8-1. 恋のはなしはお泊まりの夜に(1)
「騎士様。ノエミ王女の体調不良にどうして、わたしが関係あるんですか? 」
「あなたがノエミ王女と親交があったことは確認されていますのでね、シェーナ・ヴォロフ男爵令嬢。詳しくは騎士団本部でご相談させていただきます」 【タレコミを聞いたときはどんな悪女かと思ったが、なんというか…… 普通だな。これがノエミ王女に嫉妬して、親しいふりをして近づきになっておいて毒殺を図った、っていうんだから…… 女はこわいよな。俺の彼女は怒らせないようにしなきゃ…… ガクブル】
「なるほど」
どうやら、リーゼロッテが箝口令を敷いて秘密裏に捜査させていたはずのノエミ王女服毒事件の情報が、外部に漏れてしまっているらしい。ワイズデフリン伯爵夫人はどうやってかその情報を入手、シェーナを陥れるために使ったのだろう。騎士に囲まれているシェーナを離れた場所から眺めている彼女は、先ほど樽ごとワインをぶっかけさせたときをも超える心の高笑いを放っている。
【ほーっほっほっほっほっ! おーっほっほっほっほっほ!!! ざまぁないわね! 小娘! 】
婚活中の令嬢たちを使ってワインをかけさせ、揶揄しようとしたのは序の口。最終的には公爵からシェーナを永久に引き離すことが、ワイズデフリンの目的だったのだ。
【最初は、ひとり別室に引き離して紳士がたのパーティーのメインディッシュにしてあげるつもりだったけれど…… こんなまな板を差し出して彼らをガッカリさせるよりは、こちらのほうが楽しいものね! ほほほほほ、監獄の固いベッドの上で永久に泣きベソかき続けるがいいわ! 】
己がパセリでよかった、とシェーナは初めて心の底から思った。アロマつきのふかふかベッドで紳士がたのいっときのメインディッシュになるよりは当然、カビ臭い監獄のカチカチなベッドを永遠に涙で濡らすほうがいい。
「でも、わたしは…… 」
わたしは違いますよ、と騎士に言おうとして、はたとシェーナは止まった。派遣隊の代表らしき彼は、内心の声はさておき表向きは 『相談』 を願い出ているだけなのだ。
ここで 『違う』 などと答えては、かえって疑われてしまうことは明白である。連行を断るには、なにか別の理由がなければならない。
「わたし、公爵家の朝食が楽しみすぎるので、そちらに行くのは、お断りしたいんですけど」
「なに、お手間はとらせませんよ。明日の朝食には間に合いますとも」 【パサパサの黒パンと水みたいなスープだが、な…… 】
「あっ、その前に、帰宅後のお夜食が楽しみすぎて。たしかアツアツのスープに麺を入れた料理長の出身地の料理だって」 【朝からスープがつくなんて…… 貧民のスタンダード朝食より断然いいじゃない。貧民街で犯罪がなくならないわけよね】
「知ってます? 夜中に小麦を食べると太るそうですよ」 【だがこのお嬢さんの場合はもうちっと胸に肉がついてもいいか? 】
「えと、そだ。それに、糸みたいに引いた飴でアイスクリームを覆った芸術っぽいデザートもつけてくれるんですよ、たしか」 【なんでそんなダイエット情報を…… 聞いちゃったら美味しくいただけないから、気にしないことにしてるのに! あと胸に肉とか、わかってるけど余計なお世話】
「砂糖とミルクでは、ますます太りますよ」 【まあ俺の好みとしては尻にも肉がついてたほうがいいんだが、な…… 】
「あっあのあのあのあの、あとですねえ、その! あの、それがその」 【だからほんと余計なお世話…… はこの際いいとして、ほかの食事が思いつかない…… 最初、朝食じゃなくて昼食にしとけばよかった! 】
「今度はなに食べる気ですか」 【食い意地の張ったお嬢さんだな。ほんと、悪い子には見えないのになぁ…… 】
なぜか食事ネタになってしまった押し問答は、夜会のあとという時間的に夕食を持ち出すことのできないタイミングのために、すぐに尽きた。残されたシェーナの持ちネタは、超絶恥ずかしいこれしかない。
「んんと…… 実は…… 今夜は! このあと公爵のだいじなアレをいただく約束が…… 」 【ほんとはそんな約束ないけど、ごめんなさい公爵! 許して! 】
