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3-3. はじめての夜は突然に(3)

 公爵家の夫婦の寝室は一応、別だった。だがしかし、ばっちりと隣合わせであり、しかも間の扉には当然のごとく鍵がない。

 そしてさらに、シェーナが侍女長に案内されて寝室に入ったときには、公爵がすでにベッドに腰掛けて待っていた。


「不在だったのに勝手に入って、すまないね。待たせてはいけないと思って」


「あの、ええと…… お気遣い有難うございます?」


 目でアライダに 『助けて』 と合図を送ってみるシェーナであるが、あろうことかというかやはりというか、この侍女長は、うんうんと深くうなずいただけだった。その心の声は 【そのとおりでございます! 奥様になったばかりのかたをお待たせするなど、まったくもって言語道断なのです! モテまくり悪評立ちまくりの独身中年のくせに、よくおわかりになりました。御褒美にあとで甘いカフェオレを淹れてさしあげるよう、クライセンに申しておきましょう】 というものであり…… つまり、シェーナの合図は全く伝わっていなかった。


「では、ごゆるりとお過ごしくださいませ。明日の朝食は、お呼びがあってからのご相談でよろしいでしょうか?」 【とにかく奥様に逃げられないように、朝までガッツリがんばってくださいませね、坊っちゃま! ふんすっ】


「うん、頼むよ」 【アライダときたら…… むしろ僕より張り切っているね】


「かしこまりました。では、失礼いたします」 【坊っちゃま! 期待しております! ふんすっ】


(アライダさん、行かないで! )


 シェーナの心の叫びもむなしく、アライダは深々と礼をして去ってしまった。静かになった部屋には、ルームフレグランスの甘い花のような匂いが漂っている。


「エステはどうだった?」 【緊張しているようだね。まさか、初めてかな? 】 


「はい、すごく気持ち良かったです。疲れがとれましたし、アライダさんとも仲良くなれました」 【なぜそこで 『まさか』 + 疑問形なんですか。まさかアバズレと思われてるんじゃ…… 】


「よかった。アライダは、母付きの侍女だったから、母が亡くなって以来ずっと元気がなかったんだよ。今日は久々に、生き生きとして楽しそうだった」 【まさか、だね。うん。3年も婚約していて何もないわけがない】


「はあ、それは良かったです」 【その認識おかしいですよ、公爵閣下! 】


「君のおかげだね、シェーナ。ありがとう」 【ハインツ(王太子)はどんなプレイをしていたのかな…… 『こんなの飽き飽き』 という感じにならないように、趣向をこらさなければね】


「いいえ、どういたしまして」 【ちょいまって! 飽きてない! 何もかもが新鮮だからあまりハードル上げないで! 】


 公爵のきれいな瑠璃と琥珀のオッドアイが、立ちつくしているシェーナの気持ちをほぐすようにほほえみかけてきた。その心の声がなければ、すっかり安心できてしまうような、柔らかな笑顔だ。


(たぶん、この態度でいきなりとかはないはず……! )


 せっかく気を遣ってもらっているのに立ち尽くしたままというのも申し訳なくなり、シェーナはおそるおそるベッドの端に腰をおろした。用心のため、公爵が動けばすぐに逃げられる位置だ。

 14の歳にはもう街角に立つ仕事をしていた貧民街の友だちからは笑われそうだが、シェーナ自身は()()()()は初めてであり、夫婦になるからといってあっさり受け入れられるほどには割りきれていなかったのだ。

 ―― そもそもが聖女になる前もなってからも、一部の男性たちの心の声はシェーナをいつも怯えさせていた。聖女になる前、貧民街に住んでいた頃は 【どうせ売春してるんだろ? 俺が味見してもかまわねえよな】 といった類いのもの。実際に襲われかけたこともある。そのときは、たまたま通りがかった青年が助けてくれた。それはまぎれもなくありがたかったのだが、その青年の心の声は 【物好きなヤツもいたものだね。もう4、5年くらいは育たないと()()()()()もないだろうに。口説く気も起こらないよ】 とボヤいていたため、男性全般へのシェーナの不信感はますます大きくなってしまったのだ。

