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9-3. 事件の真相は心のなかに(3)

「そう? まいったな。では僕はこれ以上嫌われないように、もう退散するよ…… メイ、シェーナをよろしく」 【嫌い…… 女性からあまり言われたことがないな…… なかなか新鮮だね…… うん】


「はいはい、おじさま。いわれるまでもありませんて」


 相変わらずテーブルに突っ伏して寝ていたルーナ・シー女史がわざわざ薄目をあけて 「ぷぷぷぷ…… 良い気味ですこと! 」 と、公爵の傷口に塩を塗りたくる。


「もう、お母様ったら! はい、おじさま。傷心に甘いもの。ナターシャ特製クッキーね」


「ありがとう、メイ。じゃ、頼んだよ」 【そうか…… 今夜もシェーナはいないんだな…… 】


 外見は 『傷心? なんのことだい?』 といわんばかりに爽やかに、しかし意外にも少しばかりしょんぼりとした内心の声を発しつつ公爵が帰っていったあと ――

 シェーナは急に忙しくなった。


「ねえメイリーちゃん、騎士団に直接行って、ワイズデフリン伯爵夫人に会わせてもらえると思う? 」


「うーん無理かな? リーゼロッテ様から捜査を委任されてれば別だけど」


「はい、メイリーにシェーナちゃん。リーゼロッテ様の委任状」


「…… ってお母様、また偽造! 」


「偽造ではなく、代筆でしてよ? リーゼロッテ様には後で許可とっておくから心配ないわ 」


「もう! リーゼロッテ様ったらお母様に甘すぎ」


「信頼されているのよ。メイリーにはまだまだ無理ね? 」


「もう! …… とりあえず、ありがと。行ってきます」


「行ってきますね、シー先生」


 行ってらっしゃい、とヒラヒラ手を振られ、シェーナはメイリーと一緒にクローディス伯爵家をあとにした。馬車の行き先はワイズデフリンとマイヤーがとらわれている、騎士団本部。

 みちみち、シェーナがワイズデフリン伯爵夫人はおそらく無実だとメイリーに説明すると、メイリーはシェーナ以上に腹を立てた。もともと、弁護士を目指すほどの正義漢なのだ。


「ルーナ王国の事件捜査を混迷させる身分制の闇! ワイズデフリンって実は平民だから、腐っても男爵なマイヤーの言うことのほうが重視されちゃうのよね」


「ええ? たしかハインツ王太子やリーゼロッテ様は、身分による特権をなくす方向で活動してらっしゃるはずじゃ」


「なかなか浸透しないのよ。だってほら、騎士団も宮廷も、身分でトクしてきた人たちの巣窟じゃない? 唯一違うのは海軍ぐらいで…… 仕事がキツいから、甘やかされた貴族の(ボンボン)に敬遠された結果、身分が低いひとたちの吹き溜まりみたいになっただけなんだけどね」


「へえ…… 」

 

「あのね、シェーナちゃん。おじさまだって、ワイズデフリンのオバサンがもし実際に刑を受ける、となれば助けようとすると思うのよ。政治を嫌って軍部に入るのでも、わざわざ海軍を選ぶような人だもの …… でもやっぱりマイヤーは、長く仕えてくれた使用人だから」


「そんなの、わかってるし」


 己にとってはなにもかもが添え物のパセリにすぎないのに、そのパセリにさえいちいち情をかけてしまう ―― シェーナが好きになった公爵は、そういう人なのだ。

 きっともっと人生うまく行っていれば、太陽みたいに明るく周囲をひきつけて、誰からも慕われるような人になっていただろう ―― 白い歯を光らせつつ心底から爽やかに笑う公爵を想像して、シェーナは首をひねった。


(…… うーん。でも、今のひねくれた公爵のほうがかわいい気がする…… )


