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11-2. デートの誘いはお仕事のあとに(2)

 12歳の夏だった。急に体調を崩した母にかわって工場で靴用の革を染める仕事にいき失敗して叱られたあげくの無賃労働で遅くなった帰り道 ―― シェーナは、ひとりの男に声をかけられた。()()1()()()()()()と問われ、そういう商売はしていない、と断ると逆上して襲ってきた。


「貧民のくせにお高く止まりやがって! 」


 殴られて、よろけた。あしを強くけられ、倒れこんだところを馬乗りにされた。暴れることすらできない、圧倒的な力の差。怖くて声もでなかった。でも絶望しようとする己が許せなくて、シェーナはただ男をにらみつけていた。その生意気な目はなんだ、と男が怒鳴る。高い音が響き、頬に痛みが走る。男は残忍な喜びに顔を歪ませ、シェーナのスカートに手をかけた ―― 「こんばんは。ベーム男爵子息、騎士団第3部16小隊のトマスくん」 場にそぐわない低い穏やかな声が降ってきたのは、そのときだった。


「すてきな白夜に貧民街の見回りかい? ご苦労さまだね」


「いえどうみても見回りじゃなくない? 」


 あまりのボケに、ひとまずは助かった安心感も手伝ってついツッコミを入れてしまったシェーナに、男 ―― トマスくんは 『うるさいだまれ! 』 とささやいて、慌てたように立ち上がった。


「はっ、大佐どの。彼女が目の前で急に倒れたので、介抱しようとしたのであります! 」 【うわうわうわうわ…… なんでこんな偉いさんがこんなところに!? しかも海軍のくせに俺のこと知ってるし! 】


「そうか…… 女性には親切にしなければね、トマスくん」 【親切にしておけば()()()はいくらでもあるんだよ、トマスくん】


「はっ! そのとおりであります! 」 【あんたなんかに……! 貢ぎまくったあげくにフラれた俺の気持ちがわかるか……! 】 


「そこの彼女はたしかに具合が悪そうだね。あとは僕にまかせて、見回りを続けたまえ、トマスくん」 【どれ、トマスくんが襲いたくなるのはどんなお嬢さんなのかな…… 】


「はっ! かしこまりました……! 」 【ちくしょう! 横取りする気か!? あんたは女たらしなんだから、俺の獲物をとらなくてもいいだろうが! 】


「そうそう。()()()()()()()()()()()、ディアルガ侯爵への連絡はやめておいてあげるよ…… 次に会うときまでには軍規をしっかり覚えておくようにね、トマスくん」 【けれどきみは、ディアルガをとおして海軍の動力部にスカウトしておいてあげようね。(スス)にまみれ男しかいないこの世の地獄へようこそ、トマスくん】


「はっ…… しかと(キモ)に銘じますです!」 【いつか気が向くのか、まさか……? どうしよう…… 軍法会議にかけられたらもう終わりだ……! 】


 あくまで穏やかな青年将校を前に、トマスくんはシェーナから見てもはっきりわかるほどに震えていた ―― つまりこの海軍大佐は、軍規をおかしていた者をはっきりと糾弾し処罰するよりも、弱みをにぎって彼の気分ひとつでどうにでもできる手駒にするほうを選んだのだ。優しいといえば優しいが、なかなかにイヤらしいやり方でもある。ついでに心の声もなんかイヤらしい、とシェーナは思った。

 急いで去っていくトマスくんを見送ると、彼はシェーナを助け起こして傷の手当てをし、泥を払うためにハンカチを貸してくれた。なんかイヤらしくはあるが、目下のところ彼に()()()がないことは、心の声からすぐわかった。


