7-2. 誕生日のお祝いは盛大に(2)
「ワイズデフリン伯爵夫人は、少々ややこしいひとなんだよ」
公爵が話し出したのは、伯爵夫人の夜会へ向かう馬車の中でのことだった。ノエミ王女の服毒事件から10日ほど経っている。犯人は見つかっていないため外出はまだ自粛状態でシェーナはお見舞いにも行けていないが、ノエミ王女はすっかり回復して、ついでにハインツ王太子とも仲直りしたらしい。めでたいことだ。
それはさておき、このたびの夜会の女主人の話である ―― が、その続きは、公爵にしては珍しく沈黙が続いた。どう説明しようか、迷っているようだ。
「特殊なパーティーがお好きで、そのため同じご趣味の紳士がたとのコネが強いので、身分的には貴族でないけれど怒らせたら怖いひと ―― と、アライダさんからは聞きましたけど」
「…… さすがアライダ。的確だな」
「言いにくいのは、公爵もその趣味にご相伴されてたからですか? 」
シェーナがちょっと意地悪くきいてあげると、公爵はなんともいえないうなり声をあげた。心の声は 【たしかにご相伴はしていたし一部は使ったが、全体的には僕の趣味ではないんだよ。付き合いというか、無視するとかわいそうだからというか…… だがシェーナになんと説明しても、ご相伴していた時点で幻滅されそうで困るな】 である。シェーナからすれば 「どうして 『王国一の女たらし』 の悪名がついてる時点で幻滅とは思わないのかなこの人」 という感じで、今さらなのだけれど。
公爵は結局、そのあたりはぼかすことに決めたらしい。
「では、彼女が貴族でないのになぜ伯爵夫人と呼ばれているか知っているかい? 」
「ワイズデフリンはもとはワインで有名なザントノワール地方の伯爵姓ですが、後継がおらず廃家となっていたところを、戸籍操作で再興して現夫人の母親の嫁ぎ先にしたからです。だから本当のワイズデフリン伯爵夫人は、お母さんのほうですね。お母さんは前国王の愛妾でしたが、代替わりの際に、身籠っていたにも関わらず身分を剥奪されて宮廷を追われました。ですから、その娘さん…… つまり今のワイズデフリン伯爵夫人は、そう名乗ってはいますが平民ですし、夫人ではなく独身です」
「そのとおりだよ、シェーナ。よく知っていたね」
「全部アライダさん情報ですけどね」
「ややこしいのは、彼女が前国王の血を引いているところだ。彼女は自分のことを王女と同等だと信じたがっており、その信念や立場そのものをバカにされた、と感じるとひどく傷つく。そして、怒り狂う」
「あーそれで、わたしがこのパーティー行きますって言ったとき、そんなに強くは反対しなかったんですね、公爵」
趣味のお茶会をドタキャンした際の花束もそのためだろう、とやっと納得いったシェーナ。だからといってワイズデフリン伯爵夫人が公爵の心のあのひとかも、という疑いはまだ晴れないけれども。だって公爵はどうも、口ほどには彼女のことをややこしいとは思っていないようなのだから。
「そう。断ってもまた、もろもろ面倒ごとが起こりそうだったからね。ただ今回は、アライダからも聞いているだろうが、行ってももちろんややこしい」
「はい。ばっちりしっかり、聞いてます」
「唯一の対抗策は…… 」
公爵はシェーナに身を寄せて肩に手を回し、形の良い唇を耳元に寄せてきた。
「僕から絶対に離れないようにね、奥さん」
派手な暮らしをしているとの評判だったが、ワイズデフリン伯爵夫人の館は予想外にすっきりとした佇まいの建物だった。前評判から想像していたゴテゴテの成金趣味ではなく、調度や装飾にいたるまでシンプルで良いものだけでまとめている印象だ。それは、出迎えにきた夫人にもいえることだった。
たっぷりとドレープをとった濃紫の衣装は (とくにさりげなく宝石がちりばめられた腰ベルトが) たしかに高価そうではあるが、物語の悪女にありがちなド派手さはない。そこそこ流行を押さえながら、優雅で上品。夫人の美しさを引き立てている。
「ようこそ、ラズール。それに、もと聖女様。お越しいただけて光栄ですわ」
