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【書籍化&コミカライズ化】勇者の旅の裏側で  作者: 八月森
1章

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46節 掠れた怒声

 木陰に身を隠しながら何度も方向を変え、彼女の手を引きながら走り続ける。

 やがて誰も追って来ないのを確認すると、わたしはそこでようやく足を止めた。

 酷使した手足が、肺が、不満を訴えている。全身の細かな傷も、思い出したように主張を始めていた。


「はぁっ……はぁっ……さすがに……はぁっ……ちょっと……きつかったね……」


 荒い息を吐きながら、手を握ったままのリュイスちゃんに顔を向けてみると。


「――ぜーっ……ひゅーっ……ぜーっ……ひゅーっ……げほっ、げふごほっ……!」


 彼女は手足や肺の不満どころか、全身が悲鳴を上げていた。


「あぁぁぁ、ごめん、リュイスちゃん、ずっと引っ張っちゃってたから……!」


「……い……いえ、大丈夫、で……えほっ、ごふっ……!」


「うん。どう見ても大丈夫じゃないね」


 慌てて手を離す。

 途端に彼女はへなへなと地面に崩れ落ち、肩で、というより全身で大きく息をし始める。しばらくは休ませる時間が必要だ。


 それにわたしのほうも、あまり平気とは言えない。

 疲労も負傷も蓄積されているし、なにより……直前まで、死を間近に感じていたのだ。抗いようのない死を。

 今になってじわりと、全身に嫌な汗が浮かぶ。心身を落ち着かせる時間は、わたしにも必要だった。


 念のため、地面に手を置き、耳を澄まし、周辺を探ってみる。

 けれど現状、物音や呼吸音、地面を揺らす振動も含め、不審なものはなにも感じない。この場に留まるわたしたち以外は、先刻まで対峙していた魔将どころか、土着の魔物すら近辺にはいないようだ。イフの魔力に怯えて身を隠したのかもしれない。これなら、休憩する時間くらいは取れそうだ。



 リュイスちゃんの様子を見つつ、乱れた呼吸を整えていく。

 本当はなにも考えず休息に専念したほうがいいのだけど、少し落ち着いてきたところで、頭が自然と、逃げ出す際の光景を思い返し始める。


 イフはあの時、突然現れたリュイスちゃんに驚いていたように見えた。思考を読み、相手の行動を事前に把握できるはずの、あの魔将が。

 つまり、少なくともそれまではリュイスちゃんがどう動くか、読めてはいなかった……どころか、その存在にも気付いていなかった、のだろう。だとしたら……その理由は、どこにある?


 例えば、距離が離れていたから、とか? 視界に対象を収めていないといけない、とか。

 一度に大勢の思考は読みづらいのかもしれないし、そもそも読める対象は一人だけ、などの制限があるのかもしれない。

 あとは、発動の合図でしかないと思っていたあの風が、わたしの体になにか目印をつけていた、なんて可能性も――


「かふっ……! けほっ……はぁ……ふぅ……すみません。もう、大丈夫、です……」


 そう言いながら、腕を支えになんとか立ち上がろうとする彼女だったが……どう見ても、まだ満足に動けるようには見えない。呼吸は依然荒く、手足にも力が入っていない。


 無理をしないよう彼女を制し、その場に座り込む。

 腰を落ち着けるわたしに困惑しながらも、彼女はひとまず制止に従い、こちらの様子を窺うように視線を合わせる。それを確認してから、わたしは口を開いた。


「さて、リュイスちゃん。ちょっとお話があります」


「……?」


「……ありがとね、助けてくれて。おかげで命拾いしたよ」


「あ……」


 リュイスちゃんが来てくれなければ、わたしはあそこで確実に死んでいた。有り体に言えば命の恩人だ。言葉だけじゃない、本当に感謝している。

 ただ、それはそれとして、もう一つ言っておきたいことがあった。


「でも……ダメだよ、あんな危ないところに出てきたら。リュイスちゃんは見つかってなかったんだから、わたしを置いて逃げても良かったんだよ?」


「…………!」


 人類にとって毒にも薬にもなりえる彼女の能力は、当然、魔物側にとっても脅威になる。

 利用されるならまだしも、下手をすればその場で殺されるかもしれない。いや、それ以前の問題か。能力の有無に関わらず、人間というだけで始末される可能性のほうが高い。

 わたし一人で仕掛けたのも、半分はそのためだ。隠し通せたなら、最悪、彼女一人は逃げられると――


「……さん、の……」


「……ん?」


 彼女は俯き、小さく呟いていたが……内容はよく聞き取れなかった。


「……レニエ、さん……!」


 ……呟いてるのは、わたしの名前……? ……というかリュイスちゃん……なんか、怒ってる……?

