11-3. デートの誘いはお仕事のあとに(3)
「おはよう奥さん。今日もますますキレイだね。こんな素敵なひとと結婚できるとは、僕はなんという幸せ者だろう…… はい、あーん」
普段どおりにベタベタにほめつつ、公爵が口に入れてくれるのは、くるみのローストをふわふわの飴でくるんだ料理長特製・ジンナ帝国の宮廷菓子。甘くて香ばしくて幸せな気分になれる、シェーナの大好物だ。
「美味しそうに食べる君は、とてもかわいいよ。ずっと見ていたくなってしまう…… はい、あーん」
それってペット的な意味でですよね、さすがにちょっと失礼じゃないですか? とツッコミ入れたいのだが、菓子が美味しすぎてツッコめない。しかも、公爵は 「かわいい」 を連発しながら次々と際限なく菓子を口に入れてくる。
「こ、こうひゃふ…… ほれいひょうは、むりぃ…… 」
という己の声で、目が覚めた。公爵にキレて実家に帰らせていただいた翌朝のことである ――
昨日、シェーナの 『結婚しても実家にいるから』 宣言に最初、父はめちゃくちゃ慌てて公爵家に戻るよう娘を説得にかかった。この前は戻ってこいと言っていたのに、勝手である。
―― が、公爵の 「シェーナが好きなだけいるといいよ」 【ご実家なら、しかたない。しかし今夜はシェーナがいないんだな…… 】 というひとことでケリがついてしまい、今朝のシェーナは自分の部屋のほとんど使っていないがゆえにまだ新しいベッドで目覚めた。ちなみに公爵はいない。公爵も泊まりたがり父も泊まらせたがったが、シェーナが断固拒否した結果だ。
帰っていく公爵の心の声は少々しょんぼりしていてかわいそうだったが、近くにいられたらシェーナだって冷静になんて、なれないのだ。
(けど…… 実家に帰らせていただきます、して最初に見る夢が公爵って…… いいかげんにしてよ、わたし)
己の甘さにモヤモヤする以外は気持ちの良い朝だった。聖女になって以来、忙しいせいで実家に帰ったことなどほぼなかったのに、父が作ったシェーナの部屋は陽当たりのいい南向き。鎧戸をあけると、明るい光がふりそそぐ。調度はさほど高級なものではないが、ホコリひとつなくきれいに磨かれている。壁には、シェーナと両親の肖像。聖女になって家を出るときに描いてもらったものだ。お母さんおはよう、と額のなかの母に声をかけたら鼻の奥がつん、と少しだけ痛んだ。
―― 母が生きていたら、きっと一晩じゅう公爵のことを愚痴っていただろうと思う。シェーナの母は父には絶対服従みたいなところのある人だったが、それでも勝手に決めつけたり意見を押しつけたりせずにシェーナの話を聞いてくれたに違いない。
「ねえ、お母さん。わたし、どうしたらいいのかな…… 」
もしかしたら何か聞こえたりしないかな、と返事を待ってみたが、描かれた母は黙ってほほえむだけだった。そのかわり、シェーナの頭のなかにはある日の会話がよみがえっていた。
―― その日は父の機嫌が悪く、母とシェーナに八つ当たり気味に 『荷運びなんて仕事をしているのも、おまえたちのためなんだ。わかってるのか? 』 と訴えてきていた。シェーナは不愉快になって腹を立てたのに、母は穏やかに、そして上手に父をなだめてしまった。嫌ではないのかとたずねるシェーナに、母はこう言ったのだ。
「お父様は向上心が強くて頑張り屋さんでしょう。文字も書けるし、いろいろなことを知っているから、本当はそれが活かせる仕事につきたいのよ。もしお父様がニコニコ穏やかに荷運び人足していたら、逆に心配になっちゃう」
そのときはそんなものなのか、と受け止めただけだったが、今のシェーナには母がまぎれもなく父―― 小狡くて見栄っ張りで権威主義なあのおっさんを、愛していたことがわかる。あれが愛だったとわかるから、思いどおりに好きになってくれない公爵に腹を立ててジタバタしている己が、どれだけ傲慢でワガママなのかもわかるのだ。
―― 己のほうはといえば公爵のことは好きではあるけれどたぶん愛ではないんだろう、とシェーナは考え、落ち込んだ。
(そういう意味でなら、ハインツ様のほうがよっぽど愛情を注げてたなぁ…… バカでもズレてても許せて、かわいいと思えたし、優しくしてあげようとも思えてたもの)
それでも今どちらが好きかと問われれば、やっぱり公爵のほう、と答えたくなるし、もし同時に婚約破棄されたとしたらショックを受けるのも公爵のほうだ。大勢の前でロ○コンに仕立てあげて笑いとばすなんて、ハインツ王太子相手にはできても公爵相手にはできそうにない。きっとめちゃくちゃ腹を立ててなじって、そのくせ陰では死ぬほど泣いちゃうだろう ――
(なんか…… むずかしすぎる…… 選択肢なんてそんなにないはずなのに…… )
人の心がそう簡単に動かせないものである以上は、結婚が確定している婚約者との間柄なんて2択くらいしかない。ガマンして妥協するか、嫌われてもなんでも己が納得いくまでケンカするか、である。それがどっちもイヤだから困るのだが。
