1-2. 婚約破棄は誕生日に(2)
「まず、シェーナ。君は確かに女神ルーナの加護を受けてはいるが、その力はあまりにも役立たずだったことを認めるな? つまり聖女としてふさわしくない! 異論はあるか? 」
名を呼ばれて前に進み出たシェーナに、ハインツ王太子は一気にまくしたてた。
ルーナ王国の法律では、聖女は王族と結婚しなければならず、また王族は聖女との婚約破棄や離婚ができない。したがって王太子が婚約破棄するためには、まずシェーナから聖女の地位を剥奪する必要があるのだ。だが、しかし。
【役立たずなどではない…… そもそも聖女に必要なのは女神の加護を受けた印であって、能力はオマケだし。それにシェーナは聖女として、一生懸命やっていたんだ! なのに、なのに……! 私はなんとひどいことを……! 】
王太子の心の声があまりにも悲惨だったため、つい軽く受け流してしまいたくなるシェーナである。
「そんなこと今さら、もー」
事前に王太子から 『いかにも被害者ぶってくれ! 実際に被害者なんだから』 と懇願されていたにも関わらず、気がつけばシェーナは、ニコニコと王太子にツッコミを入れていた。貧民街の住民は日々の笑いを大切にして生きている。現実が悲惨だからこそ、彼らは笑うのだ。そのスピリッツはシェーナにもしっかり根づいていた。聖女解任や婚約破棄ていど、大したことないない。空腹すぎて死ぬわけでもあるまいし。
「それ、ちゃんと3年前に気づいてくれてたら、わたしも貴重な青春を聖女のつとめでムダにしなくて良かったんですよ!? 」
「い、いや…… すまなかった」
「やだ冗談ですよ、ハインツ様。おかげでド貧民のままでは人生3周しても味わえない体験をたくさんさせてもらったし、楽しかったです。ありがとうございました」
「勝手にしめくくろうとしないでくれ……! 」
【予定と違うだろう! もっと 『わたしだって頑張ったんですグスン (涙) 軍隊とか病院とか孤児院とか、毎日毎日毎日、慰問漬けで奔走して。休憩時間だって、聖女の祝福を求める人がきたら、たとえ食事の途中でもグスン (涙) 』 という感じにしてくれ! こんなにニコニコされてはみなに、バカ王子のとんでもない言い掛かり、という印象を与えられないではないか……! 】
王太子の内心の声は高速で悲鳴を上げている。
そう、シェーナが女神の加護によって授かった能力とは、近くの人の心の声が聞こえる力だったのだ。聖女に期待される治癒や浄化の能力ではないため、これまで、親友のメイリーとその母親のルーナ・シー女史をのぞいて、ほかの誰にも言っていない。だから 『能力が未だ覚醒していない役立たず』 と周囲が思うのは仕方ないし、なんというか確かにほんと役に立たない能力でもあった。人の本心なんてものは心の声が聞こえる程度ではわからないこともしばしばあるし、そもそも多くの場合は、心の声なんて聞こえないほうが平和なのだ。
―― 余談ながら、能力的に役立たずな自覚があるからこそ、シェーナは聖女の祝福を求められれば、食事中のみならず、たとえお風呂やトイレの途中であっても中断してすぐにそれを行うようにしていた。力のない聖女なのにワラにもすがる思いで求めにきてる人たちをゆっくり待たせる、なんてことは到底できなくて。
でもだからって、なんだろう。中断できる量の食事があるなんて幸せなことだとしか、シェーナには思えない。風呂やトイレにしたって、自宅にある時点で有難いではないか (なにしろ貧民街には風呂などなく、トイレはアパートの住民共有だったのだから)。 つまりは 『グスン (涙) 』 だなんて無理寄りの無理なのである。
だがもちろん王太子には、その辺の事情は理解できていなかった。
【こんなこと言いたくはないのだぁぁああ!】
王太子の内心の声がついに、血反吐の色を帯びてきた。大絶叫である。あとで 『よく頑張られましたね』 とほめてあげよう、と一瞬思って、シェーナは少し寂しくなった。このイベントが終われば、もうそんな必要はなくなるのだ。
―― ハインツ王太子とは、初恋も知らないうちからの婚約だった。今だって、恋なんかじゃないとは思っているし、だから婚約破棄されても平気ではあるのだけれど。
それでもシェーナは、公平で真面目で、ちょっとずれたところもあるが優しい婚約者が、大好きだったのだ。
「ともかくだな! 神から加護を与えられつつも、くだらぬ力しか得られなかったのは、そなたが聖女として無能だからだ……! わかったな! 」
「いやー王家の方々もようやっと、それに気づかれたようで誠におめでとうございます」
「だから……! 」
