4-3. 新旧婚約者の対面は平和のうちに(3)
流行り病が多くの人の命を奪っていった前の冬は、人々が列をなして聖女の加護を求めにきた。シェーナは誰に対しても心を込めて祈り、神殿で作られた薬を渡して回復を願ったが、それがたいして効力のないものであることはシェーナ自身が一番よく知っていた。
疲れとなにもできない虚しさが日々たまっていくなか、シェーナの母親もまた帰らぬ人となり、聖女の力のなさは人々に知れ渡った。それでも表だってシェーナが攻撃されることがなかったのは、ひとえに、病で突然亡くなった人の家族に王家がなした補償がじゅうぶんだったおかげである。
もっとも、これが婚約破棄に先だってシェーナを聖女の地位から追放する直接の口実にもなったわけだが…… 自身の能力のなさを嫌というほど思い知らされたあとでは、もーどーぞ勝手にしてくださいゴメンナサイ、以外の感想がシェーナにあるわけもなかった。
ともかくも、そのとき聖女の救済を求めにきていた列のなかに、幼いノエミ王女の手を引き夫の回復を祈るオルサ・ダニエリ王女の姿もあったのだろう。ノエミ王女は、そのときのことを言っているのだ。
「ちぇいじょたまは、おとーたまとみんなのために、いつも、いっちょうけんめい、おいのいちてたのよ。おかーたまも、いってたわ」
「…… ごめんなさい」
「ちぇいじょたまのちぇいじゃないのよ。おかーたまがいってたもの。なのに、おにいたまったら、ひどいわ」
「ハインツ様も、悪くないんですよ」
シェーナは涙が出そうになるのをこらえて、ほほえんだ。
「聖女は王子さまと結婚する、という決まりがあるんですけれど、わたしは聖女としてはあまり役に立たなかったからやめたんですよ。それに、ノエミちゃんも聞いたでしょ? ノエミちゃんが、ハインツ様の真実の愛なんですよ」
「うん。でも、ほんとかなあ…… 」
「もちろん、本当よ」 と、これまで黙っていたリーゼロッテが、ここで口をはさんだ。心の声は 【これ以上、政局でコロコロ代えさせるものですか。女の子はモノじゃないのよ! わたくしの弟にはぜひともロ○コンを貫いてもらうわ! 】 である。頼もしい。
「でも、おにいたまはちぇいじょたまとも、ちゅごくなかよちだったんでちょう? 」
「そうですね。でもたぶん、真実の愛じゃなかったんですよ」
「じゃあ、なあに? 」
シェーナは少し考えこんでから、うなずいた。
「たぶんお互いに、料理に添えたパセリみたいなものだったんでしょうね」
特別に嫌いじゃないし、それなりに好きでもあったけど、なくてもまったく困らない…… お互いにそう思っていたとしても、ハインツ王子が相手なら受け入れられるシェーナである。
では公爵が相手だと腹立つのはなんなのか、という自分ツッコミを、シェーナは慌てて封印した。読み慣れた恋愛小説的にいえば、答えは、今はまだ深く考えたいことではない。それよりは、ヤツを心底から落とすのが先である。
そのあとシェーナは、ノエミ王女が刺繍の練習をするのに付き合い、次に会ったら一緒にクッキーを作ろうと約束をかわした。ノエミ王女がクッキーの焼き方を 『まだちゅくったことないの』 と言いながらも熱心に説明するさまは、そうせずにはいられないほど愛らしかったのだ。さらには外出から戻ったノエミ王女お気に入りの侍女マクシーネを交えて鬼ゴッコと隠れんぼとボール遊びをこなした。
マクシーネは護衛もできるという前情報とは裏腹に、おとなしそうな外見のひとだった。しかし、さすがというべきか、運動神経はかなり良い。そして、ノエミ王女をかわいがってはいても、だからこそ無駄な忖度はしないタイプだった ―― すなわち、どの遊びにも真剣に取り組むのである。そんな彼女に引っ張られ、シェーナもすぐに本気になってしまった。何も考えることなくぞんぶんに遊んで無邪気な気分を十数年ぶりに取り戻したころには、もう太陽が海に半分沈み、水面に朱金色の柱を作っていた。
そろそろ、迎えがくる時刻だ。
「楽しかったようだね? 」
「はい…… でも公爵、どうしてここに? 」
