10-3. 妻の復讐はただ苛烈に(3)
「どうしたい、って? 公爵はまたマイヤーさんを雇うつもりなんですよね? あと出所するの早くないですか? たしかまだ、裁判終わってもいないんですよね? 」
まさか意見を求められるとは思っていなかったことをいきなり尋ねられて、シェーナは驚いた。もともと、いつか自分からきこう (公爵は言わないだろうから) と考えてはいたが、まだ先の話だと信じていたのである。
マイヤーの裁判は政治的な配慮から非公開でありシェーナも出席したことがないが、今ノエミ王女への殺意の有無が争われているところだ、と公爵から聞いたのはたった5日ほど前の話だ。そこから出所までがわずか半年強となると、あまりにも短い。仮にも王族を故意に害したのだから、殺意がなくても100年くらいの禁錮刑がつきそうなものだが。
「あとのほうの質問に答えると、裁判は終わっていないが恩赦のほうが決まっているんだよ。来年6月には国王の65歳の誕生日で記念に政治犯の恩赦がある。そのリストにマイヤーを加えてもらった」
「すごいごり押し…… 」
「マイヤーがいないと仕事が忙しくて結婚式の準備もままならないだろう、奥さん? 」
それはずるい、と思うシェーナ。
いくら背後に回って抱きかかえるみたいな位置からスプーンに載せた肉を口元に差し出してくれたりしても、ずるいものはずるい。肉はありがたくいただくけれど。
「早く結婚したいって言っとけば喜ぶとか、思わないでくださいね、公爵? 」
「…… 結婚、嬉しくないんだね…… 」 【溺愛のしかたがまだ足りない……? ならば次は一緒に入浴して洗ってあげたりしてみようかな】
「いえその、嬉しくないこともないようなあるような……! ですけど、それとこれとは別じゃないですか。そこごまかさないでください。あまりずるいことしたら嫌いになっちゃいますからね? そもそもそんなに忙しいなら、リーゼロッテ様かシー先生あたりから有能な使用人紹介してもらえばそれで済むじゃないですか。それをしないで犯罪者が戻るの待ちつつ忙しいとかほざいても、それはもう勝手にして、っていうか」 【いっ一緒にお風呂!? どどど、どこを洗われちゃうのわたし…… いや無理無理無理無理、無理にふりきった無理! 】
シェーナが一気にしゃべるのを公爵は黙ってきいていた。しかしなぜか、セリフの後半あたりからその心の声は 【たしかに】 とか言いながら大爆笑している。シェーナとしてはかなり勇気を出して 『嫌いになるから』 と宣言しているのに、ひどい。
「そうだね、たしかにずるかった。申し訳ない」
「わたしは、マイヤーさんはきちんと刑を受けて反省すべきだと思いますよ、公爵」
「そうだろうね」 【だが気の毒でね…… 】
「…… おっしゃりたいことは、はっきりおっしゃってください? 」
「マイヤーは、どこかで聞いたかもしれないが、僕の異母弟で…… だが、非公認なんだよ。もし父が彼を認知していたら、彼もああはならなかったと思う」
「それで、かわいそうだから恩赦リストにごり押しで押し込んだ、と。でもそんなこと言ってたら、世の中は恩赦リストに押し込まなきゃいけない人だらけですよ、たぶん」
「だからさ、そういう人にだって、ひとりくらいは許してくれる人が必要だろう? 」 【僕たちは誰も、絶対に正しくなどはないんだし、ね】
こういうことを言うのにわざわざ肩を抱き寄せて耳に口をつけてくるのはなぜなんだろう、とシェーナは思った。ものすごく否定しにくいじゃないか。
「…… つまり、わたしがなんと言おうと、もはや恩赦は決定、ということですね? 」
「まあそういうことだよ、奥さん」
「え? それだけ? 」
「…… 勝手に決めて、すまなかった。被害を受けたのはきみなのに…… だから、せめて彼の処遇はきみに決めてもらおうと思っている。どうしたい? 」
