1-1. 婚約破棄は誕生日に(1)
「ごめんなさいね」
聖女になって3回目、やっと慣れてきた18歳の誕生日パーティー。室内なのに澄んだ小川が耳に心地よいせせらぎを立てている豪華な王宮ホールでシェーナが最初に聞いたのは、王族一の華と呼ばれるアテルスシルヴァ侯爵夫人リーゼロッテからの謝罪だった。
この誕生日パーティーでシェーナはリーゼロッテの弟のハインツ王太子から聖女の地位を剥奪、かつ婚約破棄を宣言されることになっており、それを知っているリーゼロッテは非常に心を痛めているのだ。
「ハインツったら。婚約破棄だなんて、なにも誕生日にすること、ないでしょうに」
「いいえ、リーゼロッテ様。わたしが、早いほうがいいと申し上げたんです」
弟の王太子に向かい 【あのバカ! 】 と叫んでいたリーゼロッテの心の声が、 【なんですって? 割りきりすぎよ、シェーナちゃん!? 】 に変わった。
しかしシェーナからすれば当然の選択である。引き延ばしてもどうせいずれは婚約破棄されるのなら、さっさと済ませて、早く自由の身になりたいのだ。
―― 今、ルーナ王国では、異世界から転生してきたという作家ルーナ・シー女史による 『婚約破棄もの』 と呼ばれる小説が大人気だ。良家の令嬢が公のパーティーでクズな婚約者から突然に婚約破棄され (理由は 『別の女と真実の愛を見つけたから』 というもの)、そこから逆転して幸せになるサクセスストーリーである。その小説さながらにパーティーで婚約破棄される予定のシェーナであるが、物語と違う点は当然、いくつかあった。
まず、シェーナは良家の令嬢などではなくド貧民あがりの聖女。聖女になったためにおまけで父親が男爵になったという、かなりいいかげんな立場の男爵令嬢なのだ。一方で、ハインツ王太子は顔だけがとりえのクズ王子ではない。もちろんその顔は、さすがは美形揃いの王族の一員、と誰もが納得する程度には良いのだがその上に、非常に真面目で誠実な人でもある。
その誠実さでもって、ハインツ王太子は新たな婚約が決まったとき、すぐにシェーナのもとに自ら連絡におもむき、かわいそうになるほど土下座謝罪をしてくれた。その新たな婚約というのはもちろん、町娘との真実の愛の結果などではない。貧しい平民あがりの聖女との婚約よりも重要な政治案件なのに、である。
(ちなみに土下座謝罪がルーナ王国に流行ったきっかけもまた、ルーナ・シー女史の大衆小説だった。どーでもいーけど。)
そしてこのパーティーで、わざわざ公に聖女の地位剥奪と婚約破棄を宣言しようとしているのは、王太子がクズだからではない。ひとえに、シェーナが悪い噂の的にならないようにするためなのである。
―― 平民の中でも底辺のほうから聖女になり王太子と婚約までした女を、ルーナ王国の貴族たちは決して良くは思っていない。たとえ聖女解任と婚約解消が政略のためだったとしても、口さがない者たちはシェーナのことをこう噂するはずだ。あれはとんでもないアバズレ女だった、聖女の名の陰で汚い遊びにふけっていたからクビになったに違いない、と。
ならば噂をする余地もないほどに大っぴらにやってしまうほうが良い、と王太子自身が提案。シェーナの潔白を公に示し、王太子にヘイトを集めてシェーナが噂の種にならないようにする、というのである。
提案されたとき 「なにもそこまでしなくても」 といったんは彼を止めたシェーナだったが 「このようなことになってはしまったが、できる限りあなたを守りたい。悪評が立ってしまっては、今後のあなたの就職や結婚にも影響してしまうだろう」 と涙目で訴えられ、ついほだされて承諾してしまったのだった。
