33節 嵐が過ぎるまで
エスクードに来て二日目。
大方の予想通り、外は嵐で大荒れだった。
ベッドに腰を下ろした私は、板で塞がれた窓にぼんやりと視線を向けていた。
外からは変わらず建物を揺らす強風と雨音が響き、雷鳴も頻度を増している。
「多分、明日くらいまではこのままだと思うよ」
同じように自分のベッドに腰をかけ、武具や道具の手入れをしていたアレニエさんが呟く。
風の神〈アネモス〉は非常に気まぐれだという。
善悪両面を持つとも、二つに分かたれたとも言われる彼女の息吹は、普段は穏やかだが、ひとたびその機嫌を損ねれば今回のような嵐を生む。
機嫌がすぐに治まる時もあれば、数日を要する場合もある。日付が変われば途端に止むというものでもないし、止んだとしても被害があった場合、即座に元通りというわけにもいかない。
いずれにせよ、現状で焦っても仕方がない、と頭では分かっているのだけど……かといって、気持ちが逸るのをどうにかできるわけでもない。
「それにしても、ずいぶん急いでる感じだよね」
ベッド上に並べた短剣類に目を向けながら、アレニエさんが他人事のように口にした言葉に、私は反射的に口を開いた。
「それは……こうしている間に勇者さまが追いついてしまったらと思うと、やっぱり焦らずには……」
「いや、その勇者さまが、さ」
「……?」
てっきり、私が焦っているのをたしなめられたのかと思ったけど……
「噂を聞いてると、ほとんど真っ直ぐ『森』のほうに、しかも大分急ぎ足で向かってるみたいなんだよね。十年前の――先代の勇者は、もっとあちこち渡り歩いて魔物退治とかしてたみたいだから、ずいぶん違うな、って」
「……そう、言われてみると……〈流視〉に見えた道のりも、『森』へ真っ直ぐ向かっているようでした……」
「やっぱり? なんでなんだろね」
勇者一行の旅路は、彼ら自身にその裁量を委ねられている。
そのため、進路もペースも代によって違うのだが……いずれの勇者も最終的な目標は揺らがず、人々がそれを疑うこともないのは断言できる。というのも――
「……一刻も早く魔王を討伐しようとして……とか?」
「魔物の被害が広がらないうちに、って? もしそうなら、ずいぶんなお人好しだねー……あぁ、でも勇者としては、理想的なのかな」
「強い善思の持ち主ほど神剣に認められ、力を引き出せるそうですからね。でも……」
「今回は勇み足だったわけだ。ものにする前に、まだ勝てない相手が来ちゃうんだから」
魔王の脅威に備え、女神が地上に遺した最後の力、〈神剣・パルヴニール〉。自らの意思で使用者を選ぶ、神の剣。
その意思は、剣を鍛造した女神の意思と重なる。女神の精神性に近しい――三徳を体現する者ほど神剣と同調し、真価を発揮すると伝えられる。
神剣が認めるに足る人材を探し集め、使い手を選ばせる。剣が人を選び取る儀式。それが〈選定の儀〉だ。魔王を討つ意志のない者、三徳からかけ離れた者は、そもそも握ることすら叶わない。
当代の勇者が真っ直ぐ『森』に向かうのも、先代が各地の魔物を討伐していたのも、それが彼ら彼女らの思う魔王討伐までの最善の道。人々を救うのに必要な旅路だからなのだろう。
選ぶ道は違えど、その果てには必ずや魔王を討ってくれるのだと皆が信じて疑わず、歴代の勇者もまたその期待に応えてきた。
ゆえに勇者は人々の希望となる。そして……その命が半ばで尽きた際の悲嘆は、計り知れない。
「……わたしは、いくら勇者でもそこまで善人だとは思わないけどね。単に『森』に用があるだけじゃないかな」
そう呟く彼女からは、いつもの笑顔が消えていた。