意外と素直な公爵の謝罪を受けたシェーナの頭の中では目下、3人のシェーナが言い争っている。天使シェーナと悪魔シェーナ、それに惚れた弱味の激甘シェーナだ。天使シェーナは 「ノエミ王女の腹痛分は当然、償わせるべきだけれど、公爵のいうことにも一理ある」 と判断し、悪魔シェーナは 「マイヤーなど、一生! 公爵家の敷地の片隅でひっそりと雑草の下に隠れていた半地下牢に永久に飼い殺しでじゅうぶん」 とささやき、激甘シェーナは 「ノエミちゃんだって許してくれるよー。だから、もー公爵がそこまで言うんなら許してあげよーよー。だって嫌われたくないしー」 とシェーナ自身でさえイラッとする主張を繰り出してくる ――
「すみません、公爵。すぐには決められません」
「そうだろうね。時間はまだあるから、ゆっくり決めるといいよ」
悪人は処罰されて当然なのになんでこのひとこうなの、と思わないでもないシェーナだが、節操なく誰にでも発揮されてしまう面倒くさい優しさも含めて好きになってしまった自覚はある。
公爵にしてみれば出所後のマイヤーの処遇をシェーナに任せるだけで最大限の譲歩なのだ、ということも、わかりたくないけどわかってしまう。
(あーもう! 小説の救済美形みたいに、ヒロインに都合よく動いて嫌われ役をスッキリ単純にバシッと奴隷階級に突き落としてくれたらラクなのに! )
でもシェーナは、そんなパセリみたいな救済美形なんか全然、好きじゃないし、『あたくしをコケにしたんだから当然よね』 とばかりに己はまったく手を汚さず嫌われ役が罰せられるのをただ眺めているだけのヒロインも好きじゃない。ちなみに 『かわいそう』 などと口先だけで 『悪人にも優しいあたくし』 をアピールしながら何もしないヒロインはもっと嫌いだ。
―― 嫌いな人間になりたくないと思ったら、自分で考えるしかない。
幸いかどうかは微妙だが、公爵が程よいタイミングを見計らってせっせと口に肉 (やそのあとのデザート) を運んでくれるおかげで残りの食事時間、食べることを気にせずぞんぶんに悩めたシェーナ。
だが結論は、夕食のあとのゆったりしたお茶の時間が終ってもまだ、出なかった。
「あら? 奥さま、ずいぶんと肩や首がこっておられますね? 読書もけっこうですが、休憩はいれていただかないと…… 」 【うふふふふ…… でも、揉みがいはあるのです! わたくしの手技に、さらに! どーんとハマっていただくチャンス! なのです! ふんすっ】
「うーん。読書っていうか、悩みごとが…… 前に親友からも言われてたのに、こんなに早く時期が来ちゃうなんて思わなくて」
就寝前の恒例、侍女長アライダと3人のメイドたちによるエステタイムは、いつの間にか悩み相談室のごとくになっていた。アライダは己の仕事を公爵家に定着させるという目論見と生来の親切心と年の功の知恵の3拍子がそろった、よそではなかなか得難い回答者である ―― が、その回答にはかなり偏見も含まれていた。
マイヤー出所後の処遇を公爵に任されたとざっくりシェーナが説明すると彼女はまず、憤然と叫んだ。
「まあ! 坊っちゃまったら甘い! 甘すぎでございますとも奥さま! そのような苦労を奥さまに押しつけるだなんて! 」 【もう結婚やめるとか言われたらどうするのですか坊っちゃま! ふんすっ 】
「いえ、アライダさん。それほど苦労なわけじゃなくて、悩んでいるだけですから…… 」
「そんなもの! まずは恩赦が間違いでございますとも! 女性を殴って子どもに毒盛る男なんて、きっちりしっかり牢の中で短い一生かけて罪を償うべきなのです! 」
「勝手にマイヤーさんの人生短くしてる! 」
「あんな男は早死にすべきですからね! 」 【なんならわたくしがコッソリ埋めて差し上げたいところなのですけどね! ふんすっ】
「ひえええ……」 【アライダさん、さすがにそれはダメだよ! あんなひとのために犯罪者になったらクライセンさん泣くからね? 】
「ま、死なないうちはあの外れにある草むした古牢につないでおくのはいかがでしょう? 」 【いざというときにはコッソリ埋めやすいですし? 】
「やっぱりアライダさんもそう思うんだ…… 」 【だから埋めたりしたら最終的にクライセンさんが泣くんだってば】
「もちろんでございます! 」 【ふんすふんすふんすっ】