考え込んでいる途中で、シェーナの父が朝食だ、と声をかけてきた。屋敷は買ったくせに使用人はもったいながって置かなかったので、普段の食事づくりはすべて父がひとりで行っているのだ。
―― 焼きたての柔らかいパンと、具材がちゃんと入ったスープと、ふわふわのオムレツにヨーグルトと冬いちごのジュース。
どうせパンと水だろう、と思っていた朝食は、意外と普通に豪華だった ―― が、せっかくの朝食も、うざったく自慢されては台無しだと思う。
「どうだシェーナ! このブレッドの焼きかげんは? このオムレツのふわふわ具合は!? このクリーミーなヨーグルトは! 天才だろう? お父様を見直したかい? 」 【試行錯誤を重ねること15日で、ついに編み出した秘伝……! 今日も感動のできばえでその上シェーナもいるし、うううむ。うむ! なかなか良い! 】
「お父さんは見直さないけど、パンと卵の焼き方がすごく上手ってことはわかる。ヨーグルトも美味しいし」 【うん…… 試行錯誤してる光景が目に見えるようだわ】
「ふふふふ、そうだろうそうだろう…… ておい、そこは見直しなさい! 」
「いやそれだけは無理よりの無理」
「なんでだ! 」
「え…… だって小者だしそのくせ偉そうだし、わたしのことなのに相談のひとこともなく婚約とか決めちゃうのも勝手すぎるし…… それに、いつ誰が公爵のブロマイドを部屋中に貼って話しかけてたって? 」
「あれだけ立派なムコなら、文句ないだろうが……! 」 【だって、だって……! シェーナが修道院に引きこもるとかいうから焦ったんだもん! 】
「それとこれとは別。あーあ…… お母さんたら、なんでこんなヒトと結婚したのかなぁ」 【まーそんなとこだろうとは思ってた…… 】
「そ・れ・は・! お父様が強くてカッコよくて頭がよくて、立派な人間だからだ! 」
「どのくちでそれいう」
「ああん? 逆に、どこが違うというのかなあ、シェーナ? 」 【ああもう、どうしてこんな生意気な子になったのかなぁ…… 親の顔が見たい、って自分の子じゃなければ言ってるのに……! 】
「お母さんだったら、絶対にもっといいひとがいたと思う」 【それお父さん似だからじゃん! …… って、ツッコめちゃうところがまた…… 】
「そんなこと、あるわけがないだろう!? お父様とお母様は、相思相愛だったんだぞ! 」
「…… 焦ってたんだね、お母さん…… 」
「うぐぅ……っ! 」 【た、たしかに…… いやいやいやいやいや! そんなはずは……! でも……!? 】
ぼそっと入れたひとことに慌てる父を眺めつつ、シェーナはパンをちぎって口に運んだ。本当は両親みたいな夫婦に憧れていたのは内緒だ。貧しくて欠点があってたまに八つ当たりとかすることがあっても、お互いへの愛情と信頼はゆるぎない ―― そんな夫婦になりたかった。けれど公爵にそれを望むのは、たぶんシェーナの押しつけでしかないのだ。
「…… やっぱり、どうしたらいいかわかんないな」
ぼそりとつぶやいてスープを飲む娘に、父は半ば慈しみ半ば同情している眼差しを向けた。頑固で不器用で変に正直すぎる、悪いところばかりが自分に似たような愛しい子。
「まあその、なんだ…… 人間どうしなんだから、いろいろと難しいとは思うが…… ほら、その、お父様も最近思うんだが、ひとりで頑張っても、ふたりぶんの人間関係は作れないというか、だな…… まあ、ともかく…… もうちょっと気楽にやんなさい」 【ちょっと大変かもしれないが、修道院に引きこもるよりは絶対に良いし、な】
「うーん、気楽に、か…… まあ、それしかないよね…… 」
気楽に行くなら絶対に修道院のほうが気楽だったはずだが、後戻りしたいとは、残念なことにシェーナにはちっとも思えなかった。父親の計画どおりなところがかなり悔しい。
「うん、そうだろう? そっそれでだな、シェーナ。けっ、結婚式のことなんだが……」
「ねえお父さん? いま、ひとりで頑張ってもふたりぶんの人間関係は作れない、って自分で言ったよね? 」
「…… ああ、そうだが…… 」
「結婚式とか焦りすぎ。まだ全然、そんな気分になれないから…… うん、でも、考えとく」
「そうか…… よろしく頼む」 【よかったぁぁぁあ! シェーナが考えてくれる! って! よかったなぁぁあニモラぁあああ! これで家の評判もぐっと上がるぞ! 花嫁姿のシェーナたん…… 想像するだけで涙でるぅ……っ】
「考えるだけだからね? ……あと、解決の役に立たないアドバイスありがと」 【また家、家って…… ほんとしょーもないひと…… 】
「役に立たないはずない! 名言だろうが名言! 」 【シェーナが! 親に対してお礼をちゃんと言えるようになるなんて…… 本当に大きくなったなぁ、シェーナ……! 】
「どのくちでそれいう」 【まあ、お父さんもちょっとは成長したよね、たぶん】
「こら! 親に対してなんだ、その口のききかたは! 」 【あーもう本当に、自分の子でなかったら親の顔が見たい! 】
シェーナはおもむろに、父親に向かってあっかんべー、と舌を出してみせた。まったくとても残念ではあるが、シェーナの父親はこのひとしかいないのだ。