【物好きなヤツもいたものだね。もう4、5年は育たないと()()()()()もないだろうに。せっかく助けてはみたが、口説く気も起こらないよ、僕なら】


 ()()()という表現がなんだかおぞましいものの、まず我が身は4、5年は安全みたいだ…… そう判断したシェーナは、だから有り難くハンカチを借りたのである。そして、身分やら何やらの重大さをまだしっかりとは知らない子どもの無鉄砲さでもって 『洗って返す』 と主張すると彼は 『そう? じゃあまたいつか、ここで出会ったときにね』 と穏やかに流した。本気にしたシェーナはしばらくの間、洗ったハンカチを持って 『()()()()()のお兄さん』 を毎日のように探したものだが、結局は会えないままにいつしかそのできごとは、記憶の底にしまいこまれてしまったのだった ――



「―― ここできみに初めて会ったとき、天使が舞い降りてきたかと思ったんだよ、奥さん」 【助けてあげた直後にいきなりツッコミを入れてくるのが、思いがけなくてとても面白かったよ】


「えーでも公爵、()()()()()がない、って言ってましたよね? 」 【また心にもないことをペラペラと…… 】


「それは、ほら。そうとでも自分に言い聞かせないと、僕が犯罪者になってしまうだろう? もしかしたら…… きみには、ひとめぼれだったかもしれない」 【なかなかの大物かお笑い芸人のどちらだろうと、きみの将来にとても期待したよ、あのときは。聖女とはまた、方向違いのほうへ行ったものだが…… よく並み居る他力本願民にツッコミを入れるのを耐えられたと思うよ。感心感心】


「おかげでトラウマになって初恋とかする勇気もでなかったんですよ? 」 【ひとめぼれってそっちの方向! 劇場プロデューサーですか公爵!? あと、わたし誰にでもツッコむわけじゃないから! 】


「そう…… それは、申し訳なかったね。だが、僕のほうは初恋だから…… 許してくれるかな 」 【こう言うと、大抵は喜ぶはずだがね…… シェーナに効く確率は50%、というところかな】


「……………… もうがまんならん」 【そんなこと言われたら実験動物にされてる気分にしかなりませんって! 】


「どうしたんだい、奥さん? 」 【どう見ても怒っているな。はずしたか…… やはり味わいがいのない年頃の子に初恋したことにしても、どん引かれるだけ、ということかな…… しかたないから適当にほめあげてフォローしておこう 】

 

「嘘もたいがいにしてください、公爵! 」 【ほんと腹立つこのひと! 】


 初恋だとかいけしゃあしゃあとほざいて微笑んでいる魅惑的なオッド・アイに、シェーナはびしりと指をつきつけた。


()()()()()()()()()()はどうしたんですか!? ずっと想ってるんでしょう!? わたしが初恋だとかそんな嘘いうなら、もう嫌いになりますからね!? 」


「…… ということは、今は好いていてくれてるんだね、奥さん。嬉しいな。きみはあのころから本当にかわいい子で、おとなになったらどんなにキレイになるだろうと思っていたんだよ…… 想像以上に、素敵な淑女になったね」 【嘘と断定しなくてもいいと思うんだが…… 】


「抱き寄せて顔面近づけて思わせぶりにささやいたからって、ごまかされませんからね」 【女性ならもれなく誰でもかわいいと思ってるくせに】


「…… これは手厳しい」 【ほめかたがまだ足りないのかな…… ()()なんて気にしなくていい、とアピールしているつもりなのだが】


 公爵の実際の声は、まだ笑みなどを含んで余裕を見せているが、心の声はずいぶんと困惑している。もっと悩めばいいのに、とシェーナは思った。

 スノードロップの彼女、すなわち()()()()()()()()()のせいで、シェーナが悩んだぶんの半分くらいは…… 悩ませたって、神罰はくだらないはずだ。


「はい、公爵。正直にぜんぶ、自白(ゲロ)っちゃってください? 本当は愛してるのは彼女ただひとりなんですよね? 」


 せっかく仲良くデートしていたのに、なんで今こんなことをつきつけているんだろう、と自分でも情けなくなるシェーナである。黙ってさえいれば公爵は、表面的には溺愛し続けてくれるはずで、そのうちじっくり関係を築いていければそれでいい…… と先ほど馬車の中でも決めたばかりだったのに。

