6-4. 婚約者の身バレは偶然に(4)
公爵がまだ15歳の少年だったころ ―― マキナ政変前のルーナ王国の状況は、現在よりかなり厳しいものだったという。東隣の異教の国フェニカの王が (おそらくは認知症の初期症状で) 身勝手な理想に燃えて 『聖戦』 なるものをルーナにしかけてきていたからだ。そこで西隣のマキナ (及び南のジンナ帝国) との同盟を強化する必要性がある、との判断から急きょ見直されたのが、当時少年だった公爵と同年齢のルーナ王女との婚約だった。
ふたりの婚約は当然のごとくになかったことにされ、王女はマキナ王国の王太子と婚約した。アライダによれば、 『アーヴェ・ガランサス・ニヴァリス』 はその件に取材したものであるらしい。
「じゃあ、もしかして、公爵もその婚約者の王女と駆け落ちとか……? 」
「いえいえ。さすがにそれは物語です。良識ある王族なら絶対になさいませんよ」
「たしかに」
公爵は女たらしだがその他の面では意外とまともだ。それに、常にそのへんにいる護衛たちを説得しなければならないことを考えると、駆け落ちすること自体がファンタジー、ともいえる。
そこでアライダは、この話が公爵家の名誉を貶めるものではない、と判断し、あとは普通にストーリーを楽しんでしまっていたそうである。
「アレクトがなんと申しましょうか、年齢的には範疇外なのでございますが、こう、女性にとって本当に言ってほしいことを言ってくれる…… 「わかります! 」
つい、思いっきりうなずいてしまうシェーナ。
「わたしも、これで15歳だなんて末恐ろしいとしか思えませんでした。実際にいないですよ、こんな15歳」
「強いて申し上げるなら当時の坊っちゃまが、すでに片鱗を見せておられましたが」
「………… あはははは」
ここにきて 『公爵 = 小説家ユーベル・フォイトマン』 説が、ほぼ確定になった感があるシェーナ。15歳ですでにタラシの片鱗を見せる男が書けるのは、本物のタラシのほかいないのではなかろうか。
(だからって、しっぽをつかむのは難しいわね。アライダさんが全然知らないくらいだもの。直接聞いたって、公爵が教えてくれるとは限らない)
それらしいことを聞けば、さりげなく心にフタをされて、とっても優しくされてそのまま流されてしまうのが、悲しいほど簡単に予想できてしまう。
教えてくれるまで待とう、とシェーナは考えた。隠しごとは好きじゃないけれど、それはシェーナが心の声が聞こえるがために、隠しごとをされるとつい 『嘘をつかれてる』 と思ってしまうからだ。己は信用されてないのか、と寂しくなるからだ。でも、最近は少し違う。
ハインツ王太子も、リーゼロッテ王女も、公爵も、みんな、誰かを守ろうとするときに、あるいは誰かを傷つけたくないと願うときに、隠しごとをしていた。それは正しくなくて、ときにはかえって残酷なことかもしれないけれど…… 常に正解を選べたならばそっちのほうが奇跡なのだと、シェーナは思うようになっていた。それに、ある人にとっての正解は、どうやらしばしば、別の人にとっては不正解なこともあるようだし。
シェーナ自身だって、そうだ。聖女としてなるべく正しくあろうと頑張ったはずなのに、結果としてはポンコツだった。婚約破棄されたことなんて気にせずに笑い飛ばして前向きに歩むのが正しいと信じてその場ではそうしたはずなのに、ひと月ほど経った今でもふとした瞬間につい、メソメソしてしまっている。我ながらうっとうしいな、とは思うのだが。
それでも公爵は、1回も怒らなかったし、元気を出せとも泣き止めとも言わなかった。ただ待ってくれている、それでシェーナがどれほど救われているだろうか。
(だから、わたしも待とう)
もしかしたら公爵 (=ユーベル先生? ) の理想かもしれないボンキュッボンなワガママボディを所有した妖艶な美女にはなかなかなれなくても、待つくらいなら、できるのだから。
※※※
「今日はすまなかったね、シェーナ」
「えーと、そんなこと、公爵…… あ、らららら」
「らららら? 」
「うー。あー。…… ラズベリー」
公爵は、アライダからかなりしぼられたらしい。
その日の晩餐で顔を合わせるなり謝られたシェーナは瞬間、自身の対応を 『とりあえず拗ねてみせる/寛大さを見せる』 の2択のうちどちらにしようか迷った。シェーナが聖女としてつけ慣れているのは寛大なイイ子ちゃん仮面のほうなのだが、恋愛小説的にはなぜか拗ねてみせるほうが彼ウケが良い場合が多々あるのだ。
(うん。ここは、がんばって拗ねてみせるべき)
お飾りの妻になり地位とお金と権力に生きるのはしばらく保留して公爵を心からおとす、と誓いなおしたばかりである。
