8-2. 恋のはなしはお泊まりの夜に(2)
「覚えてらっしゃる、騎士様がた? ノエミ王女の件の指揮はリーゼロッテ殿下に一任されているのよね? 殿下の許可をとらずに勝手に動くのは、それこそ越権行為なのではなくて? 」
背伸びして騎士たちの鼻先に、リーゼロッテの直筆らしき許可証をつきつける。口調は明るいが、赤みがかった紫色の瞳は、凍るように冷たかった。
ワイズデフリン伯爵夫人は 【なによっ、この女ァァァァァァ! 呼んでないのにどうして来るのよ! 】 と心の中で急な来訪者を罵りまくっているが、そもそも ――
ルーナ・シー女史こと、エリザベート・クローディス (正真正銘の) 伯爵夫人。彼女がなぜ急に現れたのか、その理由を知っている者はこの場では彼女しかいない。
「…… リーゼロッテ殿下に任せては公爵の周辺は洗えないという騎士団長の判断です。なにしろ、殿下は公爵とお立場が近すぎますから」
「そう…… けれど、洗ったすえに無実だったらどうなさるおつもりでしたの? 相手は公爵の婚約者よ? ただで済むと思っておられる? 」
「…………っ 無実なはずが……! 」
騎士たちに再び動揺が走った。騎士たちからすれば、シェーナに同行を求めたのは確かなスジ ―― すなわち複数の貴族紳士からのタレコミがあったからである。そのうえ、 『ノエミ王女の出現により聖女の地位を追われ、かつ王太子の婚約者の座を奪われたシェーナ・ヴォロフ』 は動機的にも真っ黒のように見えた。情報を持ってきた貴族紳士たちがワイズデフリン伯爵夫人の趣味のお友だちであることなど、まったく把握していない騎士団の面々にとってはシェーナが無実のはずがなかったのだ。
だが、ルーナ・シー女史は堂々と騎士たちを (身長的には下からだが) 見くだして言い放った。
「まあ、おきのどくなかたたち…… ディアルガ侯爵は公爵がとってもお嫌いですものね? けれど、騎士様がたに公爵の婚約者をしょっぴかせたことなんて…… この子が無罪とわかったあかつきには、侯爵はきっと、跡形もなくお忘れになるのでしょうね」
騎士たちは、さらに動揺した。ディアルガ侯爵は若き騎士団長というモテそうな立場にありながら、恋人が公爵に勝手に片想いしたためにフラれてしまった経験者のひとりである。また彼には、出世する者にたまにあらわれる病癖があった…… すなわち、都合が悪いことをすべて悪気なく上手に人のせいにするというアレである。
―― 公爵への嫌がらせもかねてシェーナに疑いをかけたものの、もしそれが無罪となったならば、責任はすべて今この場にいる騎士たちになすりつけられるに違いない。
「―― それで、我々にどうしろとおっしゃるのです? 」
「簡単なことよ。男爵令嬢シェーナ・ヴォロフの身柄をわたくしに預けていただけたら、それでけっこう。リーゼロッテ殿下の許可はこのとおり、わたくしがいただいていますからね」
殿下直筆らしき許可証が騎士たちの鼻先で、勝ち誇ったようにヒラヒラと揺れ ―― そしてシェーナの身柄は捜査のためいったんルーナ・シー女史に預ける、という形で合意となった。
騎士たちが責務を果たしたうえでなお、ディアルガ侯爵と公爵、リーゼロッテの3権力者の面子を同時に立たせるには結局それが、もっとも都合良かったのである。
※※※
「シェーナちゃん! 大変だったみたいね。大丈夫だった? 母、ヘンなことしてなかったよね? 」
「うん、大丈夫よ、メイリーちゃん。ありがとう。シー先生はね、ヘンというより、カッコ良かった」
「え? ほんとに? 」
ルーナ・シー女史の ―― すなわち、クローディス伯爵家の邸宅に着いたとたんに駆けるようにしてでてきたのはシェーナの親友、メイリーだった。いつシェーナの危機を知ったのか、ヤキモキしながら待っていたらしいことは、手に握りしめた組み紐の先がボロボロになっていることからもよくわかる。
疑わしげな娘の眼差しに、ルーナ・シー女史は 「わたくしだってやるときはやるのよ? 」 と胸をそらしてみせ ―― そのまま、どさりと崩れ落ちた。
「シー先生!? 」
「心配しないでシェーナちゃん。単なる徹夜明けだから。それよりお泊まり、私の部屋と客室どっちがいい? 」
「メイリーちゃんの部屋」
「よし、決まり。じゃ、行こっか」
ぐいぐいと手をひかれて 「シー先生ほっとくの? 」 と尋ねれば 「ほっとかないと父がガッカリするから」 と返された。噂のノーマル美形な皮をかぶったヤンデレ伯爵にとっては、廊下で爆睡する妻を抱っこして部屋に運びアレコレと上から下まで世話を焼いてベッドに寝かせ腕枕しつつ至近距離から寝顔を観賞するのも御馳走であるらしい。
【変態の両親を持つと苦労するのよもう】 と内心でボヤきつつメイリーが説明してくれたところによると、今回のシェーナの窮地にタイミングよくルーナ・シー女史が現れたのは、もともと公爵から友人のよしみで協力を要請されていたためだそうだ。
「なにかあったときのために、父が使用人の制服で潜ってたのよね。気づいた? 」
「ちょい待って。伯爵が使用人てなにそれ」