 けれど、大切なことで嘘を言われている、と思うとどうしても、がまんができなかったのだ。


「ええとね…… 少し誤解があるようだね、奥さん。()()()()()()()()()()というのは、『アーヴェ・(さらば)ガランサ(スノー)ス・ニヴァリス(ドロップ)』 のヒロインのことだろう? 彼女は実のところ、『ネーニア・リィラティヌス』 のヒロインのロティーナのモデルでもあるんだよ」


 『ネーニア・リィラティヌス』 のほうは人気シリーズだから、いつでも続きが書けるようにネタは常に考えているのだ、と公爵は説明した。


「それでいつも彼女のことを想っているように、きみには感じられたのかもしれないね。だがあくまで仕事だから…… 恋や愛というものではないよ。僕が愛しているとしたら、それは、きみただひとりだよ、奥さん」


「…… 嘘つきですね、公爵」


「嘘ではないよ」


「そういうのが聞きたいんじゃないです」


「えっ……」


 つないでいた大きな手を振り払う。

 ワガママで身勝手なことを言っている。その自覚はある。好きになったひとに大切にされていつもほめてもらえて、きみだけを愛していると言ってもらえて ―― これ以上、なにを求めようというのだろう。

 満足すべきだと、ついさっきまで何度も自分に言い聞かせていたし、できる気がしていた。でも、限界は急にきてしまった。どんな優しくて都合のよい嘘でもやはり、好きなひとに嘘をつかれるとひとりぼっちになった気がしてしまって、ひとりでいるよりももっと寂しくなってしまう。

 シェーナは1歩あとずさりして、笑顔をつくった。泣いているように見えませんように。


「わたし、本当は公爵が初恋なんですよ。だからかな。ガマンしようと思っても、いろいろ見ないふりをして、頑張ってみようと思っても…… うまくいかないです。わたしの心の中だけの話で、たぶん変にこじらせてるんだ、っていうのは、わかっているんですけど」


「シェーナ。ひとりで悩まないで。ちゃんと、聞かせてほしい」


 きっと公爵は誰にでもこんな優しいことが言えてしまうのだ。好きだけど本当に腹の立つ、というのがシェーナの正直な感想で…… 公爵がいくら優しくしてくれても、シェーナのほうは優しくなんてできそうになかった。


「本当はパセリなのに、大切なふりなんてしないでください。オマエなんて国王命令で押し付けられただけのただのパセリだから思い上がるな、ってちゃんと言ってくれたらいいんですよ。そしたらいろいろ諦めて、立派なお飾りの公爵夫人になれるようにだけ、頑張りますから」


「そんなひどいことを言うわけないだろう、奥さん? お飾りだなどと…… そのようなこと、考えたこともない」 【きみはこれまでも、じゅうぶん頑張ってきたんだろう? あれ以上、不幸な目に遭うと気の毒だから、できるだけ大切にして、幸せにしてあげたいだけなのだが…… 確かに結婚も恋愛も僕にとってはパセリみたいなものだが、口に出さない程度の分別(ふんべつ)はあるさ】


 なにがいけないのだろう、と公爵の心の声がますます困惑している。公爵にとってシェーナは恋愛対象ではなさそうだが、その親切心だけはまぎれもなく本物なのだ。なのに、なにがいけないのか…… それはシェーナにだってよくわからない。わかるのは、このままではやっぱりダメだ、ということだけだ。公爵を変えるにはあと80年はかかりそうだし、その間ずっとがまんするのはシェーナには無理なんだから。