もし心の声が聞こえなければ、きっとシェーナは夫人を 『素敵な女性』 と信じ込んでいただろう。だがその心の声はシェーナをはっきりと嘲笑していた。 【ふん、ただの小娘ね】 にはじまり 【予想以上に平凡】 【若いだけが取り柄じゃないの】 【こんな板みたいなのがイイなんて、ラズールもトシかしら? 興ざめだわ】 と続く。そしてひとまずのラストは 【ふっ、せいぜい夢みていなさいな。でも、その夢も今日で終わりよ。身の程知らずなお嬢ちゃん? ほーっほっほっほっほっほ (高笑) 】 だったから、彼女が見た目の高貴さに反して腹の中では下品きわまりないことを企んでいるのは、シェーナにとっては明白だ。
生まれて初めて、くらいな勢いで心の声が聞こえることに感謝したシェーナだったが、同時に少なからずイラッとした。
(こんなひとが、もしかしたら公爵の心のあのひとかもしれない、なんて…… たしかに見た目も所作もキレイだけど、冗談じゃないわ)
シェーナは己が公爵の心を左右できる見込みは今のところ0、とすでに身にしみて知っている。冗談じゃない、と思っても、それを公爵に告げられるような立場ではないことも、わかってはいる。
だが同時に、ワイズデフリン伯爵夫人が公爵にとってどのような存在であったとしても遠慮はしない、と決めた。
普段、シェーナは他人から 『いい人』 だの 『優しい子』 だのと言われることが多い。けれども実は、大して良くも優しくもないのだ。むしろ本来は苛立ちやすくケンカっぱやいほうである。だが心の声が聞こえるせいで、やらかす人たちの大部分は思慮や経験が不足しているだけで悪意はないとわかってしまうがために、少々のことは許すよりほかなくなるだけなのだ。
だがワイズデフリン夫人は、シェーナに対して悪意しかない ―― そして、悪意には悪意で返して良いと、シェーナは信じている。
(ケンカ上等。やってあげようじゃないの? )
―― つまりは、貧民街育ちで鍛え上げられた不屈のスピリッツに火がついてしまったのであった。
さて、ガチなケンカにじゃまなもの、といえば …… それは、救済美形の庇護である。なぜならば明らかにそっちのほうが強いからだ。ケンカする前に止められてしまう ―― いや、そもそも彼が近くにいては、ケンカのきっかけを作ることさえできなくなるのは明白である。そこでシェーナはまず、公爵との約束を忘れることにした。飲み物を取りに行くふりをして、さりげなく婚約者から離れたのだ。
幸か不幸か、公爵の周囲には常に令嬢たちが群がっているため、いったん離れると互いになかなか近寄れない。もし公爵がお嬢様がたの垣根をわけてもシェーナを離すまいとするならば別だろうが、それはないだろう、とシェーナは踏んでいた。『女たらし』 の悪評どおり、彼は誰にでも見境なく優しい男であり、特別にシェーナのことが好きなわけではないのだから。
すると間もなく。
あからさまに挙動不審な令嬢がひとり、シェーナに近寄ってきた。緊張のあまり震えていて、片手に持ったワインが今にもこぼれそうである。
ベタだが有効なイジメ…… 『あーらウッカリ。ごめんあそばせ』 と飲み物を引っかけるアレが、これから始まるのだろう ―― シェーナがそれとなく会場を見渡してみたところ、夫人はほかの男性客と談笑中であるが、かわりにそれらしき令嬢が数人、ちらちらとこちらに注目している。見張り役、騒ぎ役、嘲笑役…… といったところか。
(でも、この程度なら大したことないよね。聖女の御披露目パーティーではじめてされかけたときには、本当にやるんだ、って感動したけど…… 物語のヒロインになったみたいで楽しかったな、あのときは)
もっとも、実際に飲み物をひっかけられるのはいくらヒロインぽくてもイヤなので、ちゃんと対抗策はとる。シェーナの作戦は単純だ。
先手必勝 ―― 心の声からタイミングをはかり、やられる直前に相手の手からワイングラスを取り上げてしまうのである。そのうえで 「あら、ご親切にありがとう」 とニッコリしておけば、相手はイジメっ子から気を利かせてワインを運んでくれた優しいお嬢さんにクラスチェンジ、というわけだ ―― ところが。
