3-2. はじめての夜は突然に(2)
「あのとき? あれは、僕が誘惑などしていたわけではないんだがね…… メイドも侍女も、再就職先は侯爵家か王宮だったから待遇にもさほど変化はないはずだよ」
公爵が穏やかに主張するのを、アライダは 「はいはい、はい」 とぞんざいに受け流した。古参の侍女長ならでは、半分家族のようになっているのだろう。
「では申し上げ方を変えますが、無駄に親切になさったり物をあげたり人生相談に乗ったりしないでくださいね。それから、3秒以上メイドたちを見るのもお控えくださいませ」
「無駄に、だって? 人に親切にするのに、無駄なんてあるわけがないだろう? 」
「その過剰なボランティア精神で、何人のメイドが退職に追い込まれたと思ってらっしゃるんですか。再就職先があった子はいいんですよ! 大奥様のカンにさわった子には、紹介状もなかったんですからね」
「それは、母が勝手に決めたことだろう? 僕はそのようなことでは、人をクビにしたりはしないよ」
アライダの心の声が盛大に舌打ちをして 【本当にわかってないのでしょうか? バカですか? わたくしの親友をだまくらかしてやめさせたこと、一生忘れませんからね、坊っちゃま! 】 とボヤいた。
「その辺にしておきなさい、アライダ。奥様が驚いていらっしゃるから」
クライセンにとめられ、アライダがはっとしたように口元に手をあてた。
「申し訳のうございます、奥様、つい。その、誘惑といいますのは、言葉のアヤと申しますか…… 」
「あ、いえ、大体わかりましたので心配ないですよ。むしろありがとうと言いたいです」
公爵は身分も容姿も非常に良い。そして持って生まれたスペックの高さを鼻にかけるどころか、誰に対しても相手が心地よく過ごせるようにひたすら気を遣う人だ。しかもそれを、まったく負担に思うことなくむしろ楽しくこなす。お坊ちゃん育ちの鷹揚さもあってか、他人に喜んでもらうことが大好きなようだ。
その完璧さには今日1日ですっかり感心してしまったシェーナであるが、それはさておき。
なぜそんな人が嫁になり手がいなくなるほどに悪評高くなってしまったのか、といえば ―― むしろそんな人だからこそ、 『王国一の女たらし』 の称号をいただいてしまったのだろう。今の会話とアライダの心の声から、シェーナはそう推測した。
公爵邸に女性の使用人がほとんど見当たらないのも、おそらくはその昔の、アライダがいう 『あのとき』 とやらに公爵がその過剰なサービス精神を見境なく発揮した結果だと思われる。勘違いするメイドが続出、その勘違いにもしかしたら気づいていたかもしれないが、人を目の前にすると親切にせずにはいられない公爵。そしてキレたご母堂がメイドたちをばっさり容赦なくクビにした ――
(その結果、アライダさんの親友もクビになって、そのことをアライダさんはいまだに根にもってるんだね。けどアライダさんがそのとき公爵になびかなかったのは、たぶん、当時すでにクライセンさんのことが好きだったからじゃないかな…… )
結婚願望はなく初恋さえまだとはいえ、シェーナは恋愛小説読者。リアルな恋の話だって大好きだ ―― けれど物心ついてからずっと、そんなものはほとんどできなかった。恋愛小説は、聖女になる前は古本屋でボロボロの本をタダ同然にもらい受けて根性で修繕しながら読んでいただけだ。聖女になってからは新しい本も買えるようになったが忙しすぎて、どんなに頑張っても少しずつしか読めなかった。しかも、聖女になる前は厳格な父親が 『我が家は貧しくとも貴族の血筋だ! そんな低俗なものを読むな!』 と怒り、聖女になってからはやっぱり厳格な神官長が 『うぉっほん!(咳払い)』 と注意してくるオプションつき。
つまりシェーナは、堂々と恋愛の話ができる環境に飢えていたのである。その目の前に突如、執事と侍女長・若き頃のロマンス (おそらく公爵と微妙な三角関係あり) がいかにも美味しそうにぶらさがってきた ―― これは聞くしかない、と決意したシェーナは、侍女長にあっさりと己を売った。
