31節 前を向いて
「…………そんな、こと、は……」
動揺を押し隠し、かろうじて否定しようとするが……私の声は、震えていた。
「……私の命は、司祭さまに救われたもので、カタロスの加護まで授かっています。私の勝手で、無碍に扱っていいものでは、ありません」
――嘘だ。私は自分の命に価値を感じていない。
「それに。私は、仮にもアスタリアの神官で、アスティマの悪を否定する立場です。最大の悪である死を受け入れるなど、決して許されません。……まして、自分からそれを望む、なんて――」
――嘘だ。私は神官を名乗るに値しない。今も虚偽を重ね、さらに罪を重ねようとしている。彼女の、指摘通りに。
外からは疑念と侮蔑、内からは罪悪感に苛まれ続ける私の日常。
心はそれに耐え切れず、さりとて抜け出す道も見出せない。現状はもちろん、この先司祭さまの改革が成し遂げられたとしても、私の状況が大きく変わることはないだろう。それはきっと、私の命が、尽きるまで。
けれど神官である以上、『死』に逃れることはできない。それは教義に背き、自ら悪に首を垂れる大罪だ。〝自分で自分を殺す〟など許されない。
あるいは全てを投げうって実行していれば、確かに現状から逃れることはできただろう。もう、過去に苛まれることもなくなる。……けれど結局、それはできなかった。
私を救い、家族になって下さった司祭さま。
これからその才覚をさらに発揮し、より多くの人を救うであろう彼女に……私という汚点を、死の穢れを、一生涯背負わせる。……そんなこと、できる、わけがない。
今回の任務は、だからこそ天啓と感じたのだ。
私の手が届く最大の善行を成し遂げ、なおかつ、司祭さまの名に傷を残さずに逝くことができる、この道筋を。
そんなものに巻き込んでしまう相手だけが気がかりで申し訳なかったけれど……だからこそその相手は、依頼の達成と無事の生還を両立できる、強者が必要だった。アレニエさんなら、きっと――
「……うん、分かった。リュイスちゃんがそう言うなら、もう言わない。だから話を元に戻すね」
「……元?」
「さっきの話を聞いた、感想」
「ぁ……」
ああ……そうだった。私の過去の断罪は、先延ばしにされていただけだった。
けれど、軽蔑され、罵倒されるのも承知で、全て吐き出したのだ。なにを言われたとしても――……はい、大丈夫ですアレニエさん。覚悟は、できています。
「あのさ。この村が滅んだのって――」
そうです……滅んだ原因は私にあ――
「――別に、リュイスちゃんのせいじゃなかったよね」
「――……う? ……え?」
思わぬ言葉に、俯いていた顔を跳ね上げる。
「いや、ほら。話を思い返してみても、リュイスちゃんが悪いとこ、特になかった気がするんだけど」
「え……え? や、だって……」
「だってリュイスちゃん、魔物が襲って来るのを『見た』だけなんでしょ? 別に魔物を呼び寄せたわけでもないし。なら、なんの責任もないよね?」
「……わ、私は、村が襲われた時、なにもしなかったんですよ。ちゃんと伝えていれば、皆、逃げられたかも、しれなくて……」
反射的に反論する(なぜ反論してるのかは自分でもよく分からない)が、予想外の反応にしどろもどろになってしまう。
「しなかったんじゃなくて、できなかったんでしょ?」
「そ、れは……」
「しかもそんな状況にしたのも、村の人たちなんでしょ?」
「……そう……です……」
「ならそんなの全部、自分たちのせいだよね。自分の命は自分で守るものだよ。わたしは冒険者だから、なおさらそう思うのかもしれないけど」
冒険者なら確かに、最低限自身で身を守れなければいけないのだろう。彼らは――他に選択肢がなかったとしても――自ら危険を冒す道を選んだのだから。けれど……
「……私は、そこまで割り切れません。村には、戦えない人のほうが多かった……なら、加護を授かった私が、皆を助けるべきだった……助けられた、はずなんです……なのに、私は……!」
「あのー、リュイスちゃん。もしかしてさっきからわざと言ってる?」
「……? なにを、ですか……?」
「リュイスちゃんだって、助けられる側じゃないの?」
「――」
私、が……?