「それはまた次の機会にしてください」 【まさかの◯◯◯だった……のか? こんな純粋そうな顔してるのに裏では公爵の◯◯◯を食っていたというのか……? やべえギャップやべえ萌え…… てはならん! 仕事だ仕事】
「えっでっでも、今夜こそはってそれはもう楽しみに! 」 【されるとは思ってたけど、なんかとんでもない空想されてるぅ…… 】
「だからそんなこといつでも 「いつでもできるかもしれないが、奥さんが決意してくれたのは初めてだね。感動だよ」
低い穏やかな声とともに、シェーナは背後から抱きしめられた。
(公爵…… きてくれたんだ)
見た目よりも大きく感じる腕。ほどよく込められた力に一瞬、つい安心してしまったシェーナであるが、公爵が嬉々としてぶっこんできたネタ (ちなみに本心) に、ふたたび身を固くした。
「ようやっとその気になってくれたんだね、奥さん? なら、今夜はきみを離すわけにはいかないな」
「あああああの? 公爵、その、これは言葉のアヤといいますか……? 」 【するとは思ってたけど、やっぱり公爵も誤解してるぅ…… 】
「しかも楽しみにしてくれているなんて、嬉しいな。一晩中寝かせないから、覚悟しておいで」
「いえいえ、いきなりそんな濃くて長いのは要りませんて」
「そう? では今日はレベル3くらいではどうだろう」
「1と2はどうしたんですか」
ごほんっ、と騎士が咳払いで延々と続きそうな掛け合いを遮った。(神官長を思い出してシェーナはちょっと懐かしくなった)
「公爵閣下。そこのご婦人は、ノエミ王女の健康不良に関する鍵を握っている可能性が疑われています。一刻も早い真実の解明のために閣下もどうぞ、ご協力をお願いいたします」
「…… それなら、ますます離すわけにはいかないね」
シェーナを抱き寄せる、公爵の腕に力がこもる。
「きみ、知っているかい? ルーナ王国の公爵領はもともと国の協力者という立場から独立性を保っていたが、その伝統は絶対王政が敷かれてもなお、現在まで残っていてね。つまり、公爵家の土地は実は今も治外法権なんだよ」
「ここはワイズデフリン伯爵夫人の邸宅ですが」
「わかってないね。この腕の中は僕の領土だろう? それとも、きみは…… 公爵の腕を無理やりこじ開けるつもりかい? 」
「「「「…………っ! 」」」」
騎士たち、そしてワイズデフリン伯爵夫人に衝撃が走った。
【そこまでしてこの小娘を……!? なんなのよ、それは! 】
シチュエーション的に口に出して答えてはあげられないが、それはまあ言うなれば、ひろった捨て犬をかわいそうがって最後まできちんと保護しようというようなものである。その証拠に公爵の心の声は冷静そのものに 【クサいセリフだったかな】 などと苦笑している。どう転んでも、断じて恋とか愛とかではない。
だが、にもかかわらず、シェーナは感動してしまっていた。これまでに、これほどにも守られた気がしたことがなかったのだ。
―― シェーナが聖女になったときに、父親はこれで家の再興を図れると喜んだ。病気がちな母親に良い暮らしをしてもらうためにシェーナ自身が決めたことだから、聖女になったのに後悔はない。でも、シェーナをほめてくれはしても心配は全然してくれない父親の態度は、寂しかった。父親にそんなつもりはないだろうとわかってはいても、まるで家門のための生け贄にされたようだ、と感じてしまっていた。
そして聖女の地位を追われたときも。ハインツ王太子は事前に泣きながら土下座して詫びてくれて、なるべくシェーナに悪評が立たないようにとバカバカしい婚約破棄劇までやって自ら泥をかぶろうとはしてくれたが、シェーナのために政治に逆らおうとまではしてくれなかった。もちろん仕方ないことではあるし王太子の善意は疑うべくもなかったから、笑ってあっさりと受け入れはしたけれど……。
シェーナだって、本当は少し悲しかったのだ。3年かけて築いてきたはずの絆が政略の前には大したものではない、と言われたような気が、どうしてもしてしまって。