視線は道具類に向いたままだし、手入れに集中しているのもあるだろうけど……なにか、勇者に対して思うところがあるのだろうか。
「(……考えてみれば……)」
アレニエさんは、どうして今回の依頼を引き受けてくれたのだろう。
私にとっては、天啓とすら思える出会いだった。
依頼の条件にここまで合致する冒険者というだけでも得難いが、さらにはこの旅路で、私が長年抱えていた苦悩を晴らすことさえしてもらった。感謝する他ない。
しかし、彼女にとってはどうなのだろう。引き受ける決め手になったものは。
金銭目当てじゃないのは以前述べた通りだ。そもそもそれが目的なら、初めの条件提示の時点で引き受けていただろう。
当初は渋っていた彼女が反応を変えたのは、機密を開示した後のこと。
勇者の死。魔将の接近。それに、〈流視〉。
これらの中に彼女の興味を惹くものがあって……それが、勇者、だったのだろうか。まさか追加の報酬が理由ではないと思うけど。
……思い出して色々恥ずかしさが込み上げてきたし顔も熱くなってきた。
結局あれはからかわれただけで、実際には「友達になって欲しい」というものだったわけだが……分からないといえば、これもそうだ。なぜ、そんな条件を提示したのだろう。
彼女は腕利きの冒険者だ。私が知る中で言えば、〈聖拳〉と称されるクラルテ司祭にも引けを取らないと思える。行方不明の〈剣帝〉を除けばおそらく、当代随一の剣士と言っても過言ではないはずだ。
その彼女に、友人がいないというのも考えづらい。実際、ユティルさんのような遠慮なく言い合える相手もいたし、継承亭の客にも親しげに接していた。
揉め事が絶えないとも聞いたし、実際それに巻き込まれも(原因の半分は私だったが)したが……ここまで共に旅をした私には、そこまで言動に問題があるようにも見えない。
第一、それを補って余りある実力の持ち主だ。探せば欲しがる冒険者はいくらでもいるだろう。彼女がその気になれば、守護者の地位を得ることだって――
「? リュイスちゃん、どうかした?」
呼びかけが聞こえる。黙り込んだ私を訝しんでだろう。しかしそれには答えず、私は脳裏に浮かべた疑問をそのまま口にした。
「……アレニエさんは、どうして、一人で仕事を……?」
「へ? どしたの、急に」
そう問われ、ようやく私は正気付いた。
「や、その……色々考えていたら、思考が飛んで気になってしまって……」
「あー、たまにあるよね、そういうの」
しかし実際気になっていたには違いなく、身動きの取れない現状は話をするにも丁度いい機会かもしれない。
「……良ければ、このまま聞いてもいいですか? 誰とも組まずに一人でいるのは、どうしてか。アレニエさんの腕なら、どこに行っても歓迎されると思うんですが……」
とはいえ、彼女が一人だったおかげで、今こうして二人で旅ができているわけだが。
答えづらいことならすぐに引き下がろうとも思ったが、彼女はあまり悩む様子もなく返答してくれた。
「そうだね。どうしてと聞かれれば、人嫌いだからかな」
「……嫌い、なんですか?」
「なんで意外そうな声?」
私の反応が面白かったのか、かすかに笑いながら彼女は問う。
「だって、全然そんな風に見えなくて……アレニエさん、いつも笑顔で人当たりもいいじゃないですか。私も出会ってからここまで、親切にしてもらってばかりで……」
言いながら、けれどなぜか思い出したのは、〈剣の継承亭〉で眠る彼女を皆が警戒していた様子。そして出発前に下層で買い物をした後の、笑顔の――
「そりゃ、いつもは演技してるからね」
「――」
演技……?