いざ実行しようと、シェーナが件の令嬢に集中してみたところ。その心の声は、なかなかにして混乱していた。
【こんな、こんな無作法なこと…… 恥ずかしいぃぃっ! お父様お母様お許しください。わたくしどうしても、5人の愛人と同居してる脂ぎった出腹商人の妻になるのは無理ぃぃぃ! これが最後のチャンスなの許して! なんとしても成功して、カウニッツ子爵を紹介してもらうのよ】
カウニッツ子爵は公爵ほどでないにしろ、なかなかの美形であり、劇場の支配人という華やかな仕事についている有名人でもある。なるほどそういうことか、とシェーナは納得した。
おそらく会場の令嬢がたは、シェーナを公爵から引き離して恥をかかせるために、なんらかの役割を夫人から与えられているのだ ―― 男を紹介する、という見返りと引き換えに。
(どうしよう…… なんかすごい納得…… これって、わたしがワイン引っかけられるくらい別にいいんじゃないかな? )
シェーナだって、救済美形を国王命令で無理やりあてがわれたときにはイヤだった。たとえその美形が (少々トシでかつ 『女たらし』 の悪評つきであるにも関わらず) 婚約した時点で全貴婦人を敵に回すほどにスペックの高い公爵であっても、お互いに自分で選んだわけでない時点で冗談じゃないと思っていた。
(それが愛人5人の出腹商人だなんて、ぜったいに無理に振り切った無理よね…… どうしよう。まじに切実な問題じゃない)
もうこうなれば、黙ってワイン引っかけられて泣きべそかいてみせるのもありなんじゃ、とシェーナが悩んでいる間にも、くだんの令嬢はガクガクしながら近寄ってくる。明らかに人選ミスだとしか思えない震えっぷりだ。気の毒ではある。だがしかし、黙ってワインを引っかけられるだけなのはやっぱりイヤ、とシェーナは結論づけた ―― この令嬢はともかくとして、ワイズデフリン伯爵夫人だけにはざまぁ見せてさしあげたい。
(こうなれば作戦は変更。やっぱり、ガチでやることにしよう)
シェーナはさりげなく、ワインの瓶とグラスが並んだテーブルのそばに陣取った。グラスになみなみとワインを注いで手にとり、ガクガク震え続けながらも近寄ってくる彼女を待つ。
「ごっごっごきげんよう、もと聖女様」 【もと聖女様だなんて! 失礼すぎるぅぅっ でもそう呼べって言われているの許して! 】
「ごきげんよう。ええとあなたはたしか…… 」
「ミリアム・レーベカともも、申しますの。ミュンター子爵のむむ、娘でございますわ」 【とくに美人ではないけど優しそう…… こんな子に、わたくしったらこれからなんてヒドいことをっ 】
「そこは偽名使おうよ! あとお父様のお名前出すのもマズいって! 」 【あとたしかに美人じゃないけど優しくもないからね! 】
「え。なんですの」 【ちょっといきなり意味がわかんないんですけど。もうワインかけてもいいのかしら!? 】
「いえ、なんでもないです。ごめんなさい」
相手があまりにも悪事慣れしなさすぎて、大丈夫かと心配になってしまうシェーナの耳に、ミリアムの心の声が届いた。
【もういい? もういいわよね? そろそろね? かける? かけるわよ? 】
こうなればもう、迷っているひまはない。
よしこい、とシェーナもワイングラスをかまえる。相手のグラスを持った手が動いた瞬間 ―― それが勝負だ。
【行くわよ! 】 (いまね……! )
ばしゃっ。
ミリアムとシェーナの手がほぼ同時に動き、シェーナの新しいドレスにワインのシミがついた。
―― そして。
ミリアムは頭からワインをかぶり、顔に肩にと赤紫色のしずくを垂らしている。
「きゃっ…… ななななになに、なんなの!? 」 【どういうことなの、これは……! 成功したの? 失敗したの? カウニッツ子爵は紹介してもらえるのかしら? 】
「うーんごめんね。そのへんはよくわからないかな」
混乱しているミリアムに、シェーナはにっこりと微笑みかけた。胸を張り、なるべく美しく、なるべく優雅に ―― その脳裏によみがえっているのは、アライダの自信満々な教え…… すなわち。
『わたくしこそがマナーよ、というノリでございます! 』