5-2. 過去のプロポーズはティータイムに(2)
メイリーの母、ルーナ・シー女史が公爵にプロポーズされたのは、今から16、7年ほども前のこと。当時は公爵の両親がともに健在でかつ跡取りがいないことを非常に気にしており、 『もう貴族の令嬢であれば相手は誰でもいいから結婚しろ』 と息子をせっついていたそうだ。そこで公爵が目をつけたのが、伯爵令嬢だが破天荒である意味図太いところのあるルーナ・シー女史だったのである。公爵家の圧にも負けず毎日楽しく暮らしてくれそう、がその理由だとか。
「生活の不自由は絶対にさせないし、やりたいことはなんでもさせてあげるし浮気もオールOK、ってプロポーズされたそうよ。結局はそれで焦った父が、ちょっと無理をとおして母との結婚を急いだわけだけれど…… どっちかというと、おじさまと結婚しとけばよかったのに」 【ちなみにお母様がその話をすると、お父様は工場の仕入れリストに猛毒のヒ素染料を加えようとするのよね。公爵家からの発注には次からこれ使う、って。冗談でもやめて、って思うのに目がマジなのよ! 】
「メイリーちゃんも大変なのね…… 」
「そう、そうなのよ! いくら愛があっても、うちの父みたいなのは大変なのよ! だからねシェーナちゃん、籍さえ入れれば優雅な奥様生活が保証されて、とにかく甘やかしてくれて、その上あとは一切フリー、っていうおじさまは、とっても素敵な物件なの! 年齢がふたまわりほど上で愛情もイマイチで浮気の心配がつきものかもだけど、あの顔を毎日拝めるだけでも癒されるでしょう? 」
「うーん…… あ、これ好き…… じゃなくて、うーん…… 」
ぷるんぷるんのパンナコッタをとぅるんと喉の奥に送り込みつつ、シェーナはうなった。
親友が言うことは間違いではない、と思う。これでイヤだとか言ったら、政略結婚が当然 (というか、むしろ上流の証) と思い込まされて育ってきたすべての貴族令嬢から多大なヘイトをくらうことだろう。それはわかっている。
わかっているけれど実際に、シェーナのことがそれほど好きなわけじゃない公爵の心の発言を聞くと腹が立つし、聞き続けると心が折れてくる。いくら美麗なご尊顔を毎日拝めても、無理。
そういえば図書館で適当に拾い読みしたなにかの本には 『女は結婚を仕事と割りきるべし』 と書いてあった…… そうすべきなのかもしれない。でも、それならばシェーナは結婚以外の仕事がしたい。
そしてもうひとつ。
公爵がほかの女性にプロポーズしていたという事実は、思いのほかシェーナに打撃を与えていた。
―― ルーナ・シー女史は貴族女性には似合わず大衆小説とか書いているし、異世界から転生してきたなどと公言してはばからないし、リーゼロッテ王女や公爵と仲が良いから貴族界でも一目は置かれているがその実、社交には疎くて夫のクローディス伯爵とデビュタントを終えたばかりの娘、メイリーに丸投げ状態。たまにパーティーに出れば新聞記者よろしくメモ帳とペンを手放さない変わり者だ。ではあるが、容姿だけは非常に良かった。
美形揃いの王族と並んでもほぼ遜色ないレベルであり、銀の髪と紫の瞳というルーナ王国でも珍しい色合いが一役も二役も買って、ガチで 『妖精』 と呼ばれている。とび色の髪に緑がかった茶色の瞳、どこをとっても平凡なシェーナとは、天地の差があるのだ。
つまり相手は、面白い女でかつ容姿端麗 ―― かないっこない、とシェーナは思った。
―― 一緒に暮らしていると、公爵の心の片隅にいつも誰かがいるのを、どうしても感じてしまう。シェーナをとにかくほめまくるときも、食事を口に運んでくれるときも、シェーナに腕枕をしてくれるときも ―― 心の中ですら名前を呼ばない彼女を、公爵はそっと慈しむ。もしかしたら彼自身気づいていないくらい、ひそやかに、そっと。
