7-3. 誕生日のお祝いは盛大に(3)
「ご存知ですよね? ワイズデフリン伯爵家ゆかりのザントノワール地方では、誕生日や結婚式などでワインをかけあってはしゃぐのが、いちばんのお祝いとされているんですよ。その発起人を任されるなんて、とっても夫人の信頼が厚くていらっしゃるんですね。素晴らしいわ。そうでしょう? 」
「あっ…… あっはい、そう、そうなんです。これは夫人のお誕生日のためのお祝いのイベントでして…… 」 【ああ良かった、これで無作法って笑われなくてすむわ! それにちゃんとワインはかけたんだから、カウニッツ子爵も紹介してもらえるわよね? 】
「うんごめんね、悪いけどそのへんはわかんない。でも応援してる」
シェーナはさらにニッコリとし、ワインの入ったグラスを、今度は両手に持ってかまえた。
ばしゃっ……
ふたたび、思い切りよく中身を浴びせかける ―― ミリアムと、たった今、状況に戸惑いながらもとりあえず近づいてきた 『嘲笑役』 らしき令嬢に。
そしてすかさず新たなグラスを呆然としている令嬢ふたりに手渡してワインを注ぎ、こちらにかけろと身振りで示す。おずおずと遠慮がちに (ここでカッとならないところが、さすが生粋の貴族令嬢だとシェーナは感心した) ワインをかけられると、お返しとばかりに令嬢たちに次のワインをぶっかけた。当然、頭からである。
周囲が気づき騒然としだす直前のタイミングを心の声を聞きつつ計り、ここぞとばかりにシェーナはとびきりの笑顔を作って声をはりあげた。
「さあ、ワイズデフリン伯爵夫人のお誕生日を、ワインをかけあって盛大にお祝いしましょう! 」
―― あとはもう、めちゃくちゃである。
シェーナは次々とワインの入ったグラスを客に渡して己にぶっかけさせてはかけ返し…… を繰り返した。コツはそのたびに 「お誕生日おめでとう!」 と叫ぶことである。腹はくくっているつもりでも全員からシラッと冷たい目で見られてしまえば、かなりツラいところだ ―― しかし幸いなことに、まっさきに公爵が乗ってくれた。
「誕生日おめでとう!」
ほがらかに言いながら、近くの紳士にワインをかけだしたのだ。ちなみにその内心は大爆笑である。
ところで美形であれば他の属性は一切問わない趣味の人をのぞき大抵の男性は、公爵がキライだ ―― したがってその返杯は容赦なく、公爵もすぐにワインまみれとなった。飛び交う 【ざまぁ見ろ】 の心の声。紳士がたの公爵への恨みは相当、深いらしい。それでもとりあえずはお祝いという大義名分に沿うために、ワインをかけるたびに 「おめでとう!」 と叫ぶ。叫んでいるうち、彼らの心の声までが本気で楽しげになってきた。公爵も楽しんで 「おめでとう!」 とワインをかけ返す。
するとやがて、令嬢たちにも乗っかるものがあらわれた。彼女らは我先にと公爵にワインをかけに行き、かけ返してもらって喜んでいるのだ。
―― こうして。おしゃれで上品な伯爵夫人のパーティーホールは一気に、騒然としたワインぶっかけ祭りの会場へとクラスチェンジしたのであった。
さてワイズデフリン伯爵夫人の反応は、とみれば ―― なんと彼女は、高笑いを放ちながら祭りに参加していた。慌てふためいて場の雰囲気を白けさせるなど、パーティーの女主人としてのプライドが許さなかったのだろう。
だが、その心の声は、怒りくるっていた。
【この、小娘ぇぇぇ! 特注のドレスが! ジンナ帝国産の超高級カーペットが! お気に入りのタペストリーまで! ああもうもうもう! ぐちゃぐちゃじゃないのおおおおおお! よくもやってくれたわね! ワインのしみは取れないのよっっ! きいいいいいいいいっ!!! 】
これだけのことを考えていながらも、外面は完璧に優雅な笑顔をキープしているのだからある意味すごい。
【小娘! もう許さないわ! 首洗ってまっておいで! 】
いったいこれ以上、なにをする気なんだろう。
令嬢たちとワインをかけあいつつシェーナが見守っていると、夫人は使用人にワインを樽ごと持ってこさせた。
「さてみなさま、このたびは、わたくしの誕生日のほかに、もうひとつお祝いしたいことがございます ―― こちらのもと聖女、シェーナ・ヴォロフ嬢の婚約でございますわ…… そしてこちらが、わたくしからのお祝いでございます」
みなが注目するなか、ワインの樽を抱えた使用人がシェーナの前に進み出た。
あーなるほどそういうことか、と了解するシェーナ。ここで慌てふためいてみっともない様子をみせれば、伯爵夫人の思うツボ ―― いや、もてなしを受けた時点でそうなのかもしれないが、逃げ場がない以上はもっともマシな道を選ぶのが当然である。