 それがダメ男にはまる思考回路に近いことを、幸いなことに彼女はまだ知らない。

 ゆっくりと馬車が止まり 「つきましたよ、お嬢さまがた!」 と声がかかった。御者席に座るのはメイリーの祖父の前クローディス伯爵。茶目っ気あふれる趣味人の愛妻家 (御者をやるのも趣味のひとつ) だが、メイリーいわく変態ではないらしい。


「おじいさま、ありがとう」 「ありがとうございます」


 メイリーとシェーナが口々に礼を言うと 「では、のちほど。またお迎えにあがりましょう」 とウィンクされた。こんなふうには20年経っても公爵は絶対にならないだろう、と感心するシェーナにメイリーが尋ねる。


「シェーナちゃんのおじさまのイメージって?」


「シー先生の小説のヤン・キィさんの口から手をつっこんで裏と表を完全にひっくり返したみたいなひと」


「そう思うのシェーナちゃんくらいと思う」


 ヤン・キィは下町の不良少年団のリーダーだが、目付きも態度も経歴もガチにグレている正真正銘のワルなのに実は捨てられた子犬をコッソリ拾って育ててたりする。それを誰かに見られると恥ずかしさのあまり逆ギレする、そんなキャラである。裏表ひっくり返せばどう見ても公爵ではないか ―― だが、公爵の心の声を実際に聞いたことのないメイリーには、いまいちイメージがつかなかったようだ。

「絶対にそうだって」 「いや絶対シェーナちゃんだけ」 と罪のない言い争いをしつつ騎士団本部の門をくぐる。受付嬢にリーゼロッテの委任状 (代筆) を見せ、とらえられているはずのワイズデフリンとマイヤーへの面会をお願いすると、しばらくして騎士がひとり出てきた。


「「あ」」


 シェーナと顔を合わせたとたん、お互いの口から出てきたのは 「「あの夜の」」 という言葉である。


「ダイエット騎士! 」 「食い意地令嬢! 」


「あなたたち…… いったいどういう知り合いよ? 」


 ソツなくツッコむメイリーに、ワイズデフリン伯爵夫人の誕生日パーティーの夜の騎士との (シェーナからすれば) 危機感あふれるやりとりを簡単に説明すると 『その場に居合わせてみたかった』 と悔しがられた。解せぬ。

 あのときは連行しようとする側と連行を拒否する側、という間柄だったわけだが、騎士のシェーナに対する印象はそう悪くはなかったらしい。 【無罪だそうで、まあ良かったなお嬢ちゃん。というか、悪いことをしたというか…… 】 という心の声とともに、あっさりと案内してくれた。むき出しの石の壁が寒々しい、地下牢エリア ―― 刑が確定していない容疑者は、ここに入れられるのだ。

 まずはワイズデフリン伯爵夫人の個室の前で、ダイエット騎士 (シェーナ命名) が足を止めた。


「ここで見張らせてもらうからな。妙な真似はするなよ? 」 【ところで結局、公爵の◯◯◯は食ったのかな、お嬢ちゃん…… はあ…… 俺も彼女に食われてみたい…… はあ】


「ダイエット騎士さんも妙な想像しないでくださいね? 」 【きもっ。まじきもっ…… それは言っちゃったのは、わたしだけど! 切羽詰まってたからって、よく言えたよね、あんなこと…… 】


「なにを想像するというんだ、まったく」 【な、なんでバレてるんだ…… 】


 小さな格子窓から牢の中をのぞくと、ワイズデフリン伯爵夫人はバレエの柔軟体操中であった。いかなる時でも美と健康に気を配る。立派なものだ。

 運動の継ぎ目を見計らい、シェーナは小さく声をかけた。隣ではメイリーがメモ帳とペンを持ってスタンバイしている。会話を記録するつもりなのだ。


「ワイズデフリン伯爵夫人、お忙しいところ、失礼します」


「!? なによ、あなた!? 」 【まさか、こんなところまであたくしを嘲笑(あざわら)いにきたっていうの!? 本当に腹立つ小娘! 】


「あの、今日はお話をうかがいたいと……  」


「話すことなんてなにもなくってよ! 」 【きぃぃい! 見てなさいよ! そのうち騎士団長(ディアルガ侯爵)をあたくしの魅力で骨抜きにして無罪を勝ち取ってやるんだから! そしたら今度泣くのはあんたよ、シェーナ・ヴォロフ! 】