「アライダさん、あの、マッサージをしてもらっているあいだ…… 話し相手をしてくださいます?」
「もちろんでございます、奥様。さあ、こちらへどうぞ」
クライセンと公爵に 「いってらっしゃいませ」 「ゆっくりしておいで」 と見送られたシェーナの頭の中は久々の恋愛話への期待感でいっぱいだった。
アライダの 【ふふふふ…… わたくし自らがメイドたちにできうる限り伝授した手技の数々…… さあさあさあ! どっぷりハマるがいいのです、奥様! ふんすっ】 という、なんだか恐怖をかきたてる心の声と鼻息すらも、その期待を損なうことはなかったのである ――
※※※
「あっふうぅぅ…… うーん、そこ効く…… 」
「いたくはございませんでしょうか、奥様」
「大丈夫です。痛いというより、むしろ効いてる感じで…… 」
「でしたら、ようございました。痛いときにはおっしゃってくださいね」
「うーん…… どっちかっていうと、グリグリやっちゃってほしいです…… 」
異国情緒あふれる木の天井に、アロマランプの光がゆれる。部屋に漂うのは、ミントを基調にした爽やかな香り ―― 公爵家のエステサロンの気合い入った整えぶりとメイド3人がかりのマッサージに、最初は引いたシェーナであるが、数分ですっかりハマってしまった。侍女長の目論見どおりである。
「…… それで、さっきの続きですけど…… アライダさんは同じ職場でも平民出身のただのメイドで、身分違いの恋だったんですね? それでずっとクライセンさんを遠くから見つめるだけ…… 切ないですね…… 」
「ええ。それも、クライセンはわたくしも坊っちゃまのことが好きだと勘違いしていたのですよ? むしろ先に気づいたのは坊っちゃまのほうだったんですから、もう」
「ふふ…… なんだか公爵らしい気がします」
「ええ。坊っちゃまは、昔からよく気のつく、親切なお方でしたよ。あのマイヤーが奥さんに暴力を振るっていることだって、真っ先に気づかれて対処されましたし。
でも、坊っちゃまへの勘違いがヒドいメイドが勝手に嫉妬してほかのメイドに嫌がらせしても、お叱りにはなれないんですよねえ…… あそこで少しでも厳しくしてくださったら、大奥様がキレることもなかったでしょうに」
「そうなんですね…… それで、クライセンさんとアライダさんはどうなったんです? 」
「クライセンに話しかけることさえできなかったわたくしのために、仮面舞踏会を計画してくださいまして。仮面舞踏会でしたら、身分の低い者も物怖じせず参加できますでしょう? そのときにはじめて、クライセンと踊ったのでございます。わたくしは女神ルーナの衣装で、クライセンは猟師でございました…… 」
「クライセンさん、やる気満々ですね!? 」
「さあ。どうでしたのでしょうかね。ですけれどそのあと…… 」
アライダはシェーナの話し相手として、夫のクライセン執事との馴れ初めを割かし洗いざらい打ち明けてくれながら、メイド3人の指揮をとっていた。
「まだ固いわ。しっかりほぐしてさしあげて。奥様は、背骨と骨盤が少し歪んでおられますね」
「うーん…… 座り仕事とひざまずき仕事が多かったからですかねぇ…… 慰問に行くのに馬車の中で数時間座りっぱなしとか、夜中に御堂に行って同じ姿勢で延々と祈り続ける、ということもよくありましたし」
「ではこれからは、ダンスのレッスンに力を入れましょう。社交に必須というだけではございません。姿勢を正し、優雅かつ適正な筋肉を身につけるためにはダンスは最適なのでございます」
「ひえええ…… 」
期待どおりのリアルな恋愛話がたっぷりとできた点では満足したシェーナだが、そこにちょくちょくアライダが挟んでくる 『これからは○○のレッスンに力を入れましょう』 を聞いていると、悪い意味でためいきしかでない。