たとえ難しくても 『己が拗ねれば世界が動く』 と実は信じ込んでそうなヒロインを演らねばならぬ、とシェーナは決意した。
―― が、その前に、さらなる難関が立ちはだかっていた。『名前呼び』 である。
昼間、公爵が過去にしたというプロポーズの噂を聞いて勝手に嫉妬し、ついでにそこから一周まわって 『立派な公爵夫人になろう』 と決心した勢いでなんでもできる気になって 「ラズール」 などと何度も名前で呼んでしまったのだが……
ひとしきりモヤモヤがおさまって落ち着くと 『どうして名前呼びしていいかなんて聞いちゃったのわたし』 としか思えない案件であった。ひたすら恥ずかしい。
「ラズベリー? 食べたいのなら、氷室にシャーベットがあるのではないかな。マイヤー 「はい、料理長にきいて参ります」
「あっあの、そういうことじゃなくて! 」
シェーナがあわてて止めたが、マイヤーは行ってしまった。
「どういうことだい、シェーナ? 」
「あの…… お昼には、なんか調子にのっちゃってお名前で呼んだりしてたんですけど…… 公爵、に戻してもいいですか? 」
「きみが呼んでくれるなら、なんでもいいよ、シェーナ。なんなら、ほかの者が 『公爵』 と呼ぶのを禁止しようか? 」
「いえいえいえ、それではあまりにもみなさんに申し訳ないですって…… ら、ら、らず」
「じゃあ、ラズと呼んでもらおうかな。それなら呼びやすい? 」 【別に公爵、でもかまわないんだが…… 女の子は名前呼びを特別と思いがちだからね】
「う、あ…… らず」 【なんか腹立つんですけどそれ】
「なんだい? …… きみだけの呼び方だね。嬉しいよ、シェーナ」 【…… まあ、ラズール、よりはかなりマシか】
「あふうっ…… 」 【なにそれってデレツンデレとでも呼ぶべき? 外面デレデレ、内面ツンデレ……! 】
パセリ特有の呼び方なんて別に嬉しくもなんともないでしょう、などと諸々のツッコミを入れたかったシェーナだが、名前呼びの緊張と、予想外に公爵が嬉しそうなことから、なにもいえない。
「らず」
「なんだい、奥さん」
「らず」 【っていうだけで精一杯で、言わなきゃなんないことを忘れてしまうんですけど……? 】
「食事が進んでないね。…… はい、どうぞ奥さん? 」
「すみません、いただきます」
公爵が当然のように差し出してくれる肉は、良い熟成肉が手に入ったとかで料理長が張り切って焼いた、とろけるように柔らかい仔牛のステーキ。だが、なしくずしに食べさせてもらいながらもシェーナの脳裏には昼間きいた親友の 『バカップル』 という呆れ返った声が蘇っており、せっかくの肉なのに味がよくわからない。
「あの、らず」
「なんだい、かわいい小鳥さん」
「あふぅっ…… なんでもありません…… じゃなくて。さっき、図書館で本を借りてきたんですけど、それが公爵の若いころの話に取材したものだって、アライダさんが言うんですよ」
「ああ、 『アーヴェ・ガランサス・ニヴァリス』 ? あれはかなり変えてあるが、そうだね。ヒント程度には利用しているかな。面白い? 」
拗ねてみせる予定だったのに、つい話を流してしまった…… と、今さら後悔してももう遅い。シェーナは素直にうなずいた。
「はい。1度ざっと読んだんですけど、もう一度ちゃんと読みたくなって」
「そう…… 言っておくけれど、僕たちは駆け落ちなんてしていないよ。非常に円満に別れたんだ」
「それもアライダさんから聞きました」
公爵の心の声にシェーナは集中してみたが 【すべてはもう終わったことだよ 】 というコメントが拾えただけだった。そしてやっぱり、心の奥底に住んでる誰かにも、そのことばを向けている気配がした。これが誰なのか、という疑問は、ルーナ・シー女史と公爵の会話を聞いて以降、振り出しに戻ってしまっているけれど。
(結局、公爵のあのひとは、シー先生ではないんだわ)
たしかにふたりは親しいし、プロポーズも本当にしていたようだが、その間にいつまでも引きずっているような想いがあるとは考えにくい。あの温室でも、距離はシェーナがイラつく程度には近かったが、お互いにただの友人としか考えていないことがまるわかりだったからだ。
ならば公爵が少年のころ婚約していた王女では―― との疑いは、たったいま公爵自身に否定されたような形である。
(まだ、ほかに誰か、いるのかな…… )