「ですが、ワイズデフリン伯爵夫人は…… 無実ですよね? 」


「ふんっ! 当然じゃないの! 」 【おーっほっほっほ! 語るに落ちるとはこのことね! あたくしが無実だと知っているということは、シェーナ・ヴォロフ! やはりあなたが犯人ね! マイヤーを使ってノエミ王女に毒を盛ってあたくしにタレ込ませておきながら、いかにも無関係って顔して、あたくしをハメたんだわ! 】


「わかりました。では、失礼します」 【うーん。それは動機部分が不明すぎて無理じゃないかな? ま、とりあえずワイズデフリンさんはシロ確定…… ってことでいいよね】


「ちょ、あなた! それだけってなによ! このあたくしを、からかっているの?」 【せっかく来たんならもうちょっとなにか話していきなさいよこの小娘が! 】


「あ。そうでした。これ差し入れです。騎士様に渡しておくので、あとで召し上がってくださいね。毒は入ってませんよ。じゃ、頑張ってくださいね」 【趣味の合う紳士がたと会えなくて寂しいんだね、きっと…… 】


「要らないわよっ」 【くっ美味しそうなシュークリーム…… って、こんなところでこんなの食べると太るじゃないの! やはり悪魔ね、シェーナ・ヴォロフ! 】


 取り調べ以外では人としゃべることなどなかったのだろう。嬉しさのあまりか、ワイズデフリン伯爵夫人の心の声はかなり多弁で聞きたいことがあっという間にわかってしまった。

 やはり、彼女は利用されていただけのようだ。真実、事件の鍵になる人物は ―― シェーナが考えていたとおりである。公爵家の執事代行、ヨルク・マイヤー以外には、いないだろう。


 マイヤーの入れられている牢は、ワイズデフリン伯爵夫人よりも少しマシだった。粗末なカーペットとタペストリーがある、というだけの違いだが…… むき出しの石壁と比べれば、寒さはかなり防げるはずだ。

 マイヤーはベッドの端にぼんやりと腰掛けて、タペストリーを眺めていた。めずらしく心の声が聞こえる、とシェーナが集中してみたら、()()の数をかぞえるという非常に無駄な作業をしていただけだった。


【……、43、44。これで44は3回目か…… 数えるたびに()()の数が違うのはなぜだろう…… 】


 久々にものを考えたのならば、もっとマシなことを考えていてほしいものである。


「マイヤーさん」


 シェーナが呼びかけると、マイヤーは弾かれたように立ち上がった。心の声があとかたもなく消えて、かわりに無口な使用人の仮面があらわれる。


「これは…… 奥様。このようなところまでわざわざ、恐れ入ります」


「いいんですよ、マイヤーさん。わたしも、急なことでびっくりしてしまって」


「は…… このたびは、誠に申し訳ないことでございます」


「あの…… 本当は、マイヤーさんが犯人では、ないんですよね? 」


「…… いえ。誠に、申し訳なく存じます。あの女の口車に乗ってしまったこと…… お恥ずかしい限りでございます」


 やっぱりダメだ、とシェーナは思った。マイヤーの心の声は何もしゃべってくれない。このままでは、いくら待っても真実を聞き出せるはずもなかった ―― ならば。

 もしこういうときのために、と考えていた手を使うしかない。


(なんか、卑怯な手口っぽくて嫌なんだけど…… 推理小説の名騎士様だって 『お母様は田舎で泣いておられるでしょうね』 って犯人をゆさぶるのが常套手段なんだから…… いいよね? )