その後、誕生日パーティーまでの間、シェーナはとても忙しかった。通常の聖女としての仕事のかたわらで、友だちにリストアップしてもらった評判の良い修道院に片っ端から手紙を送り、余生を送る先を探したのである。
その甲斐あって、理想的な引き受け先が見つかった。王都からは馬車で半日ほど、緑豊かな田舎でかつ、一生かかっても読みきれないほどの蔵書つき。人と関係を作るのが得意でなく本を心の友としてきたシェーナには、願ったりな環境である。ここでの晴耕雨読のんびりスローライフ (結婚なし) こそ、シェーナが求めている第2の人生だった。
その予定を聞かされたシェーナの父親は、『そんな、おまえ! 孫の顔を見せない気か!? 』 などと、青ざめていたが、孫など知ったこっちゃない。赤ん坊が見たければ、乳児院でボランティアでもすればいいのだ。
―― ともかくもそんなわけで、誕生日パーティーでの婚約破棄はシェーナにとっては無問題。
シェーナが気になるのはむしろ、ハインツ王太子のほうだった。
「ハインツ様がヘイトを集めすぎなければいいのですけれど…… 」
「シェーナちゃん、もう少しあなた自身のことを心配してもいいのよ? ハインツなら 「大丈夫よ、人気のあるかたですもの」
「お母様、会話の横入りはリーゼロッテ様に失礼よ? それからハインツ殿下はむしろ、少しはヘイトされて懲りるべきじゃなくて?」
リーゼロッテが全て答えるよりも早く、よく似たふたりの女性の声がほとんど重なるように聞こえてきた。シェーナの顔が、ぱっと明るくなる。
「メイリーちゃん! シー先生! いらしてくださったのですね」
「もちろんよ、親友の誕生日ですもの」
「だって、わたくしの小説ばりに婚約破棄するんでしょう? 見逃すわけがないじゃない」
「お母様ったら! そんな不純な動機で!」
「メイリーちゃん、いいのよ。シー先生がいらしてくださるなんて、嬉しいわ」
「そうね。リジーちゃんだもの」
金色がかった黒髪が透けるような金髪にくってかかるのを、シェーナは笑って止めた。隣ではリーゼロッテが、やはり笑っている。リーゼロッテと 『シー先生』 こと人気小説家のルーナ・シー女史は、20年来の親友。リーゼロッテは女史を本名から 『リジーちゃん』 と呼んでいる。
その娘であるメイリーのほうは、シェーナの唯一の貴族の友人である。シェーナが婚約破棄されることが決まったあと、めぼしい修道院のリストアップをわずか半日程度でしてくれた、有能な15歳。今年デビュタントを迎えたばかりだが、誰を相手にしてもハキハキと物怖じしない態度がすでに大物の予感である。
「もう! みなさんお母様を甘やかして」
ぷうっとふくれるメイリーだが、すぐに賢そうな明るい茶色の瞳を輝かせてシェーナをはげました。
「がんばってね、シェーナちゃん。みなさんの前で婚約破棄されるだなんて恥ずかしいでしょうけど、終われば待望の修道院スローライフ読書付き! なんだから」
「そうね、メイリーちゃん。その節は、めぼしい修道院のリストアップありがと」
「どういたしまして。いい受け入れ先が見つかって良かったわ。落ち着いたら、遊びに行くわね」
「きてきて! 大きな葡萄畑に薔薇園もあるのよ」
少女たちがきゃっきゃと盛り上がるそばで、ルーナ・シー女史が不思議そうに首をかしげる。小声でリーゼロッテにたずねた。
「たしか、シェーナさんの新たな受け入れ先は公爵…… 「しっ、リジーちゃん。それは今まだ、国王様が説得中のはずなのよ。パーティーまでにはなんとかする、とおっしゃっていたけれど」
「シェーナ・ヴォロフ男爵令嬢! 」
ヒソヒソと交わされたことばをシェーナが気にする間もなく、王太子の芝居がかった声がホールに響いた。
いよいよ、婚約破棄を宣言されるのだ。
(ぜんぜん、平気)
シェーナはそっとこぶしをにぎりしめ、あごを上げて、胸をはった。