詮索めいたことを考える己が非常にイヤだと感じつつも、つい考えずにはいられず、シェーナは知っている貴婦人たちの顔を次々思い浮かべてしまっていた。よぶんにモヤモヤを溜め込みすぎて、マイヤーがシャーベットを持ってきたついでに 『料理長がジャムを多めに作ったのでもしお知り合いに贈るのであれば…… 』 などと問い合わせてくれたのにもつい、いい加減な返事をしてしまったほどである。
食事が終わり、執事のクライセンがお茶とともに封書のつまれた盆を運んできた。公爵には食後にお茶を飲みつつ、手紙と招待状をチェックする習慣があるのだ。
「クライセン。どうしてワイズデフリン伯爵夫人の招待状が、重要物のほうにあるのかな? 」 【今後、こうした招待はすべて断るように言ったはずだが…… 】
「旦那様。そちらは普段の同伴者不可のお茶会ではなく、夫人のお誕生日のお祝いを兼ねた、夜会でございます。奥様もぜひ御一緒にと」 【ここはハタ目に恥ずかしくなるほどの溺愛っぷりをバシッと見せつけて、あのおかたの口をつぐませてやっていただきたいものですな。お茶会を断るたびにうるさいのでね、あの色ボケ夫人は】
「夜会でも、もう少し常識的なひとのものはないのかい? 」 【ワイズデフリンは…… うん、あれはあれで悪くはないが、シェーナ向きではないだろうに】
「ごく内輪の集まりのためおひとりで、とただし書きのあるものでしたら5、6通ございます。そちらはすべて、断らせていただく予定でございますが」 【まったく皆さまそろって、往生際の悪い…… 狙いが透けすぎていて失笑する気にもなれませんな】
「クライセン。僕が婚約したことは、国家の機密事項なのかな? 」 【婚約したとわかれば、もうアナタなんか用無しよバーカ、と離れていくタイプばかりだったはずなんだが…… 】
「いいえ。まったくもってオープンな祝事でございます」 【このうちの何人に実際に手を出していらっしゃるのか…… いや、なにごとにも鷹揚な旦那様をフォローするのも仕事のうち…… 】
「…… なるほど。だいたいわかった」 【おかしい。みんな、意外と熱心だな。遊びで割りきれる子ばかりと思っていたが…… 見誤ったのか? 】
(いえ、それは公爵。【この程度で喜ぶはず】 とかであれだけ優しくしたら、心の声でも聞こえないかぎり、自分のこと大好きなんじゃないかと勘違いして本気にしちゃいますって!)
公爵の心の声にシェーナが内心でだけツッコミを入れていると、瑠璃と琥珀のきれいな瞳がのぞきこんできた。
「シェーナ。断っていいかい? 」
「いいえ。行きます 「…… え 「では、早速お返事を届けさせましょう。マイヤー、頼みますよ」
「…… かしこまりました」
公爵がなにかいいかける前にクライセンは素早くワイズデフリン伯爵夫人からの招待状をマイヤーに託した。彼女からの招待を断りに行くのには、よほど懲り懲りしているらしい。
シェーナはといえば、別にクライセンの心の声に乗っかって招待を受けることにしたわけではなかった。
もしかしたら公爵の心のあのひとがワイズデフリン伯爵夫人ではないのか、と思い当たったからだ。クライセンからの評判は最悪な彼女だが、そもそも、なんでもない相手ならば招待を断るのにわざわざ執事にプレゼントを持っていかせないのではないか ―― たしか親友のメイリーは、夫人が花束ひとつで招待をドタキャンされたことで怒り狂っている、と言っていた。それも 『本当に公爵から愛されているのは私よ! 』 という自信があってこそ、ではないだろうか ―― シェーナはそう、考えたのだった。
公爵の心のあのひとが誰なのか知って、特にどうこうしようという気は全然ない。シェーナはただ、それがどんな人なのか知りたかったのだ。
就寝前の入浴後、アライダに髪を整えてもらいながらワイズデフリン伯爵夫人の招待を受けたことを告げると、この侍女長は鋭い眼差しになりビシリと言い放った。
「挑戦状でございますね。受けて立たれるとは奥様、ご立派でいらっしゃいます」
「……挑戦状? 」
「坊っちゃまに未練たらしくご執心の色ボケ女が、坊っちゃまの前で奥様に恥をかかせて嘲笑おうと手ぐすね引いて待っているのでございましょう」
「えええ…… だって自分の誕生日パーティーでそんな」
「奥様が恥をかいてお泣きにでもなれば、あの女にとっては最高の誕生日プレゼント、というわけでございます」
「ひええ…… でもわたし、恥かいたくらいでは泣かないから大丈夫ですね」
「よろしゅうございます。かくなる上は奥様…… ご覚悟を」
「ひえええ……」
まだ見ぬ色ボケ夫人より 『1ヶ月で奥様を付け入る隙のまったく無い公爵夫人にしてさしあげます! 』 と宣言してくる侍女長のほうが、シェーナにはよほどこわい。
―― ともかくも、かくして。
レッスン漬けの日々が、はじまった。




