思い詰めた自殺とは限らない
いろいろなことをエッセイとして書いていきますが、
あくまでも私の考えであり、それは真理ではありません。
私が経験してきたこと、関わってきた人、様々な要因で私の今の価値観ができ、私の考えがあります。
読み手の皆さんに押し付ける気はありません。
私の話に「正しい/間違っている」ことなんて何もありません。
「良い/悪い」の話でもありません。
ご了承ください。
私も小さいときは、人が自殺してしまうニュースを見ては、なぜこの人は自分で死を選んでしまうのだろうか、どんな不幸が降りかかり、どれ程思い詰めたのだろうかと理解できずにいた。
確かに、思い詰めてしまいもうどうしようもなくなって亡くなる人も多いだろうと思う。
しかし、実際に自分が死にたいと考えるようになって思うのは、思い詰めていなくても自殺しうるということだ。
人は思いのほか壊れやすい。
経験がある人も多いだろうが、心身ともに疲れ切っているときに、どうやって仕事に行ったか、どうやって仕事から帰ってかその道中を覚えていないことはざらにある。
私はこれを脳のオートモードと呼んでいる。
ほかの言葉で表現すると「脳死で動く」という状態である。
そんな時、ふと車道に飛び出しそうになっていたり、電車に飛び込もうとしていてハッと我に返るといったことが起こりうるのだ。
辛い辛いと思いながら生きていてもすべての人が自殺を選択肢に入れて思い悩むとは限らない。
ただ、心身が極限状態にあれば、普段自殺を考えていない人でも容易にオートモードで死に飛び込む可能性がないわけではないのだと、自分が大人になって気づかされた。
突発的に死にたくなってそのまま死んでしまう人もおり、それは彼ら過労、孤独、虚無感など様々な要因で起こりうるのだ。
そして何より、そうならないために事前に対策できることはなかなかないのだ。
自分がまさかそんな状態になるとは思いもしない人であっても、突発的な自殺願望に駆られることがあるのだ。
オートモードでの自殺に関していうと、普段から自殺を考えていない人にこそ起こりやすいものなのではないかと思う。
読んでくださりありがとうございます。
読んだ方の中には不快になってしまう方や、あまりいい気持がしない方もいるかと思います。
申し訳ありません。
ただ、これは飾らない、等身大のリアルを書いていく作品です。
ご了承ください。