48節 半分だけの牙②
「……なに?」
わたしの言葉に、イフが怪訝そうな声を上げる。
半魔の身を露わにしたのと共に、閉じていたわたしの魔覚も開いていた。これまでは感じ取れなかった魔将の膨大な魔力が肌を刺し、歩みを鈍らせる。
けれど同時に、イフの周囲を半球上に覆う件の結界も、赤に染まった左目にほのかに映し出されていた。
歩を進め、掲げた左手を眼前の結界に触れさせる。すると……
ズ……
掌に触れた結界の一部が、吸い込まれるように消失する。〝魔力を喰らった〟のだ。
消えた個所から連鎖するように、結界を構成していた魔力が霧散していく。内と外を分ける境界が綻び、効力を失う。
「――貴様……!」
なにをされているか気づき、即座にイフが『槍』を放つ。魔将の身を覆う魔力が両腕に流れ込み、〈ローク〉によってさらに収束し、標的に放たれる様も映し出される。結界を消したからか、その制御には若干乱れが見えるが……
今までは見えなかったその魔力の動き、魔術の構造を知覚して、改めて実感する。
「(……やっぱり、〝これ〟を正面から食べるのは無理だね)」
あの時、仮に〈クルィーク〉を起こしていても、結果は変わらなかっただろう。おそらく魔力を喰らう暇もなく貫かれ、殺されていた。これは、凝縮された破壊そのものだ。
跳んでかわし、続けて前方を撫でるように左腕を滑らせる。その軌跡に、魔力で生成された五本の短剣が現れる。
これは〈クルィーク〉のもう一つの力、『魔力の操作』。本来は魔術を行使するための対価(あるいは媒介、燃料)でしかない魔力だが、〈クルィーク〉は自身に触れた魔力それ自体を操ることができる。魔族の魔術と同様、詠唱も必要とせずに。
もう一度、今度は払うように左腕を振るい、短剣を五本とも相手に撃ち出す。
わたしの意のままに動くそれを、三本を先行させ、残りの二本はわずかに遅らせて。そして例の如く追いかけるように、わたしも駆け出した。
緩やかに孤を描きながらも高速で迫る魔力の短剣。一本を黒剣に弾かれ、一本を剣が発する風に阻まれるも、三本目は砕けた鎧の腹部に吸い込まれ、遅れて四、五本目が上空から襲い掛かり、首の隙間を刺し貫く。
「グ、ガっ……!?」
肉薄し、畳みかけるように右手の剣を一閃。
首を狙った斬撃は半ばまで刃を食い込ませる。が……そこまでだった。相手が引き戻した黒剣に押し止められ、停止。切断までには至らない。
「ヌ、グ……――ク、ハハ、ハ……! まだ足りぬ……まだ、我の命には届かぬぞ……!」
魔将は苦悶を滲ませながらも哄笑する。首に刺さったままの刃を左手で掴んで封じ、短く振りかぶった反対の手で、反撃の剣を返してくる。
命の総量が多い魔将だからこそできる、捨て身の反撃。対してこちらは、攻撃直後の不安定な姿勢。加えて武器も封じられている。掴まれた剣をなんとか引き抜くか、それを手放してでも離脱するしかな――
――なに言ってるノ。平気でショ? 〝この手〟で受け止めればいいんだヨ――
――そう。そうだ。今は、この左腕がある。湧き上がる高揚感に身を任せ、体を翻す。
こちらを斬り裂かんと迫る黒剣――それを握る魔将の腕を、〈クルィーク〉に覆われた左手で受け止める。
「ぬ……!」
一瞬だけ、魔将の動きが止まる。
もちろん、純粋な力比べで生粋の魔族に勝てるはずもない。こっちは左腕一本分、相手は全身だ。が。
クンっ――
元から力比べをする気はない。止めた一瞬でこちらの剣を引き抜き、次いで左腕で力の向きだけをずらし、体を入れ替えるように受け流す。
「……!?」
そのまま圧し切る腹積もりだったのだろう。イフは前方にガクンと体を傾け……しかし前に出した足で踏み止まり、転倒は避けてみせた。
隙を逃さず相手の右腕を掴み、捻り上げる。半魔の腕で、暴力的に。
「グっ……!?」
間接が軋み、筋線維が千切れる。
左手から伝わるその感触をほんのわずか味わってから、そのまま捻じ切ろうとさらに力を込め――
「舐めるなっ!」
叫びと共にイフの右腕と、その手が握る〈ローク〉に大量の魔力が流れ込む。すぐに術は完成し、わたしは吹き荒れる暴風に引き剥がされるだろう。
「あはっ!」
――その魔将の魔力に、わたしは〈クルィーク〉で干渉した。
相手が集めた魔力をさらに一か所に誘導し、膨張させ、一気に破裂……爆発させる!
「な――ガアァァァアァ!?」
驚愕の声が、身体と共に遠ざかる。
吹き飛び、転がり、それでも魔将は倒れず、片膝立ちで正対するも……
「グ……ク……!」
右肘から先を失ったその身から、鮮血がこぼれ落ちる。
少し遅れて、腕と共に宙に弾き飛ばされた〈ローク〉が、回転しながらこちらに落下してくるのが見えた。
降ってきたそれを左腕で掴み取る。その剣身をわずかに眺めてから……地面に突き刺した。
武器が増えた形にはなるし、本当にこれがかーさんの作なら、この手で使ってみたい気持ちもあるけど……
わたしの剣とは形状も重さも違うし、クセもなにも分かっていない。慣れない武器を実戦でいきなり試すなんて命取りにしかならない。奪えただけで戦果としては十分だろう。
そう。十分な戦果だ。魔族の将軍から剣と右腕を奪い、さらには膝までつかせているのだから。その様を見られただけで、胸の内に充足感が――
「ク……クっクっ……「戦を楽しむ気も、いたぶる趣味もない」、だったか……」
「……? ……急に、どうしたの?」
「なるほど、自覚はないか……その姿を晒して以降、剣を交えるたび、我の身に傷を刻むたびに……〝嗤って〟いるぞ、貴様」
「――!」
「カァっ――!」
制御できているつもりが、いつの間にか本能に呑まれていた。それに動揺するわたし目掛け、この日何度目かの暴風が、イフの失った右腕の先から、渦を巻いて吹き荒れた。
けれど、消耗し、要である〈ローク〉も持たず放った魔術は抑え切れず、初めに見た『塔』と同じように膨れ上がっている。暴れ狂い、蛇行しながら這い回るそれは、歩みも遅く、狙いも明らかに定まっていない。魔術に疎いわたしから見ても不完全なものだった。
当然、この身に受ければ無事に済まないのは変わらない。その場を飛び退き、難なく安全圏には逃れられたが……だからこそ、魔将の意図が分からない。
らしくないと思う。いや、出会ってからまだいくらも経ってないけれど、武器と腕の一本を奪った程度で取り乱したり、中途半端に攻め急いだりする相手じゃ……
と、そこでようやく気がついた。イフが突き出した腕の、先にあるものに。