 聖女になったあとも 『女神の加護を受けたとされる女』 への容赦ない好奇心や、聖なるものを汚したいという背徳的な欲望の声に、シェーナはしょっちゅうさらされていた。そのたびにシェーナは思った。好きでもないのにさわりたいとか、まじ気持ち悪い。


「そうそう、アライダから仮面舞踏会の話はきいた? あれね、アライダは僕がアライダのために開いたと思っているんだが、実はクライセンのためでもあってね…… つまり、ふたりは両片思いだったんだよ。はたから見ていたらじれったくなるほどにね。なのに、ふたりとも、誰も気づいてないと思っていたんだ…… 」


 公爵はなかなか、シェーナとの()()に移ろうとはしなかった。シェーナが興味を持ちそうなリアル恋愛話を、落ち着いて優しい声音で懐かしそうに延々と話し続けるだけである。徹底した気遣いの人であるがゆえに、シェーナの緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。とくに返事をしなくても済むような内容の話ばかりなのも、今のシェーナには有難かった。

 アライダとクライセンから始まった思い出話は公爵の気の向くまま、といった感じで、当時の使用人の恋愛模様に移っていった。公爵家には、男性の使用人は今も残っている人が多いが、女性はほとんど残っていない。それなのに、そのひとりひとりについて公爵は実によく覚えていた。生き生きとした語りにシェーナはいつの間にか引き込まれ、時が経つのも忘れて聞いていた。

 話の中にはマイヤーの恋もあったが、当時のマイヤーは周囲のみんなから、非の打ち所のない優しい恋人と思われていたそうだ。それが結婚後10日で暴力夫に変身したというから、世の中わからないものである。ちなみにそうなっても彼を解任しないのは、公爵家で所有する鉱山関係の実務に優秀だからだそうだ。もっとも妻のほうもすでに救済ずみ。没落しかけとはいえ下級貴族の出身だったので、今はマイヤーのもとを離れ、侍女として王宮に住み込みで働いているのだという。


「疲れていない? もしよかったら、そろそろ、寝ようか? 」 


 退屈ではなかったはずなのに、いつの間にかうとうと眠りはじめていたシェーナがはっと目を開けると、公爵の麗しいお顔がやたらと近かった。夕食後に馬車に乗ったときのデジャヴのようであるが、今回は公爵が抱っこしてきたのではなく、シェーナが公爵によりかかるようにして寝てしまっていたのである。そういえば、すぐに逃げられるように開けていたはずの距離、どうした。


「あの…… 寝るってやっぱりその、男女間のソレな隠語として使われる 『寝る』 なんでしょうか? 」


「ん? 違うのかい? 」


「いえ、立場上は違わないことは理解してるんですけどですね、なんといいますかその、心の準備が…… 」


 公爵との結婚もありかな、という向きに気持ちが傾いてきたシェーナであるが、やはり、結婚を添え物(パセリ)と思ってるような人と結婚前から男女間のソレなどしたくはない。これだけ至れり尽くせりで歓待されたあとでは言いにくいから、言わないけれど。

 公爵のきれいなオッド・アイが、丸くなった。心底から不思議がっているのだ。


「心の準備? 」


「ええとですね、実はわたし、王太子殿下とはその、キスもまだだったんです…… というかその、身体的なふれあいは、こっそり手をつないだことが5回ほどで」


「そうだったんだ。彼も、もったいないことをしたものだね」 【ハインツ、まさか…… 3年も婚約してて何をしていたんだ!? もしかして本当にロ○コンなのかな】


「ハインツ様は真面目なんです! 」


「ふうん…… 好きだったんだね、彼のこと」 【たしか王宮の侍女たちの評価は 『普通の貴族だったら出世しないで "いい人" で終わるタイプ』 だったな。家庭的な良い父親になりそう、との意見もあったか…… なるほど、真面目ね。そういうのがタイプなら…… 僕なんかが婚約相手では、ガッカリもガッカリだろう。気の毒なことだ】