「それとも、ほんとに気づいてなかった? ちょっと変わった『目』は持ってても、その頃のリュイスちゃんはただの子供だったんでしょ? 力のあるなしで言えば、周りの大人の方がよっぽど戦えたはずだよ」
「……」
そんなの、考えたこともなかった……
「まあ、仮にその頃のリュイスちゃんに魔物と戦える力があっても、同じことだと思うけどね。村の人全員の命なんて、子供一人に預けていいものじゃないよ。それにその加護だって、別に無理に使わなくていいと思うけど」
「……加護を、使わなくても、いい……?」
「元は神さまから貰ったものでも、今はリュイスちゃんの力の一つでしかないでしょ? 使う使わないはリュイスちゃんが決めていいし、誰かを助けるのが義務、みたいに思わなくていいんじゃないかな。それにリュイスちゃん、その『目』に振り回されるのが嫌になったから、全部捨てたくなったんじゃないの?」
「……」
「そもそも神さまが加護をくれるのだって、気に入った子に気紛れであげてるだけだよ、きっと。だから、そんなに真面目に受け取らなくても――」
「…………」
言葉に詰まる。
彼女の言葉は終始何の気なく、ただ感じた想いを口にしているだけのようだった。
だからこそそれは、同情や、口先だけの励ましなんかじゃない、彼女の本心だと感じられる。
厚意に甘え、過去を吐露したが、慰められるのを期待していたわけじゃない。むしろ先に覚悟していた通り、非難されるものとばかり思っていた。
悪いのは私で、村人は被害者だと。
彼らが生きていれば、私を恨んでいるだろうと。
それなのに彼女は、私は悪くないと言う。村の皆が死んだのは、彼ら自身の責任だと。当たり前のように。
「――」
視界が、急に開けた気がした。
雲に閉ざされていた月が顔を覗かせ、差し込む光に暗闇が霧散していく。晴れた視界の先には、月明かりにほのかに照らされた、アレニエさんの姿が――
「えっ」
不意に彼女が驚きの声を上げ、なぜかこちらを窺うように視線を向けてくる。
「や、あの、責めてるつもりはなかったんだけど……うあー……」
「――……あ、れ?」
いつの間にか私の頬を、水滴が――両の目から流れる涙が、こぼれ落ちていた。
私は、きっと待っていたのだと思う。
見知らぬ誰かに罪を否定され、許される時を。――そんなことはありえない、と諦めながら。
知り合ったばかりの彼女がこんな風に言ってくれるなんて、だから想像もしていなくて……
思い返せば、司祭さまも同じように励まして下さっていたはずなのに、私はそれを、身内としての気遣いや贔屓目からだと、無意識に跳ね除けていた。素直に受け止められないほど、視野が狭まっていた。
けれど、今は――
「……その、わたしから話聞くって言い出しといて、泣かせちゃダメだよね。ごめん、リュイスちゃん」
自身の発言が不用意だったと彼女は謝るが、それに私はかぶりを振る。
「……いいえ……いいえ」
フェルム村が滅びた原因が私にある、という思いは変わらない。少なくとも、救えたかもしれない命を救えなかったのは、事実だ。
きっと私は、これからも過去を悔い、思い悩む。抱え続けた後悔は、簡単には消えてくれない。
けれど司祭さま以外にも、私を許し、受け入れてくれる人がいた。それがたとえ、彼女一人だったとしても。
神が触れる手を失ったこの世界に、人が望むような奇跡は起こらない。
しかし、そうと知った上でなお、この出会いは私にとって、奇跡に近しい。信じられないほどに嬉しい、かけがえのない一人だった。だから――
「――……ありがとうございます。アレニエさん」
だから、私は笑顔で感謝を告げる。
涙を流しながら微笑む私に、初めは驚いた顔をしていた彼女も、次には優しく笑いかけてくれる。
「少しは、すっきりした?」
「はい……もう、大丈夫です」
死者は帰ってこない。私の罪が消えることはない。
それでももう、死に逃れようとは思わない。今からでも、ほんの少しずつでも、前を向いて生きていきたい。私の勝手で命を粗末にできないと、今度こそ、心から思える。
屋内に戻ろうと踵を返すアレニエさんを追って、私も前に、歩き出した。