この1時間ほどで言われたのは、マナーに語学にピアノに刺繍。そして今、さらにダンスが加わったのである。優雅な筋肉っていったいなに。
「あの、わたしは何よりも図書館に入り浸りたいんですけど」
「ええ。空き時間にはぜひ、そうなさってくださいませ。歴史全集などをひもとき、ルーナ王国及び大陸史について造詣を深められるのもよろしいかと」
「どちらかというと、幻想物語や恋愛もののほうがいいんです…… 」
「それでしたら、ロマンス詩集がオススメでございます。格調高く麗しい恋の詩をお話にさらりと引用できるようになれば奥様も、周囲のそういうことでしか人を判断できない浅薄な輩どもから一目置かれるようになることでしょう」 【ふんすっ】
「はあ…… がんばります」
「それでこそ、公爵夫人でいらっしゃいます。人を作るのは、身分ではなく努力と研鑽でございます。わたくしも協力させていただきますので、素敵なレディになりましょうね、奥様」 【ふんすっふんすっ】
「はあ…… 」
肩と背中をぐいぐいマッサージされるのは気持ち良いけど、心の鼻息つきで言われていることはかなりハードである。シェーナはもともと、聖女引退後の生活を余生としか考えていなかった。修道院に引きこもって晴耕雨読 (好きな本に限る) のスローライフができればそれでよし、と思っていたのだ。期待していた暮らしと、このままではまるで逆 ―― いくら溺愛されて素敵なレディになったところで、望む生活がほとんどできないなら意味ないではないか。
けれどアライダの心の声が、やっと侍女としての仕事ができる喜びと仕事をしたい熱と (かなり一方的ではあるが) 新しい奥様への思いやりにあふれていたから―― シェーナとしてはとても、反論などできなかったのである。
エステを終えたあとのシェーナの身体は、すっかりほぐれて軽くなり、肌もしっとり柔らかくツヤツヤと健康的な輝きを取り戻していた。その身を包むのは、シンプルながら肌触りの良い夜着 ―― じゃまにならない位置にさりげなくつけられた、宝石のように精緻な手編みレースの飾りがかわいい。
「おきれいです、奥様」 「とてもすてきです、奥様」 「夜着もよくお似合いです」
メイドたちの賞賛に 「それほめすぎ」 とツッコミをいれてみるシェーナだが、彼女らの心の声からも、お世辞ではなく本心だとはわかってはいる。
(わたしにはもったいないくらいの良い子たちだなぁ…… アライダさんの人を見る目が確かなんだろうね、きっと)
そのアライダは、シェーナの髪をゆるめに編み終えて満足げにうなずいた。
「ほんとうにお可愛らしくていらっしゃいます。これならば、坊っちゃま ―― 旦那様もきっと、ますます愛しく思ってくださることでしょう」
ここでシェーナは、やっと、はっとした。
貴族社会では、シェーナと王太子がそうであったように婚約相手が政略によりころころ変わるのが当然であるため、婚前交渉はご法度だ。婚前交渉どころか、昼に神官長が 「結婚前からデートなどダメ」 と止めてきた、それが一般の良識である。だが例外もあり、それすなわち、今の状態 ―― つまり、もう結婚がほぼ確定して館に同居までするようになれば、その限りではないのだ。しかもシェーナの相手は、王国一の女たらし。
(もしかしたら、そーなってこーなってあーなるのも当然と、公爵含めてここの全員がそう思ってるんじゃ……!? )
その旨を 「まさかですよね……? 」 と、おそるおそる確認してみたシェーナに、侍女長はあっさりとうなずいたのだった。
「全身、完璧に磨かせていただきましたので、ご安心くださいませ。恥ずかしがることなく、旦那さまに全てお任せなさればよろしいかと」 【さあ! 坊っちゃまの出番なのです! これまで無駄に培ってきたスキルがやっと役に…… うっ…… 諦めないでよかったのです…… さあさあさあ、坊っちゃま! 奥様をめろめろのとろとろに、お願いしますのです! ふんすふんすふんすふんすっ】
いや、ちっともよくない。