 シェーナは黙りこんだ。

 王太子のことは、好きかと聞かれれば、好きだった。でも、単にこの人と結婚するという将来をぼんやり受け入れていただけ、ともいえる。そうなるより仕方ないことに対して、特に何も考えていなかったのだ。

 何かしらのことをはじめて考えたのは、婚約破棄されることに決まってから…… でも彼の好きなところはいくつもあったけれど恋だとかそういうものではない、としかシェーナには思えなかった。だからすんなり同意して、笑って別れようと決めたのだ。


「…… ハインツ様って、すごく真面目で誠実な人なんです」


「うん」


「だけどけっこうおバカで、ずれてるところもあって…… そこがかわいいといえばかわいいんですけど、王太子様だからあんな性格だと、立場的なストレスがすごいだろうな、って思ってて」


「いえてるね」


「わたしは、もともと平民で、後ろ楯もなければ王妃としての才覚も全然だけど、ハインツ様のつらいところを自分が軽くしてあげることはできる、って思ってたんです…… 思い上がってたんですね」


 人の心の声を聞く能力は、聖女としては使えなくても王太子のためには使えている、そこを求められているんだ、と勝手に思っていた。王太子であるがゆえに口に出しては言えないつらい気持ちを汲み取って癒してあげられるのは自分だけだ、とうぬぼれていた。

 本当は、たんに聖女の印を持つから婚約者になっただけだったのに。


 せりふの最後は、急にでてきた涙にまぎれて、言えなかった。

 大きな公爵の手がのびてきて、つつむようにそっと頭をなでてくれた。見た目によらず、温かい。そのままそっと抱きよせられる。他意も下心もない、傷ついて泣いている子どもを慰めようという思いだけの、優しい抱擁だった。

 ―― 子ども扱いしかされていない時点で公爵を心底からおとすのは前途多難としかいえない気がする…… などと割かし冷静に考えながらも、シェーナの涙はなかなか止まらなかった。公爵はシェーナが泣いている間ずっと、ぽんぽんと軽くゆるやかに背中をたたいてくれていた。広い胸からは、海のにおいがかすかにした。



 翌朝。鳥の声に目を覚ましたシェーナはまず 『しまった』 と思った。公爵の姿はすでにない。そして、ふわふわの羽布団にも清潔なシーツにもシェーナの夜着にも乱れのひとつもなく、ただ、シェーナの口元にちょっとヨダレがついている ―― つまりシェーナは公爵のお胸で泣きながら寝落ちてしまったあと、ヨダレたらかして爆睡。そして起きるまでの間シェーナに、公爵はどうやら、()()()()()()()()ようである。女たらしとの悪評はあれど、そこまで鬼畜ではないらしい。シェーナとしてもその気がない以上、良かったといえば良かったのだが。


(これからヤツをおとそうというのに、なんでいきなり、百年の恋も冷めそうな失態をおかしてしまったのかしら、わたしったら……! )


 いやまだ 『面白い女』 枠ではぎりぎりセーフ。それに、公爵はヘンな人だから意外とヨダレつきの寝顔にズキュンときてくれたかも。その前にもしかしたら、ヨダレは公爵が去った直後に出た可能性もあるので見られているとは限らない ―― などなど、なんとか前向きにこの事態をとらえてみようとして、あきらかに失敗したシェーナ。1回や2回の失敗なんか気にしない、と繰り返し小声で唱えてみるが、やはりどうしても気になってしまう ――

 結局シェーナは、とりあえず気分を切り替える以外に、今ここですることが思い付かなかった。しかたなく、枕元に置いてあった呼び鈴をそっと鳴らしてみる。なんだか偉そうで申し訳ない気持ちになるが、昨晩アライダから朝起きたらそうするように言われているのだ。

 りぃぃぃん、と澄んだ音が鳴り終わらぬうちに、ドアの外から即座に 「はい、奥様。ただいま」 と、アライダの張り切った声が響いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] いろいろ行き違ってますねえ。
[良い点] >【アライダときたら…… むしろ僕より張り切っているね】 坊ちゃまも、一応張り切ってるんだwww
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