「顔はけっこういいけど、モブにもなれる人だから。父はシェーナちゃんにワインを樽ごとかけた、って言ってたわよ? なんかごめんね」
「―― そういえば」
パーティーで、やたらと影の薄い印象の使用人に、心の中で謝られながらもいっさい迷いのない手つきで樽を頭上にひっくり返されたっけ ―― と、シェーナは今さらながらに思い出した。あれがクローディス伯爵だとはまったく気がつかなかった。見事なモブぶりである。
「その前に騎士隊がワイズデフリン邸の裏で待機してるのに気づいて大体の筋書きが読めたんで、ワインかけたあと父が母に知らせて、母が急いで出ばってハッタリ効かせてシェーナちゃんを連れて帰った、ってわけ」
「ハッタリ? …… って、もしかしてあのリーゼロッテ様の許可証って」
「あんなの事後承諾でなんとでもなるもの。リーゼロッテ様だし」
つまりあの許可証は偽物だったのだ。まかりまちがえば2、3個罪状がつきそうな案件であるが、それを王家と親しいのを良いことにサックリやってしまう ―― それがルーナ・シー女史というひとであった。信条は 『使えるものはなんでも使え』 『無理がとおれば道理引っ込む』 。この母親の独特な思考と言動、およびそんな妻をやたらめったら甘やかす父親が、メイリーの苦労のおおもとなのである。
だが気の毒なことに、メイリーはすでに慣れっこになってもいた。今さら嘆いてもしかたない、とばかりに自室のベッドにぼふんと飛び乗り、抱えた枕の上にあごをのせて考え込む。
「まーともかく問題は…… とりあえずシェーナちゃんの監獄行きは免れたけど、真犯人が見つからないうちは公爵家に帰れない、ってことなのよね。一応、形としてはリーゼロッテ様がうちに容疑者の監督を委託してることになるから」 【新婚なのにごめんねぇぇ、おじさまとイチャイチャ過ごすはずのせっかくの時間が…… 】
「いえいえ、そこまでイチャイチャは…… 「あれでしてないって言ったら神罰くだるから」
「はいすみません」
首を縮めて謝ると、シェーナは改めて親友の部屋を見回した。中央はシェーナたちがのっているお姫様っぽい天蓋つきベッドに、流線形が美しいナイトテーブル。隣の書斎だけでなく、寝室の壁面もすべて本棚で埋もれている。
そういえばシェーナがメイリーと最初に知り合ったときには、読書好きだという点で意気投合したのだ。だが今その本棚の大半を占めているのは、難しそうな法律書だった。そして、その次に多いのは……
「ええ!? メイリーちゃん、ユーベル先生なんて読むの? 」
「うちの両親はほら、変態だからそういうところはフリーなの。すっごいエロいけど愛があっていいよね、ユーベル先生」
「そうそう、そうなの! 」
シェーナは両手を握りしめてウンウンとうなずいた。大変な1日だったが、だからこそ友だちと本の話で盛り上がるのは普段の倍以上、楽しい。
「ロティーナちゃんが、もし普通の恋愛小説なら絶対に敵役ポジションのキャラなのに、なんだかやたらと可愛いのよねえ」
「わかるわかる! あとヒーローもイヤらしいんだけど、ロティーナちゃんのこと好きすぎるのがすごく伝わってきて、ほほえましいよね。エロにさえ慣れたらけっこう、きゅんきゅんしちゃう」
「うん、わかる…… あのスカしたおじさまがあれ書いたなんて、ほんと信じられないレベルよ。ね、シェーナちゃん! 」
「……え? おじさま……? って…… つまりは公爵よね? 」
シェーナの握りこぶしがだらんと垂れた。なんだか、突如として気が抜けてしまったのだ ―― そうかもしれない、とこれまでずっとモヤモヤを抱えたまま、それでも公爵本人の口から聞くまでは待とうと決意してきたことが、思いがけなくあっさりわかってしまって。
「ユーベル先生ってやっぱり公爵なんだ…… 」
「シェーナちゃん、どうしたの? 知らなかった? 」
「うーん。知ってたような、知らなかったような……」
先日ルーナ・シー女史が公爵のことを 『ユーベル先生』 と呼んでいたときから疑ってはいたのだ、と説明すると、メイリーの心の声が 【えーなんかごめんね、バラしちゃって! 】 と叫んだ。もちろんメイリーのせいではないし、謝るべきことでもないのだが。
「で、どうシェーナちゃん? やっぱりおじさまが、あんなエロいの書いてたって知ったら、引く? 」
「うーん…… 別に? 公爵に引いた件っていったら 『王国一の女たらし』 の称号がなんだったらいちばん引いてるし」
「ああ…… だよね。おじさまって知ったら色々と引いちゃうポイントが多い人なんだけど…… 悪評が立って結婚できないほどのタラシってのはもう、ほぼ誰でも引くわよね」
ものすごい納得顔のメイリー。だが実は、彼女がいちばん引いたのは別件だという ―― なにかといえば、それは。
「ほら、あの王道悲恋もの。珍しくエロなくて、新聞の書評でもこの前 『ユーベルはエロだけ書いてりゃいい』 的に叩かれてた…… 」
「ああ。『アーヴェ・ガランサス・ニヴァリス』 よね? 」
「そう、それ」
あれのどこが、と問うシェーナに、メイリーはこう答えたのだった。
「だってあれって、おじさまの数十年越しのラブレターじゃない? 」