「はいはい。聖女解任ですね? きっちり承りました。では私はもう、王太子様と婚約している必要もないわけで、ついでに婚約破棄ですね? 」
「サクサク話を進めないでくれ……! 」
「え? 違いましたっけ?」
「………… 違わない」
「ですね。私は聖女として無能だから解任されたんで、決してアバズレでも裏で汚いことしてたわけでもないです。みなさん、そこのとこよろしくご理解くださいね!」
そのとおりね、とリーゼロッテが大きくうなずいて同意し、メイリーが 「もちろん、わかってまーす! 」 と手を振ってみせた。ちなみにルーナ・シー女史は、ひたすら忙しくメモをとっている。漏れ出ている心の声は 【これいつかネタに使っていい? 】 だ。
ほかの貴族たちの心の声の中にはもちろん、シェーナを疑い、悪しざまにののしったり蔑んだりしているものもある。だが気にしない、とシェーナは自分に言い聞かせた。全ての人が味方じゃなきゃいけないなんて、それこそ頭おかしい発想だ。
「で、王太子殿下」
「なんだ…… 」
この数分でゲッソリやつれたハインツ王太子に、シェーナはことさら、明るくほほえんでみせた。
「それで、王太子殿下の真実の愛のお相手は? ここで紹介してくださるんでしょう? 」
「真実の愛だと……? 」
ハインツ王太子はたじろいだ。
たしかに、シェーナとの婚約破棄を宣言したあとは、新たな婚約者を紹介する予定ではある。実際にもう、王家の席に待機もしてもらってもいる。
―― 聖女シェーナに替わる新たな婚約者は、その名をノエミ・ダニエリ・デ・ラ・マキーナという。約20年前に海をへだてた西隣りのマキナ国より政変を逃れてルーナ王国に亡命してきていたオルサ王女の忘れ形見である。オルサ王女は先日亡くなったため、ルーナ王国はマキナ王家の血をひくノエミ王女を王太子と結婚させることにより管理下に置いて他国が彼女を理由にマキナ (現・共和国) に関与することのないようにするつもりなのである。そして機会さえあれば、ルーナ王国がマキナ共和国に関与できるよう、大義名分を得ておきたい ―― つまりは、あくまで政略なのだ。
だが、ハインツ王太子は優しい男だ。新たな婚約者本人を前にして 『真実の愛ではない』 と否定することはためらわれた。しかし、これまでの婚約者に向かって 『新しいほうが真実の愛だ』 などと言うのもまた、傷口に塩塗り込むようで到底できない。王太子個人の感情としては、新たな婚約者よりシェーナのほうがかなり好きだったし。
そこに、シェーナはがっちりとたたみかける。
「王太子殿下は真実の愛を見つけられたからこそ、わたしから聖女の地位をうばい、婚約破棄を宣言されてまで、彼女と幸せになろうとされているんですよね? まさか、真実の愛でないなんて、そんなヒドいこと…… あるわけないですよね? 」
「………………。ないだろうな」
「なら、わたしのことなどおかまいなく! さあ、サクサクとご紹介くださいませ。王太子殿下の真実の愛 を……! 」
「……………… わかった」
【だから真実の愛とかではないから……! 】 と、内心で思い切り否定しつつもハインツ王太子は覚悟を決め、新たな婚約者の名を呼んだ。
「王女、ノエミ・ダニエリ・デ・ラ・マキーナ! こちらへ! 」
「はぁい」
舌足らずな口調の返事。
しばらくして侍女に手をひかれ、ゆったりとした足取りで皆の前に現れたノエミ王女は、誰もが納得するほど愛らしいひとだった。
なめらかでシミひとつない、ふっくらとやわらかそうな肌。花のような小さな手足。大きな黒い瞳は、まだ世の中の罪をなにひとつ知らないかのように澄んでいる。
「ノエミ、おにいたまのおよめたんになうのね? 」
「そうだよ」
「ノエミ、おにいたまのちゃいあいのひとなの? 」
「……………… そうだよ」
「うれちい、おにいたま。だいちゅき」
きゅっとハインツ王太子の脚に抱きつき、まな板な胸をすり寄せるノエミ王女。
「「「「 ……………………。 」」」」
居ならぶ貴族たちの心に同じ言葉がいっせいによぎったのが、シェーナにははっきりとわかった。
両手で顔をおおい、うつむくシェーナ。どんな悲惨な状況でもできるだけ楽しく、をモットーに生きている彼女だが、さすがにこれは予想以上だった。
小刻みに震えてしまっている肩に、誰かの大きな手が、そっと置かれた感触があった。
「大丈夫かな? お嬢さん」
その人から聞こえてきた心の声は 【やれやれ。これほどに若すぎるお嬢さんと婚約とはね…… 国王も何を考えているんだか】 という、とてつもなく引っ掛かる内容だったが、このとき ―― それがまったく気にならないほどに、シェーナは大爆笑していたのである。