だからシェーナは、姿勢を正して笑顔を強化した。 『これ出来レースなんですよね。オホホホ』 というノリで、その瞬間を待ったのだ ―― やがて。
目の前にやってきた黒髪のいかにも影の薄い使用人が 【申し訳ない】 と心の中でつぶやきながら、樽をかかえた両手をシェーナの頭上に持ち上げた。
どぽどぽどぽどぽどぽっ……
シェーナの頭上にまるまる1樽ぶんのワインが注がれ、夫人の内心の高笑いが最高潮に達する。
「幸運に恵まれたもと聖女さまに、以後もますますの運が訪れますように…… おめでとう! 」 【おーほほほほ! ざまぁないわね、小娘! 】
「ありがとうございます。では、ワイズデフリン伯爵夫人にも改めまして」
シェーナもまた、晴れやかなことこのうえない笑顔で、ワイングラスを持った手を振りかぶった。きれいな放物線を描いて、ワインが夫人の顔にヒットする。
「お誕生日おめでとうございます! 今後ますます長生きなさってくださいね、ワイズデフリン伯爵夫人! 」
「…………! 」 【この小娘! ニコニコしながらこのあたくしにイヤミを言いやがったわね……! 】
長いまつげからもあごからもポタポタと垂れるワインをぬぐいもせず、夫人はかろうじてほほえんだ。
「…………。さあ、みなさま。お名残惜しゅうございますが、そろそろお開きの時間でございますわ。お着替えをご用意してございますので、衣裳が濡れてしまったお嬢様がたはどうぞ、こちらへ ―― もと聖女様もどうぞ」
「ああ、その必要はないよ」
いつの間にかそばに来ていた公爵が、ワインで染まったシェーナの肩をだきよせた。乱れた髪を指先で整えてくれたついでに、ほおにキスを落としてくるという相変わらずの過剰サービスっぷりである。だが、嫉妬まじりのためいきを漏らす周囲の令嬢たちは知らないだろう ―― キスしながら公爵の心の声が 【ロッソ・ノワール。ザントノワールの最高級品…… 25年ものかな】 と、シェーナにぶっかけられたワインの品定めをしていたことなど。
「奥さんは馬車の中で、僕がゆっくりと着替えさせてあげるから…… ね? 」 【なにごともないうちに帰ったほうがいいだろう。それに、ワインまみれのボディーというのもなかなか】
「いりません」 【ちょっと、これ以上想像しちゃダメ、わたし! 】
「そんなこと言わずに…… ね? 」 【吸いとるのと舐めつくすの、どっちが好きかな、奥さん】
「まだまだまだまだ、心の準備が」 【無理無理無理無理! 無理に振り切った無理! 】
いくら執事のクライセンから 『しっかりと! 溺愛っぷりを見せつけてきてくださいませ! 』 と念押しされているとはいえ、これはやりすぎだと思うシェーナ。ここでうなずくとか、恥ずかしすぎてできるわけがない。たとえ周囲の令嬢たちが 【でしたら、わたくしがかわりに……! 】 と考え、ワイズデフリン伯爵夫人が 【あーら。まだだなんてね!? それで奥様面とはイタいこと。おっほほほほ! 】 と嘲笑していようと。
「あの! すぐに着替えてきますので、お待ちくださいね、ら…… らず」 【これまでずっと心配になるほど紳士だったのに、なんで急に…… あっそうか、酔ってるんだ】
「わかったよ、奥さん。またあとでね」 【おかしいな。これだけ誘って断られるはずがないんだが…… 】
「はい。すぐに戻りますから」 【タラシの自信がすごすぎる! 】
ではね、と、もう一度ほおにキスしてきた公爵の心の声は 【少々、やっかいなことになるかもしれないな…… 】 だった。それはそうだ、とシェーナも思う。なにしろ、これから公爵と完全に離れて、嫉妬に燃えた伯爵夫人と令嬢たちに囲まれることになるのだから ―― 少々のことは、覚悟しなければならないだろう。たとえば、着替えをズタズタに引き裂かれて 「ポンコツな聖女さまにはそれがお似合い」 と嘲笑われるとか。
(でも、着替えってあるだけマシだし。『ああら斬新なファッションですこと』 って喜んで着てみせたら、それが流行したり…… は、さすがにないか)
少し前に公爵若き日のプロポーズのことを親友から聞き、モヤモヤしたあまりに立派な貴婦人になろうと決意したことはあったが、冷静なときのシェーナは夢が見られないタイプ ―― 少々磨いた程度で流行の最先端など無理寄りの無理、であることは誰よりもよく知っていた。