そんなときの公爵の心の声は少し悲しげだから、きっとお母様が亡くなったことがいつまでも尾をひいているのだ、とシェーナは考えてきた。
(でも実はそれが、ルーナ・シー女史へのプロポーズがフラれちゃった件だとしたら……! 本当はきっとすごい大恋愛で、プロポーズまでしたのに横からかっさらわれたんだ。モテ男なだけに、ショックはより大きかったに違いないわ。そしておそらくは、悲しみのあまり、ほかの令嬢などみんな同じに見えるようになってしまって、今に至るんだね…… わたしなんか当然、その他グループの端っこのほうで…… だからテキトーに溺愛してくれるだけなんだよね)
勝手に妄想を進行させて、非常にモヤモヤするシェーナ。食べているパンナコッタの味が、どんどんわからなくなってくる気がする。
しかし一方で、シェーナは納得さえしたら割りきれるタイプでもあった。せっかくの高級カフェのケーキがただの甘い何かになってしまってはいるが、心はすでに決まった。
かないっこないのに、ジタバタしてもしかたない。
「わかった、メイリーちゃん。公爵をひざまずかせて踏んで 『あーら、あたくしに夢中なの? でも結婚なんて添え物のパセリじゃなくて? ねえ、公爵閣下! 』 って見下すのは、諦めることにするわ」
「そうそう、それより、ルーナ王国の全貴族令嬢憧れの奥様生活を楽しんだほうがいいわよ…… って、シェーナちゃんの野望がヒドすぎる! 」
「だってバカにされてると思ってたんだもん。リベンジしたくなるでしょ? 」
「ううん。そんな暇はないわよ。おじさまレベルならとりあえずつかまえて離さず、徐々に手なずけて、私なしではいられないカラダにするのが先だと思う」
「メイリーちゃん…… 」
「ん? なあに、シェーナちゃん? 」
「いえ、なんでも。それよりケーキ、美味しいね」
「うんうん! お店もオシャレだし、またシェーナちゃんと来たいな」
「わたしもよ、メイリーちゃん」
ふたりの女の子は、顔を見合わせて笑った。親友のくったくない笑顔はまさに、10代半ばの女の子のそれであり…… 先ほどの 『手なずけて云々』 発言がなんとなく怖かったのは気のせいだな、とほっとするシェーナである。
3段のケーキスタンドをからにしてお茶のおかわりをもらい、しばらくおしゃべりを楽しんでいると、急に店内が一瞬ざわめいて、それからさっと静かになった。どこにいても皆が注目する存在…… 公爵の登場である。わざわざ、迎えにきてくれたのだ。
「お嬢さま。そろそろお時間ですが、延長なさいますか? 」
「なにいってるの、おじさま。延長なんてしませんよ。結婚式の準備とかいろいろあるんでしょう?」 【やっぱりバカっぷるだわ、完全に】
執事ふうに身をかがめて尋ねた公爵に、シェーナよりも先にメイリーが答えた。呆れ顔である。
「それはそうだが、僕の奥さんはいまいち結婚式に乗り気でないようでね。なにか良い案はないかな、メイ」
「そんなの自分たちで考えてくださいな。奥さんが乗り気じゃなければその気にさせるのも、旦那さまのつとめじゃなくて? 人に聞いてどうするの? 」
「なるほど。メイの塩加減はよく効くよ」
「ほめても何もでませんよーだ。じゃ、新婚カップルはさっさと退場してくださいね。目の毒なんで。あと、ここでお姫様だっこはやめてあげてね、おじさま」
「…… 了解。メイもはやく帰るんだよ。お父様が迎えにくるのかな? 」
「ぶっぶーはずれ。私が、父を工場まで迎えに行くのよ! 今日は母がお友達の家にお泊まりするっていってるから、私と父はふたりで、このあと一緒にお買い物して 『ランクス・アウラトゥス』 でお夕食」