―― だが公爵は、いかにもそれが当然であるかのように、守ってくれる気満々なのである。心の声の温度差だけでいうならば、公爵にはシェーナに対して、父親ほどの思い入れもなければ王太子ほどの好意もないというのに。そして、公爵の身分を利用して犯罪者かもしれない者をかばうことなど、家の評判を落とすだけだというのに……。
(だめだ…… このひとを好きになる)
いやだな、とシェーナは思った。なにしろ相手はライバル多数なうえに、シェーナのことを絶対に好きになってくれそうにないひとなのだから。
それでもいい、と婚約者の席に居座り続けられるほどにはシェーナは達観できていなかった。いや、もともとは達観できていたはずなのだが、いつの間にかグダグダになっていた。
最初、【結婚=パセリ】 の内心発言にイラッとして 『絶対にわたしに夢中にさせて、それから踏んでやる』 と決意したときよりも。公爵がまだ心のあのひとにこだわっていると知って、諦めようとして諦めきれなかったときよりも ―― 今のほうがもっと、彼の気持ちがほしい。
そう考えてしまうのと同時に、もうひとつ芽生える思いがあった。
たとえ本人がそれでよくても、彼の迷惑にはなりたくない ―― 先ほどから騎士たちが内心で舌打ちをし 【色ボケ公爵】 だの 【捜査妨害】 だの 【この件は騎士団長から国王に奏上してもらうからな。いつまでも公爵でいられると思うなよ】 だのと言っているのが、シェーナには気がかりだった。聖女とは違い由緒正しい代々の公爵位がさほど気軽に剥奪されるはずはないものの、このままではきっと一悶着はあるだろう。それが自分のせいで起こるとなっては、とてもじっとしてはいられない。
「公爵、ありがとうございます」
身をよじるようにして腕の中から抜け出すと、シェーナは騎士たちに向かって一歩踏み出した。
「もちろん、ご協力させていただきます、騎士様がた…… 公爵、大丈夫だから離してください」
慌ててシェーナの腕をつかんできた大きな手の形の良い指を強くひきはがす。公爵は、こうされてまで無理に引き止めようとするタイプではない、ということをシェーナはもう知っていた。
「今夜の約束はどうするんだい、奥さん? 」
「もともとしてませんよ? そんな約束」
「ひどいな。楽しみにしていたのに」
「うーん。それはやっぱり…… 心の準備が」
「ではすぐに心の準備をしてくれたまえ。一緒に帰ろう」
「でも、騎士さまがたにご迷惑ですから。ちょっと行ってきます。すぐ帰りますよ。お夜食までには」
「では僕も付き添わせてもらおうかな」
冗談めかす穏やかな声はいつもとちっとも変わらないのに、公爵の心のほうからは、言葉にならない呻きが聞こえてくる。悲痛な叫びを底のほうに押し込めて、でもなお漏れてしまうような声 ――
(あれ…… 迷惑かけたくなかっただけなのにな。なんか、失敗った?)
公爵の心を傷つけてしまったのだ、とシェーナは悟った。どうして傷ついたのか、その理由まではわからないけれど。
「付き添いはけっこうですが、本部の入口までですよ。中は公爵閣下といえども許可が必要です」
「ではすぐに許可したまえ」
「騎士団長でなければ許可できません」
「近衛隊長は? 彼ならすぐに許可してくれるはずだが」
「いや越権ですからね、それは。騎士団と近衛隊は別物ってことも御存知ないんですか? 海軍大佐どの」 【言ってやったぜコラァ! 公爵で大佐だからって偉いと思うなよ!? 】
騎士たちは、公爵にかなり苛立っているようだ。そして、そちらのほうは公爵も気づいていながら、あっさり受け流してしまっているふうである。心の声いわく 【男にイラつかれるのには慣れているんだ】 ―― なるほど。
これだけの鋼メンタルが、なぜパセリが騎士たちに同行すると決めただけで傷つくのか、はなはだ疑問ではあるが……
(とにかく公爵には、大丈夫ってもう1回言ってあげなきゃ)
シェーナが焦りつつもタイミングをはかっていた、そのとき。
「では、リーゼロッテ殿下の許可証はいかがかしら?」
この場にはいるはずのないひとが、踊るように軽やかな足取りで近づいてきた。