「わたし、あんまり笑わない子だったんだよ」
〝いつものように〟微笑みながら、彼女はそう口にする。
「かーさんが死んでから……というか、とーさんに引き取られた後も、ずっと笑えなくてね。だからせめて見た目だけでも、と思って練習したんだ。おかげで笑顔は作れるようになったんだけど……今度はそれが、癖になっちゃって。うん、癖だねこれ。演技ってほどじゃなかったや」
少し恥ずかしそうに彼女は笑う。今のこれは、どちらだろうか。
「人付き合いも、似たようなもの。なにか情報集めるにしても、ある程度取り繕ってたほうが話聞きやすいからね。で、それが染みついちゃった。人嫌い、というか苦手だし、興味もないから、すぐにボロが出るし恨み買ったりもする。中にはリュイスちゃんが言ったみたいに歓迎してくれるとこもあるんだけどね。全部断ってる。結局、長続きしないと思うから」
「……継承亭のマスターや、お店に来るお客さん、それに、ユティルさんは……」
「とーさんは別だけど、それ以外は大体一緒。見知った顔でも必要以上には近づかない。うちに来る客の大半はわたしのこと知ってるから、向こうも一歩距離を置いてる。ユティルは昔から知り合いだし、他の人よりはよく話すけど……それでも、その程度かな」
「……」
普段は人当たり良く振る舞っているだけ、という告白は驚きと共に、これまで感じた違和感や疑問を解きほぐすものでもあった。
仮面のようだと感じた笑顔や、咄嗟の対応力。時折見せる酷薄な表情。それらが、目の前の彼女とようやく繋がった気がする。
「だから、もしわたしがいい人に見えたなら、表面だけだよ。普段のわたしは他人に興味ないし、誰がどうなっても知らないし、どうでもいい人に気なんて遣わない、悪い冒険者。それでも優しくしたのは……そうだね。リュイスちゃんだから、かな」
「え……」
不意の台詞に、心臓が跳ねる。それは、どういう意味で……
「依頼人兼パートナーだからね。無事に終わるまでは気を遣うよー」
ガクっ、と肩を落とす。それを見るアレニエさんは笑顔だ。これは普段の仮面ではないと思う、けれど……多分、私の反応を面白がってもいる。
「それはまあ冗談としても、相手がリュイスちゃんだからなのは、ほんとだよ。仲良くなりたいからね」
「……あの、それも不思議だったんですけど……人が嫌いなら、どうして追加の報酬にあんな……私と友達に、なんて条件を……?」
他人が嫌いで遠ざけているなら、私だってその対象なのでは――
「ん、かわいかったから?」
「は?」
「リュイスちゃん、顔とか雰囲気とかすんごく好みなんだよね。一目見てピンときて。話してみたら全然『上』の人っぽくないし、色々面白いから、なおさら気になって」
「え……う……?」
……まさかの、私が理由?
「……神官の私が望むのもおかしいとは思うんですが……嘘ですよね? そんな理由で、命懸けの依頼を引き受けたなんて……」
彼女はなにも言わずニッコリと笑う。……本当なんだ……
「それだけ、ってわけじゃないけどね。でも、受けた理由の半分くらいは、それかな」
「…………もう半分は……勇者さま、ですか?」
やられっぱなしが悔しくなり、私は先刻の推測を直接ぶつけてみた。
とはいえ、腹の探り合い(と言えるほどのものでもないが)で彼女に勝てるとは思えないし、おそらくこれもはぐらかされて終わりだろう。せめて驚いた顔の一つでも見られれば、と――
「そうだよ」
「――え……」
そんなことを考えていた私の耳に届いたのは、予想に反した肯定の言葉だった。
「残りの理由は、勇者が関わってたから。あぁ、魔将を直に見てみたいっていうのも、ちょっとあったけど。できれば会って話もしてみたいから、放っておいて死なれるのはわたしも困るんだよね」
「……」
まさかあっさり答えてもらえるとは思わず、しばし困惑し、それからすぐに新たな疑問が湧き出す。
勇者が理由ってどういう……そもそも勇者をどう思って……会ってなにを話したい? 魔将と遭遇する危険は動機になり得るんですか。
口をつく寸前の疑問は、しかし彼女の微笑みを目にして押し止まる。これまでと空気の違うその笑顔の意味は、私にも理解できた。――『これ以上は、内緒』。
二人で、見つめ合ったまま静止する。風雨が建物を叩く音だけが部屋に響く。嵐はやはり止みそうにない。
聞けるまで粘っていた、というわけでもないが、なにかを諦めたような心地で、私は小さく息をついた。
「……いずれにしろ、私たちが先に進むのも、勇者さまがこちらに近づいているのも、この嵐が治まるまではどうにもならないんですよね……」
「そうだねぇ。……んー……」
「?」
「……や。なんでもない」
アレニエさんは天井を仰ぎ、何事か考え込む様子を見せていたが……少しするとまた視線を下ろし、先ほどまで行っていた道具類の点検に戻る。
私も、なんとはなしに会話を打ち切り、強風でギシギシと音を鳴らす窓に再び目を向けた。
彼女が何を思ったかは分からない。が、その時はあまり気にすることもなく、なるべく早く天候が回復するようにと願いつつ、私は眠りについた。