「お父様がでれる顔が、目に浮かぶようだよ…… ではシェーナ、僕たちもそろそろいこうか? 」
「はい、公爵」
差し出された腕につかまって歩くのも、いつの間にか慣れてしまっている。だけど彼の心には気ままな美しい妖精が棲みついていて、離れてはくれない。この人と夫婦になるのは、黄金の鳥籠にとらわれるのと、同じことかもしれない。豪奢で美しく、完璧ではあるけれど、檻のなかで死ぬまでひとり ―― でもこんなことでは泣かない、とシェーナは口の中を強く噛んだ。
「どうしたんだい、奥さん? 」
「あの…… ラズールって呼んでも、いいですか? 」
瑠璃と琥珀のオッド・アイが一瞬見開かれ、それから、額にやわらかく温かい感触があった。店内がざわっとどよめき、シェーナの耳にメイリーの心の声が届く。 【こらおじさま! こんなところでキスするんじゃありません、もう! 】
「大歓迎だよ、シェーナ」 【名前などただの記号なんだから好きにすればいい】
まただ、とシェーナは思った。公爵の心の声に悪意はないのに、聞いていると寂しくなってしまう。
たいしたことじゃない、と己に言い聞かせ、シェーナは貧民街で一緒に育った友だちの顔を、ひとりひとり頭のなかに浮かべてみる。飢えたときには干からびたパンをわけあい、空腹を紛らわせるためにバカなことをたくさん、一緒にしてきた (木の皮の美味しい食べ方を探究してみんなでお腹を壊したりとか) ―― 彼らのことを考えれば、孤独ごときに負けてなんていられない。最大の敵は孤独ではなく飢えと寒さと病気だ、間違いない。
(それに、公爵夫人になったら、立場的には貧民街への支援を最大限にひきだせるじゃない ―― うん。こうなったら、愛だとかは諦めて、立場を最大限に利用しお金と権力に生きるのもひとつの道……! )
聖女としては何もできなかった。そして、妻として得られるのは、上っ面な優しさだけであるらしい (ないよりはマシだけれど) 。それでもまだ、己に役に立てることがあるのならば、うつむいてなんかいられない。
「…… ラズール」
「なんだい、シェーナ? 」
「呼んでみただけです」
「ほんとうにかわいいね、僕の奥さんは」
肩を抱きよせられ、ほおにキスを贈られる。キスは優しく、かわいい、ということばも嘘ではないのに、やっぱり寂しい、とシェーナは思った。けど、負けてなんかいられない。
公爵に表向きは愛されている ―― この事実もまた、使えるはずなのだから。
「僕たちも、このままデートする? さもないと、アライダが鬼のダンスレッスンを用意して待っているよ」
「それじゃ、帰らないと」
「へえ…… めずらしいね」
「だって公爵…… ラズールも一緒にレッスン受けてくださるんでしょう? だったらいいわ」
「では、喜んでお相手つかまつりますよ、お嬢さま」
「ありがとう」
立派な公爵夫人になりたい、とシェーナは思った。平民あがりだと誰にも嘲笑されない、というだけじゃない。それこそ、誰もがうらやみ、流行がついてくるような淑女に。
そうなれば、貧民街への支援に喜んで協力してくれる貴族も増えるはずだ ――
(あなたとの結婚なんて本当に添え物のパセリだけど、こうなったらカケラも残さずキレイに食べてあげるんだから)
内心でケンカを売りつつ (もはや慣習的に) 公爵に抱きかかえられて馬車に乗り、鬼のダンスレッスンを受けに戻ったシェーナだったが、そのレッスンは結局のところ、急な来客のために流れてしまった。
ぱっと見は非常に仲良く寄り添って本邸にもどったふたりに、執事のクライセンはこう告げたのだ ――
「旦那様。ルーナ・シー女史がお会いになりたいそうですが、いかがいたしましょう? 」