内心の鼻息を荒くしつつ、アライダが取り出したのは、光が詰まった小瓶だった。ほのあかるいアロマキャンドルの灯を受けて、ちらちらと輝きを放っている。
「ムルトフレートゥムの鉱山でとれた金を精錬加工した金箔でございます、奥様。こうしてクリームと混ぜて塗り込めば、お肌がより、しっとりぷるぷるに…… うふふ。このお肌で坊っちゃまにお願いすれば、マイヤーなんてイチコロでございますよ」
「それだ……! 」
「ふふふふ…… ようございましたね、奥様。では、おまかせください。坊っちゃまを骨抜きにしてマイヤーなど奥様の思うがままにしてしまうこと確実の、ステキなお肌にして差し上げますから……! 」
少しひんやりとしてすっと肌になじむ金箔のクリームを丁寧に全身に塗り込んでもらいながら、シェーナは今後の計画を立てた。
目指すのは、公爵もシェーナも納得できて、そのうえに公爵が周囲からこれ以上非難されないような処遇に、マイヤーを落とし込むこと ――
翌日からシェーナはさっそく、準備を始めた。少し調べただけでも、知らなければならないことも覚えなければならないこともたくさんあるとわかった。同時に、マイヤーの出所時期が決まったことで結婚式の準備も忙しくなり、公爵夫人教育も大詰めとばかりに厳しくなっていった。
気がつけば、好きな本を読む時間もほとんどない毎日 ―― かつて婚約破棄されることが決まったときに思い描いていた、修道院に引きこもって読書ざんまいする清貧かつ心豊かなスローライフとは、正反対の生活である。
それでも、シェーナはまったく後悔していなかった。これまでのシェーナの人生は、病気がちな母のために聖女になって国のために王太子と婚約して、みんなのために駆け回って祈りを紡ぐ日々を送って ―― 己が選択したことではあるものの、まわりのため、という意識はどうしても消えなかった。うまくできていればまだ充実感があったかもしれない。だが、母は亡くなり祈りはどこにも通じず最終的に婚約破棄されて、残ったのは虚しさと罪悪感と疲れだけだった。
けれど、今回は己のためだ。失敗しても己がかぶるだけで、周りに被害はない。だから、失敗したってヘコむ必要もなく、ただ全力で頑張っていけばいいだけ ―― それがシェーナには、とても楽しかった。
人生はまだまだ、余生なんかじゃなかったのかもしれない。
時はあっという間にたち、12月のフォルトゥナ祭と新年の祝いが過ぎたころ、マイヤーの刑が確定した。禁錮96年。ジャムに混入されていたシアン化合物が致死量にはまったく満たなかったことからノエミ王女への殺意はなかったものとされ、出しっぱなしになっていた減刑依頼の力もあって、マイヤーは極刑を免れたのだ。
余談だが、フォルトゥナ祭とは幸運の女神の祝祭のことである。雪と寒さで閉ざされる冬に知り合いどうしがお互いにプレゼントを贈りあってバカ騒ぎする期間だ。12月半ばから年末までがそれにあたり、シェーナにはアライダが 「旦那様へのプレゼントには全身をリボンだけで飾って 『どうぞ召し上がれ♡ 』 とやるのが定番でございます! 」 と勧めてくれた。まだ結婚していないので、と断ったシェーナだが、来年はどうやって断ろうか ―― 新たな悩みの種である。ちなみに親友のメイリーによれば、ルーナ・シー女史も毎年それをやっているのだそうだ。
閑話休題。
ともかくもマイヤーの刑 (と恩赦の予定) が確定すると、大詰め感がさらに半端なくなってくる。おかげで2月には、シェーナのスケジュールは寝起きと食事どきとダンスのレッスン以外、公爵ともまったく顔を合わさないほどの忙しさとなっていた。
そんなある朝。
「おはよう奥さん。今日もますます美しいね。 夜中の 『あ、やっぱやめます! 召し上がれとか絶対に無理です公爵』 という寝言もかわいくて、とてもほほえましかったよ。ところで何を食べさせてくれる気だったのかな」
「い、いえ? あの、夢ですし? ちょっと忘れてしまいました…… 」
普段どおり寝起きの腕枕のままシェーナをひとしきり愛でたあと、公爵は起き上がってとびきりの晴れやかな笑顔を見せたのだった。
「今日はデートに行こうね、奥さん」