「僕のかわいい奥さんに早く会いたかったからだよ。朝は所用で先に出てしまって、申し訳なかったね」
「いえ、大丈夫です。でも、お仕事がお忙しいのでは? 」
「今は国王命令で休暇中。結婚式をあげてハネムーン終えるまで軍務は副官に代行させよ、とね」
「それは…… お気の毒なことです」
「いや、粋な計らいだと思っているよ」 【国王に命令違反を警戒されるほど、結婚にこだわりはないんだがね僕は】
「だからそういうとこですよ、公爵…… と、いえ、すみません。なんでもありません」
公爵家からの迎えの馬車には、公爵本人が乗っていた。断る隙もなくスマートにシェーナを横抱きにして馬車まで運んでくれるが、これもまた任務の一環ということだろう、とシェーナは半分納得、半分しょっぱい気持ちになってしまう。攻略の糸口すら未だに掴めていないのは仕方ないにしても、せっかく美形でハイスペックな公爵に優しくされているのに楽しめないとか、もったいないにもホドがある。
馬車のそばで待機していたマイヤーが最後に乗り込み、馬車が動き出した。執事の代行もつとめる信頼厚い使用人ではあるが、心の声が静かすぎるこの男が、シェーナはなんとなく苦手になっていた。暴力夫だったとの噂を前日に聞いたことも、間違いなく影響している。
「今日もクライセンさん、ご一緒ではないんですね」
「クライセンはワイズデフリン伯爵夫人に贈り物を届けに行ってもらっているよ。お茶会に招待されていたのに、急にキャンセルしたからね。お詫びのしるし。しばらく彼は、こういう用事で忙しくなりそうだ」
「あの…… そこまで、わたしに遠慮してくださらなくていいんですよ? 」
「遠慮はしていないよ。お茶会なんかより、僕の奥さんと一緒にいるほうがずっといいからね」 【とまあ、この程度言っておけば喜ぶだろう…… どうかな? 】
「はあ…… ありがとうございます」 【えっと…… うん喜びたいけど喜べないですね、それ】
心の声さえ聞こえなかったら、とシェーナは思った。救済美形に溺愛セリフを囁かれている、恋愛小説まんまの素敵なシチュエーションなのに…… 残念である。
シェーナが会話にいまいち乗り気でないのを見てとったのか、馬車の中での公爵の話はもっぱら、近年隣国のマキナやフェニカで起こった政変についてだった。
マキナは、ここルーナよりよほど科学が進んでいるがそのために民衆が力を持って王家とのパワーバランスが崩れていたところに飢饉がおこり、それがきっかけとなって王家がたおれた。そのころのマキナはルーナ王国と友好関係にあり、当時の王女とマキナ王国の王太子の間では紆余曲折を経ながらも婚約が整っていたがそれもチャラになった。逆に、マキナ王国の王女であったオルサ・ダニエリがルーナ王国に亡命することとなったのである。
フェニカのほうは、シェーナの父の祖国であり、シェーナにも関係があるといえばある話だ。フェニカはもともとはルーナ王国と同じ多神教の国であったが、一部地域で信じられてきた一神教のほうがより統治に便利ということに気づいた王家がそちらを国教に据え、土着の多神教を迫害した。ゆえに、もともと神職系の貴族であったシェーナの曾祖父母も、当時まだ幼かったシェーナの父を連れてルーナ王国に逃れてきたのである。
眠くなりそうな堅苦しい話題だが、公爵が語ると不思議といきいきとして、シェーナはまた、いつの間にか引き込まれていた。
「―― 一神教は統治には便利だったけれども、フェニカは結局、国力を弱めて多くの土地をジンナ帝国に切り取られてしまった。寛容さを失った国からは、多くの人材が流れ出ていってしまうものだからね。有名なのは、詩人貴族だったタルカプス・アムフォイトマンかな」
「えっ、あの、すっごくイヤらしい…… 」
「読んだことあるの? 」
「少しだけですよ、少しだけ」
「別に、女の子が読んでもかまわないと思うが……興味があるなら、図書館に全集があるから読んでみたら? 」
「あっ…… どうしよう」