 キっと顔を上げた彼女の瞳からは、いつの間にか涙がこぼれていた。


「――歯を、食いしばって、くださいっっっ!!」


 ペチっ


「……?」


 すぐには、状況を理解できなかった。今、わたしは――

 ――わたしは、彼女、リュイスちゃんに。頬を、引っぱたかれたのだ。


 まだ力の入らない腕を無理矢理振り上げただけの手のひら。当然、全く痛くはないし、そもそも避けようと思えば簡単に避けられたはずだ。

 けれど彼女の涙に、本気で怒るその表情に、目を奪われた。……避けては、いけない気がした。


「アレニエさんっっっ!」


「は、はい」


 叩かれた余韻を感じるのも束の間、響く怒声に思わず居住まいを正した。


「さっき、本気で一度、生きるのを諦めたでしょう!」


「え」


 なんでバレてるんだろう。


「それに今も! 私には、『『死んでも』は無し』なんて言っていたのに、どうしてそう言った本人が、自分を見捨てろなんて言うんですか!」


「え、や、その……わたしが死んでも、それはわたしの責任だし、リュイスちゃんは気にしないで逃げてくれればなぁ、って――」


「気にしないでいられるわけ、ないでしょう!? ここまで一緒に旅をして、なにもかもを助けてもらって、そのうえ……私なんかを受け入れてくれた、恩人を……簡単に見捨てられるわけ、ないでしょう……!」


「いや、そんな大したことしてないし、別に恩とか感じなくても――」


「わたしにとっては大したことですし、恩を感じるのは私の勝手です!」


 両の目に大粒の雫を湛え、彼女は精一杯の怒りを叩きつけてくる。


「それにこれは、私が貴女を巻き込んだ依頼です! アレニエさんになにかあれば、その責任は全部私のものです! 犠牲が必要ならむしろ私がなります!」


「……リュイスちゃん、勢いに任せて無茶苦茶言ってない?」


「なにか言いましたか!?」


「いえ、なにも」


 涙目で睨まれ、わたしは口を噤んだ。


 ……正直、困惑していた。

 だって今まで、こんなことを言い出す依頼人なんていなかった。


 普段一人で行動しているわたしでも、人手が必要な際には誰かと組むこともある。生活のために苦手な護衛任務を引き受け、依頼人と旅をすることも。

 けれどどちらも、大抵は依頼を達成するまでの短い付き合いだ。差し障りなく終わらせるためにある程度距離を縮めたとしても、基本的にはそこで終わりだ。それ以上わたしのほうからは踏み込まないし、相手も大抵近づいてこない。


 リュイスちゃんは見た目も中身も好みだからと他より贔屓したし、期待もしていたが……それでも、結末は大きく変わらないとも思っていた。

 ……わたしの命一つで、こんなにも心を乱すなんて――乱してくれるなんて、思っていなかった。


「……だから、なんとか助けに入れないかと様子を窺っていたのに……なのに、この『目』でアレニエさんを見たら…………それを見て私が、どれだけ……! どれだ、け……」


 とうとう彼女は掴みかからんばかりにこちらに詰め寄り、わたしの手を取り、強く握りしめる。

 そして今度は……ゆっくりと力なく俯き、呟く。


「……アレニエさんは、私が未熟だからと護ってくれているのでしょうが……私だって、貴女を護りたいんです……今さら、他人扱いしないでください……」


 項垂れたまま、けれど指先にだけは力を込めて、彼女はわたしの手を握り続ける。

 ずっと、わたしが心配する側のつもりだったけど……


「(……心配かけてたのは、わたしのほうか)」


 握られたままの手を引き、その先の彼女を抱き寄せる。密着したその耳元に、一言だけ、囁いた。


「……ごめんね」


 触れた部分から、震えが伝わる。

 その震えが収まるまでの間。思っていた以上に華奢で小さなその体を、わたしは抱きしめ続けた。


 

  ***



「――魔力が、留まってる?」


「はい。魔将を中心に、地面から半球状に――周囲を覆っていた風と同じように、滞留していて……アレニエさんは、ずっとその中で戦っていたんです」


 落ち着いたリュイスちゃんに治癒を(左肩の傷が思ったより深かったのだ)施してもらいながら、わたしは彼女の話に耳を傾けていた。


 魔力は本来、空気のように漂い、辺りを流れ続けている……らしい。

 らしいというのは、わたしは普段、それを感じ取れないからだ。

 だから、仮に異常があったとしても知覚できない。わたしが『核』とやらを見たことがないのも、多分そのせいなんだろう。


 先刻魔将が吹かせた風に、まさに魔力の異常を、違和感を覚えた彼女は、〈流視〉でそれを確かめようとし……同時に、わたしが殺される流れまで見てしまった。

 その際、わたしが諦めた様子もはっきりくっきり映し出されていたので、全部バレて先程怒られた次第です。


「考えを読まれた、と言っていましたよね。魔将は私の動きに気づいていなかった、とも。おそらくですが、法術による結界と同じで、一定の範囲内にしか効果はないんじゃないでしょうか。私が使ったものとは、規模がまるで違いますが……」