だがシェーナの予想に反し、まず連れていかれたところは浴室であった。驚くシェーナに伯爵夫人は 「布で拭くくらいではワインの匂いがとれないでしょう? 」 と一見、普通に親切なことを言ってのけた。しかも 「あたくしもワインまみれよ。一緒に入ってしまうわ」 といきなり裸の付き合いを宣言してくる驚愕のオプションつき。とんでもなくフレンドリーな提案ではあるが、シェーナに聞こえた心の声は 【このまな板娘。格の違いを見せつけてあげるわ! 】 だったから、まあ勘違いしようがない。そして、さらに嫉妬させようというのだろう。伯爵夫人は湯船の中でシェーナに、公爵とのアレコレを詳細に語ってみせたのだった。
いわく、公爵の舌使いはそれはもう絶品で云々。いわく、いつぞやの趣味のお茶会では伯爵夫人自身がデザートになって銀の大皿の上に完璧プロポーションの肢体を惜しげなくさらして乗っかりクリームと果物を盛り付けて現れたら、公爵はそれはもう大喜びで云々。
(恥ずかしがればいいのか笑えばいいのか正直に感想を言えばいいのかわかんないんだけど……? )
シェーナが戸惑ったのは、その話があまりに刺激的だったからではない。読んだことのあるものだったからである。すべて、人気エロ小説家ユーベル先生の著作 『ネーニア・リィラティヌス』 に既出のネタだったのだ。
最初に読んだときには20ページでお腹いっぱいになってしまったシェーナだったが 『もしかしたら公爵が書いたものなのかも』 という興味から、厳しい淑女教育のあいまにちょくちょく目を通した結果 …… けっこう面白くなってきて、最終的にかなりのページを読み進めてしまっていたのだ。エロ満載でも、ちゃんと愛があるのがいいと思う。とても 『結婚/恋愛 = 添え物のパセリ』 が信条の男が書いたとは考えられないほど、あの小説のボンキュッボンで妖艶で奔放なヒロインは心から愛されまくっていたのだ。
(やっぱり、まな板だからパセリにしかならないのかな…… )
まさかシェーナが、小説のヒロインに嫉妬して斜め下方向に落ち込んでいるとは思っていないのだろう。言葉すくなに湯船のフチを眺めるまな板娘を見下ろし、ワイズデフリンは勝ち誇っていた。
【ようやっとわかったようね。この身の程知らずの小娘が! おーっほほほほほ! では、そろそろ仕上げね 】
まだあるのか…… と、正直ウンザリするシェーナ。そもそもこのパーティーに参加した目的は、ワイズデフリンが公爵の心のあのひとなのかどうかを確認するためだった。そして結論はすでに出ている ―― この女では、ない。
ワイズデフリン伯爵夫人を前にしても、公爵の心の声にはとくに変化が見られなかった。なんというか、公爵の意識の表側に心のあのひとが顔を出すときに、いつもシェーナが感じる切なさとか感傷などとは、まったく無縁だった気がするのだ。それはシェーナが彼女にワインをぶっかけたときも同じで、公爵は単純に面白がっていただけ ―― もし心のあのひとなら、シェーナに苛立ってもおかしくはないはずなのに。
強いて言うならば、ワイズデフリンに対する憐れみの情のようなものは感じた。だがそれはおそらく、しばしばシェーナをかわいそうがって親切にしてくれようとするのと同じだろう ―― つまりは、伯爵夫人もまた、公爵にとっては添え物のパセリ並みなのだ。
(パセリがパセリにマウントとろうとして、エロ小説のネタをドヤ顔でまくしたてている…… と思うと、なかなかもの悲しい光景ね )
これで最後なんだろうからガマンしよう、と、シェーナは伯爵夫人のダメ押しを待っていたが、どういうわけか普通にお湯から上がろうと言われただけだった。
ではいよいよ、ズタズタの着替えでも用意されているのだろうか …… と思えば、そうでもない。そこそこのドレスを 「あげるから返さなくてもいいわ」 【ふん、安物のドレスがよく似合うこと! 】 と渡され、着替えと髪を整えるためにメイドをつけてさえもらい、シェーナは混乱した。ダメ押し的な嫌がらせはいつ来るのだろうか ――
(なんか、あとになればなるほど厄介な予感がする…… )
結論をいえば、シェーナの嫌な予感は大当たりだった。
着替えが終わったころ、王国騎士団の制服を着た男たちが部屋に入ってきて、シェーナを取り囲んだのだ。
「シェーナ・ヴォロフ男爵令嬢。マキナ王女にして王太子の婚約者であられるノエミ・ダニエリ様の体調不良について、ご相談したいことがございます。ご同行いただけますね」
迂遠な内容かつ丁寧な口調だが、つまり ――
シェーナに容疑がかけられていることは、明白であった。