図書館にはあっても、アライダのオススメ本リストにはのっていなさそう ―― と考えて、シェーナは初めて気づいた。
馬車の中で読もうと持ってきたはずのリストが、どこにもない。
「どうしたの? 」
「アライダさんが作ってくれた、図書館のオススメ本リストがないんです。リーゼロッテ様の馬車か別荘に、忘れてきたみたい」
公爵は数瞬、口をつぐんだ。
「…… もう本邸も近いから、明日にでも人をやってとりに行かせよう。心配しなくていいよ」
「では、私が参りましょう。これから引き返しましょうか」
「マイヤーは、仕事が立て込んでいるだろう? ほかの者にするよ。ありがとう」
「…… かしこまりました」
このとき、マイヤーの心の声が珍しく舌打ちしたのを、シェーナははっきりと聞いた。
せっかく申し出たのに、断られたのが気にくわないのだろうか。職務熱心で物腰も非常に丁寧なマイヤーだが、イライラしやすい性格なのかもしれない。だから普段は平常心を保つために心の声を抑制する一方で家庭で奥さんに暴力をふるうようになったんだろう、とシェーナはなんとなく納得し、頭の中の 『なるべく近寄らないリスト』 にマイヤーを加えた。そして、少々反省したのだった。
マイヤーのような男と比べれば、表面はとっても優しくこちらを尊重してくれる公爵からの内心のパセリ扱い程度は許すべきなのだろう。むしろ、この状況で満足しないなんて、何様のつもりなのか ――
いったんはそう、己をいましめてみたシェーナだが、その夜。
公爵家の料理長得意の 『合鴨のロースト~南国の香りを添えて~』 (南国の香りとはつまり黒胡椒とオレンジソース) などを美味しくいただき、同時に公爵からは 『君が美味しそうに食べているのを見るのが一番の御馳走』 なる、それなりには心のこもったけれども上っ面なほめ言葉をもいただきつつ今後の予定などを話しあい ―― シェーナは、たとえ世界中を敵に回そうとも納得できないこともあるのだ、と知った。すなわち。
結婚式は豪華なものにしよう、ドレスはやはり 『イリス&ヴェーナ』 に特注しよう、真珠とダイヤモンドをふんだんにあしらったものがいいかな …… などと語りながら、公爵の心の声は 【今さら結婚式などかったるいとしか言いようがないが、国王を安心させてあげないといけないからね。まあ、出すもの出しとけば女の子は大体喜ぶだろう】 という、非常に熱のこもらないものであったのだ。やっぱりイラつく。
さらに、食事のあとは当然のように昨日と同じコース ―― すなわちアライダに連行されてエステで疲れを癒し、公爵の待つ寝室に入ったわけだが 『心の準備がまだ』 と断ると、公爵はあっさり了解して、まったく何もしてこなかった。
そのかわり、ベッドに先に横になり、腕など差し出してきて隣のスペースを片手で軽くぽんぽんしてシェーナに示している。
「かわいい奥さんに腕枕くらい、いいだろう? 」
よくない、とシェーナは思った。なんとなれば公爵の心の声は 【一緒に寝ないとアライダがうるさいが、うっかり寝ぼけて誰かと間違えてなにかしてしまうと、かわいそうだからね…… ここは何もできないよう、片手を拘束しておこう】 というものであったからだ。
(誰かと間違えるなんて失礼じゃない? あ、違うかも。誰かと間違えない限りは絶対に何もしないと確信できてるあたりが失礼なのかも……? )
おとすおとさないの前に、まず恋愛対象として認識してもらわなければならないのではないか (だがそしたらきっと夫婦の本番、待ったなし)…… そんな危機感をおぼえつつ、シェーナは公爵の腕の上でいつの間にか眠ってしまっていた。見た目よりはしっかりと筋肉のついた腕は適度な弾力で心地よく 『絶対眠らないでおこう』 という意地は昼間の疲れもあって、あっという間に溶けてしまったのだ。
夢うつつに聞いた公爵の心の声は、なんだか少し悲しかった。悲しみのなかに、シェーナではもちろんありえない、誰かの影があった。
―― きっと亡くなられたお母様だろう、と己に言い聞かせながら、シェーナは深い眠りの中に落ちていった。