 ちょっと無理やり己を納得させてから、シェーナはそろそろと用心深く口を開いた。


「本当の犯人はマクシーネさんで、マイヤーさんは罪をかぶろうとしているだけ…… ですよね? 」 【ごめんマクシーネさん! 犯人だなんて信じてないから! 】


「奥様…… 探偵の真似事ですか? 失礼ですが、それよりもなさるべきことがあるのでは? 」 【マクシーネ!? マクシーネは釈放されたはずだ! 今ごろは、私を見直して、感謝しているんだ。私から逃げたのがどれだけ愚かなことだったか、反省して従順で貞淑な妻になろうと誓ってくれているに違いない…… いとしい私のマクシーネ】


「でも、マイヤーさんのことが気になりますし…… その、公爵だってずいぶんと心配しておられます」 【やっぱり! 奥さん出せばもしかして、って思ったんだよね…… マイヤーさんが奥さんを助けてあげようとした、って本当だったんだ。でもずいぶんと一方的で押しつけがましい感じ…… なんか引いちゃう】


「公爵が…… 本当に公爵には合わせる顔もございません。申し訳ないことをいたしました」 【公爵が心配だと…… ふん。今さらそんなふりをして、良い主面(あるじヅラ)か? マクシーネを誘惑して私から取り上げた男が、今さら……! 】


「公爵は…… おそらく、マイヤーさんの減刑のために動いてくださっていると思います。詳しいことはよくわかりませんが、マイヤーさんは、ワイズデフリン伯爵夫人に頼まれて毒をマクシーネさんに渡したんですよね? 」 【ひええ…… なんかすごい誤解っぽいものされてますよ、公爵。ちょっと身から出たサビっぽいけど…… 】


「そうです…… 私が愚かでした。あの女の色香に迷い、そうすれば抱かせてあげる、だなんて妄言を信じ込んで、とんでもないことをしてしまった…… 」 【あの男(公爵)にも、妻をとられた私の苦しみのほんの一部でも味わってもらいたかったのだが…… ちっ】


「そ、そんな…… ハニートラップに引っ掛かっちゃうことなんて、たぶん誰でもありますから…… そんなに落ち込まないでください、マイヤーさん」 【こっこわい…… 今一瞬、めちゃくちゃジロッてにらまれた……! 】


「いえ、ですが…… すべてはワイズデフリンの仕組んだこととはいえ、のってしまった私に罪があるのです…… それを思うといたたまれません」 【あのバカな色ぼけババアは本当に、使いやすいよなぁ…… はっ。せいぜい罪をかぶってもらうさ。いかにも御褒美みたいに 『抱かせてあげる』 などと気色悪いことを言い出すから悪いのさ。私はマクシーネ以外の女には興味ないんだ】


「なるほど」 【だいたいわかった…… けど、公爵ったら本当にこんな人を雇い続ける気なのかなぁ……? ひどすぎるんだけど、ちょっと】


 ほぼ初めてくらいに聞いたマイヤーの心の声は、シェーナにとっては不本意この上ないものだった。終始一貫、徹頭徹尾なマイワールド。公爵はたしかに王国一の女たらしの悪名も高いが、わざわざ使用人の妻を誘惑して寝とるような面倒なことはしない人であることくらい、長年仕えていたならわからないだろうか。それにマイヤーが妻のマクシーネ一筋なのはわかったが、どうにもひとりよがりな理想を押しつけているようにしか感じられない。

 つまり、シェーナはこう思ったのである ―― こんな男、いやだ。


 マイヤーのために用意していたシュークリームはあげないことに決めて、シェーナとメイリーは騎士団本部をあとにした。

 心の声から推察するならば、マイヤーは真っ黒 ―― ならばこれからすることは、ひとつしかない。

 どうやって、彼の罪を暴くかだ。

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[良い点] >【そうか…… 今夜もシェーナはいないんだな…… 】 しょんぼりラズール、可愛い。 リジーちゃん、またさらっと偽造してるwww 【ところで結局、公爵の◯◯◯は食ったのかな】 おっと、ダ…
[一言] う~ん、マクシーネさん気の毒。
[一言] 見えてきましたか。
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