 って呼んでたんですね…… そう呼べるのは家族とリーゼロッテ様だけって公式ファンブックにも書いてあるのに…… やっぱりプロポーズとかしたくらいだから、しれっと家族面を」 【あっ、あのいつものスキンシップのあれ! やっぱり自覚あったんだ…… もう! 】
「ああ…… それはね。現クローディス伯爵の嫉妬まみれの讒言で、いつの間にかそういうことになったが、昔は親しい人はみんな、そう呼んでたんだよ。 ―― 気になったのは、シー先生へのプロポーズのこと、メイから聞いていたからかな? 」 【あれはやはり、あまり言いたくないのだが…… 公式ファンブックまで見ているならやはり、言ったほうがいいかな…… 】
「それもあります」 【あと、いくら友だちだからって距離が近すぎるとか、スノードロップの彼女もそうだけど、心のなかの特別扱いは、けっこうイヤなんですってば! 】
「…… あれはその昔、ちょっと両親がうるさかったときに手近にいた適任者がたまたま彼女だっただけで…… 両親に詰め寄られてうるさくなって適当に名前を出したら、勝手に動き出されてしまったんだ。彼ら、僕の肖像画を持って向こうのご両親に挨拶しにいってしまってね。どうしようもなくなって、まあこれでも悪くはないか、と…… 」
「シー先生からもなんとなく聞いてたけど、本人から直接聞くと、めちゃくちゃ鬼畜…… 」
「いや、まあ、その。申し訳ない。ともかく、シー先生の友人はロティに限らず、まだ愛称で呼んでいるひとは多いはずだよ」
「…… ならどうして堂々とそう呼ばないんですか。ひそかに愛称で呼んでるなんてなんかもう」
「いや、もともとは普通に愛称だったんだが、表向き呼び方を変えた理由はいくつかあって…… うーん、そうだな…… いちばんはやはり、シドの粘着性の恨みが、ね。あれだけイヤがられて、わざわざ愛称で呼ぶ必要もない」
シド、とは現クローディス伯爵の名だが…… このひとのことは誰から聞いても、顔と能力以外はろくな人間ではないようだ。それはさておき。
「すごい。なんか今わたし、クローディス伯爵に親近感しかわきません」 【わかる! イラッとするよね! 】
「そう? 」 【彼に親近感を持てる人間がいたとは…… それがすごいよ】
「はい。小さなことで勝手に嫉妬しちゃうところとか」
シェーナは、意を決して暴露した。
―― 公爵が、その昔ルーナ・シー女史にしたプロポーズのことをやっと説明してくれた。その内容はたしかにヒドくて鬼畜だったけれど、ずっと黙っていられるよりはやっぱり、シェーナは安心できたのだ。
(だから、わたしも少しは公爵に、心のなかを伝えてみよう…… )
公爵はシェーナのようには心の声が聞こえないから、思っていることは教えてあげなければフェアじゃない。良いことだけじゃなくてときには、勇気はいるけれど、悪いことも ―― どう思われるかとドキドキ緊張するいっぽうで、心に重くのしかかっていたなにかがすっと軽くなる。
きっと、ふたりぶんの人間関係はこうやって作っていくものなのだ。
「へえ…… 嫉妬してくれているんだね、奥さん。それは嬉しいな。もっと、嫉妬してくれていいんだよ? 」
「いやですよ。嫉妬なんてできたらしたくないに決まってるじゃないですか…… 特に、嘘をつかれたときとか最悪ですから」
「へえ…… そうなんだ」
「そうですよ。わたしは、そうなんです。だから……」
やっとほどけたシーツを、公爵とふたりで広げて、タイミングを合わせて振る。きれいにシワが伸びたシーツは、やがてふんわり気持ちよく乾くことだろう。
すべての洗濯ものを干し終えて、シェーナはうん、と大きくうなずいた。
「だから公爵、デートの続きをしましょう。それで、洗いざらい自白っちゃってください。一緒に邸に帰るかは、それができるかで決めます」
「えっ…… ああまあ、そうだね。それほど愉快な話は出てこないと思うが…… まあ、シェーナがそれでいいなら」 【聞いても幻滅するだけだろうな…… 気の毒に 】
セリフと同様に、公爵の心の声もしっかり困惑していた。シェーナは気づく ―― 嘘や隠しごとをされるのは嫌いだけれど、昔の己の鬼畜っぷりを打ち明けておいてまだなお幻滅されることを心配しているこのひとは、なんだかけっこう、かわいいことに。そして困っていても普段どおりにエスコートしようと肘を差し出してくれているのが、ちょっと嬉しいことにも。
だからシェーナは公爵の腕に、物語のビッチヒロインのごとく両腕でしがみついてあげた。残念ながら彼女らのようにムニムニと押し付けるだけのモノはないが。
「めずらしいね、シェーナ。よかったら抱っこしてあげようか? 」 【ふむ…… ささやかなのも、なかなか。このサイズなら手にすっぽり、だな。こう包んで下からゆっくり揺らすとちょうど刺激が…… 】
「いえ、父に見られたらイヤなんでこれくらいでいいです」 【そう思うと思ってた…… 以上に、なんかイヤらしい想像してるぅ……! 】
なるべくさりげなくビッチヒロインふうを解除して手をつなぎなおすシェーナ。公爵が内心で若干、残念そうなタメイキを漏らした。それがどうしてだか、イヤというよりはくすぐったい。
この感覚は、初めての物語を読むときに似ている、とシェーナは思った。
―― 公爵にもシェーナにも、心のなかには知らない世界がまだまだあって。その世界で冒険できるふとした瞬間は、これからいくらでも見つけることができるのだ。
ひとりではなく、ふたりでなら。