プロローグ
神殿の鐘が、いっせいに揺れる。おごそかな音が幾重にもかさなって、吸いこまれるような色の空いっぱいに響く ―― 大陸の北、2つの国と1つの帝国に囲まれながらかろうじて平和を保つ小国であるルーナ王国にとって、その日は100年ぶりの吉事にめぐまれた日だった。
神の加護を受けた聖女が、現れたのだ。鐘は、聖女の認定式、それに彼女と王太子の婚約式のために鳴らされたものだった。
「シェーナ・ヴォロフ男爵令嬢」
祭司長に呼ばれ、緊張した面持ちで祭壇の前に進みでたのは、デビュタントを終えたか終えていないかという年頃の、15歳ほどの少女。
白いドレスから出た左手の甲には、月と星を組み合わせた形のあざがくっきりと浮いている。このあざこそが、王国の守護女神ルーナの印だった。
聖女はあざとともに、なんらかの特別な力を授けられているはずだが、そちらはあまり重視されない。重要なのは、あざを持っていることだけである。なぜならそれこそが女神ルーナが国に恩恵を与える約束の証だからだ。
100年ぶりに聖女と認定され、その地位につく彼女 ―― シェーナについても、認定時に重視されたのは、月と星のあざが本物であることのみだった。
問題視されたのは聖女としての能力よりもむしろ、その身分のほう ―― 彼女は、幼いころ東の隣国から移住してきた移民を父に、花売り女を母に持ち貧民街に暮らす、ド底辺の平民だったのだ。
特例として父親には急いで男爵位と宮廷役人の職が与えられた。おかげでシェーナは男爵令嬢となり、王国に聖女が現れたときの慣例として、すんなり王太子と婚約した。
見ようによっては、神の加護を受けた者をいやおうなく王族にしばりつけているわけだが…… 一般的にはもちろん、 『聖女シェーナ』 は、ありきたりな物語の上をいく成り上がりの物語だととらえられていた。
―― 当の王太子が、別の女性に夢中になったあげくに、シェーナが聖女として役立っていないと決めつけてその地位を剥奪し、婚約破棄を言い渡した、と伝えられるようになるまでは。