「……ふむ」


 そういえばイフ自身、あれを結界と呼んでいた気がする。

 結界――つまり、内と外とを分けるものだ。

 内側にいたから、わたしは思考を読まれた。対して、リュイスちゃんが読まれずに済んだのは。


「(結界の外にいたから――)」


 色々考えたものの、正解は『距離が離れていたから』という単純な理由だったようだ。

 内側にさえ入らなければ、あるいは結界そのものをなんとかできれば、魔将に対抗できる。相手の手の内が分かれば、方策を考えられる。

 わたしは彼女の頭に、ぽんと手を乗せた。


「ありがと。リュイスちゃん」


 そのまま、子供をあやすようによしよしと撫でる。さっきのお礼と……謝罪も込めて。

 彼女は少し恥ずかしそうにしながらも、嫌がる素振りは見せなかった。


「リュイスちゃんのおかげで、なんとかなりそうだよ」


「……本当、ですか?」


 上目遣いに期待を滲ませる彼女に、けれどわたしは告げなきゃいけない。


「うん。だからリュイスちゃんは、今度こそほんとに逃げて」


「え……」


「逃げて。できれば街まで。しばらく戻ってきちゃダメだよ」


「どうして……! 私だって、一緒に戦うつもりで…………まさかアレニエさん、まだ……!」


「違う違う! さっきみたいに、見捨てろってことじゃないよ。そうじゃないけど……やっぱり、リュイスちゃんが魔将の前に出るのは、わたしは反対だよ」


「……う……いや、でも……」


「イフは、あれでも力を抑えてるって言ってた。あんまり目立つと、わたし以外にも邪魔が入るかもしれないから、って。でも、いざとなったらそんなの全部忘れて、形振り構わなくなるかもしれない。そうなったら、いつリュイスちゃんが巻き添え食ってもおかしくない」


「……」


「それに……。……わたしも、〝荷物〟を抱えたままじゃ、満足に戦えない」


「……っ」


 この言い方で、おそらく伝わったのだろう。

 彼女は傍目にも傷つき、悔しさを表情に滲ませる。が、それ以上反論しようとはしなかった。

 その様子に、ほんの少し、胸がチクリとする。


 先刻助けられたのが大きい、とは思う。今さっき叱られたことも。わたしの中で、彼女が占める部分が増している。

 けど……いや、だからこそ。ここでハッキリ拒絶し、戦場から遠ざけておきたい。でなければ、彼女は意地でもついて来るだろう。


 それに――それ以上に――……できれば、この先は彼女に見せたくない。


「……〝荷物〟がなければ、気を取られずに済むんですね?」


「うん。傷つくと困るから、遠くに運んでほしいかな」


「……そうすれば……勝てるん、ですよね……?」


「今度は、多分大丈夫」


「…………分かり、ました」


 彼女はゆっくりその場を立ち上がると、まだ少し雫の残る、それでも力の篭った瞳で、精一杯に見つめてくる。


「……でも、無事に、帰ってきてくださいね。……死んでしまったら、今度こそ許しませんから」


 それに〝いつものように〟笑顔を返しながら、返答する。


「うん。なるべく頑張るよ」


「なるべくじゃなくて絶対ですよ!」


 再度念を押すと、彼女はまだ躊躇しながらも踵を返す。

 途中、何度も足を止め振り返るが、笑顔で、しかしいつまでも目を逸らさないこちらに根負けしてか、やがて背を向け、樹々の奥へと走り去っていった。


 しばらくその背を見送り、姿が見えなくなったところで、ようやくホっと息をつく。

 ……意外と素直に言うこと聞いてくれて助かった。リュイスちゃん、変なとこで頑固だからなぁ。そんなところもかわいいんだけど。


「さて、と」


 これで彼女の(少なくとも魔将に殺される)心配はいらないし、彼女の目も気にしなくていい。

 先刻は逃げてきた道を、わたしは逆に辿り始める。歩きながら左手の篭手に視線を向け、反対の手で軽く撫でてから、呟いた。


「それじゃ、行こっか」

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