「あの、突然ですが公爵。少々、ほとぼりをさまして冷静に考えてみたくなりましたので…… 実家に帰らせていただきます。すぐそこですし」


「 …… ああ、そうだね。お父上も心配してらっしゃったから、そうするといいよ。好きなだけ帰っておいで。送ろう」


「ひとりで行けますよ」


「それはダメだよ、奥さん。僕からもきちんとお父上にご挨拶しないと」


「うーん…… なんか違う」


「えっ…… 」


「いえ、いいです。ではご足労おかけして申し訳なく存じますが、送っていただけますか、公爵? 」


「もちろんだよ、奥さん。すぐそこだから歩こうか」


 当然のように差し出された腕をとらずに、シェーナは公爵の前に立って歩き出した。なんだか申し訳ないので、ときどき振り返ってみる。公爵はそのたびに、安心しなさい、とでも言うように微笑んでみせてくれる。それがまた、なんだかふにおちないシェーナである。せっかく 「実家に帰らせていただきます!」 と宣言してるのに、犬の散歩じゃないんだから。

 そうこうしているうちに、小さな屋敷の門が見えた。家ではなく、かろうじて屋敷とよべる大きさ。シェーナが聖女になった恩恵で小役人になった父が35年ローンで買ったものだが、このつまんない見栄の張り方が悲しいとシェーナはいつも思っていた。


「シェーナぁぁぁあっ! よく帰ってきてくれたぁっ! お父様は嬉しい! ああどうも公爵閣下! お忙しい中、このようなむさ苦しい屋敷にようこそおいでくださいました」


「そのようにかしこまらないでください、お義父上(ちちうえ)。それより、突然おじゃまして申し訳ない」


「いえいえ、そのような! もう家族も同然ではないですか、公爵閣下! まあそのなんです、隠れ家的な別荘とでもお考えになって、いつでも自由にいらしてください、公爵閣下! 」


 出迎えるなり 『公爵閣下』 を連発するシェーナの父。その心の声が 【公爵が娘婿…… うう…… なんと素晴らしい! でかしたぞシェーナぁぁあ! さすが我が娘! もうこれは家門再興したって言っちゃっていいんじゃない? うむ。ついに悲願達成…… うううむ】 とかいうものたから、ウンザリせずにはいられないシェーナである。


「あのね、お父さん」


「お父様だ、シェーナ。公爵閣下、あの、ときどき言葉遣いがなっていないバカ娘ですが、よく言って聞かせますのでどうか大目に見てやってください」


「いや、お気になさらず。お嬢さんのおしゃべりは楽しいですよ」 【特にキレの良いツッコミが、ね(笑)】


「くうううっ…… なんと有難いお言葉でしょうか、公爵閣下! 」 【シェーナぁぁあっ! アレコレ叱りはしたが、お父様も実はいけると思っていたぞ! 『面白い女』 枠で! 】


 やっぱり実家なんかに帰るんじゃなかった…… つい勢いで行動してしまったことを、さっそく後悔するシェーナ。せっかく公爵にも少しは悩んでそのパセリ対応を反省してもらいたかったのに、父のせいで台無しである。


「それでシェーナ。今日は、夕食までいられるのか? なら、ランクス・アウラトゥスに急いで料理を注文するが…… 」


「料理を注文するのはいいけどね、お父さん」


 シェーナはお腹に力をこめて、きっぱりと言った。


「わたし、当分ここにいるから。というか、まだもう少し先だけど、結婚式が終わってもずっとここにいるつもりだから。嬉しいでしょ、お父さん。そんなわけで、よろしくね」


「しししししシェーナぁぁぁあああっ! 」


 父の悲鳴が、がらんとした小さな屋敷にこだました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やはり心の声が聞こえる設定が十二分に活かされている、と思いました! 設定ありきのストーリーだと分かりつつも、そうでなければ、ラズールからしたら、シェーナはよく分からん難癖を付けてくるメン…
[一言] さもありなん( ˘ω˘ )
[良い点] 結婚前から、夫婦別居になっちゃった……。 ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)
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